バンプ「ハルジオン」より。

 綺麗な虹だ、なんて誰かと同じようなことを言うなよ。
 どうせ捕まえられないくせに。触れることすらできないくせに。
 伸ばした手をあざ笑うだけの浮遊。

「じゃあ兄さんは」
 穏やかに金属を反響させる声が耳に届く。
 寝転がって逆様になった視界に、鎧の姿をした弟が見えるのが判った。
「届くなら手を伸ばす?」
 がちゃり、と重い金属の音。
 アルフォンスの手は音に相応しい重みと冷たさを持って、エドワードの頬に触れた。
「本当はあの虹は、すぐに手を伸ばせば届くんだって、そういうものだったら、手を伸ばすの?」
 エドワードはゆっくりと瞬きをした。
 鎧のせいでアルフォンスの視点は判らなかったが、多分、弟も自分を見ているのだろう、とエドワードは理解した。
 視線が絡み合う感覚が厭で視線を逸らす。
 アルフォンスが鎧になる前だって、そういえば自分達はこうだった、とエドワードは溜息をつく。
「なに言ってんだ。虹がどういうモンだか知ってンだろ。そんなの届くわけ」
「ない?」
 言葉尻を取られて声が詰まる。
 その瞬時にアルフォンスは滑り込む。
「兄さんは知ってる筈だろ」
 何を、と問う前にアルフォンスの鋼の指先が頬を撫でた。
「僕らの目と僕らの脳がどれだけ僕らを騙してるか」
 ああ知っている。
 どれだけオレ達が騙されているか。
 この目も脳もアテになんてならない。
 鮮やかな七色は色分離がそれだけしか出来ないお粗末な脳の生み出す虚像だ。
 本当は総てモノクロームなのかもしれないし(色さえ捏造出来てしまえるマザーコンピューター)、本当は七色なんかじゃなく百色くらいの凄まじい色の帯なのかもしれないし(それを認識出来ないというだけで)。
 本当は存在すらしないのかもしれない。
 虹なんてものは。
 それを綺麗だ、なんて。
(見たまえ、こんな綺麗な虹は久しぶりだ)
(ああ、君は雨が嫌いだったね)
(だからそんなにしかめっ面をしているのか)
(違うのか、なら、……)
(ああ)
(どうも嫌われているのは私のようだね)
(……これなら善いだろう)
(触れはしないから)
(これ以上君に触れはしないから)
(でもせめて)
(抱き締めるくらい)
 耳元で囁かれる言葉なんて、詭弁だ。
 だから。
「信じなけりゃ善い」
 この目も脳も。そんな言葉をさらりとのたまう誰かのことも。
「素直じゃないね」
 兄さんも、とアルフォンスはその鋼の指先でエドワードの両目を覆う。
 瞬間、エドワードの視界は薄い暗闇に転じた。
 手を伸ばさないのは触れられないのを知っているからではない。
 虹はすぐ傍にあるのだと信じて、手を伸ばして、触れられなくて、
 裏切られるのが。
「怖いんだろう?」
 ああ、そうだ。
 だからあの腕を振り払って逃げるように部屋を出たんだ。
 これ以上溺れてしまうのが怖くて。
 これ以上信じてしまうのが怖くて。
 アルフォンスの作る暗闇の中でエドワードはするりと鋼の腕を伸ばす。
 窓の向こうの虹が未だ在るのか既に消えたのか、エドワードは知らない。
 アルフォンスは低く囁くように、窓の外を見つめながら呟いた。
「信じたいくせに。」