Everlasting



 ふと見下ろした手が、真っ赤に染まっていた。

 太陽は昼間の熱をゆっくりと吐き出しながら、朱色の光でゆるりと俺の全身を染めている。
 煙草の煙さえ異人になる夕暮れに、俺は少し背を丸めた。
 コンビニ帰りの手に持った白い袋が、カサッと音を立てた。
 俺の前を歩いていた君が、俺が立ち止まったことに気付いて振り向く。
「・・・どしたの、久保ちゃん?」
 その頬も、やわらかい茜色で。
「――いや、何でも?」
 俺は笑う。
 そうすると、君はちょっとムスっとした顔をして、頬を膨らませる。
 それがまた堪らなく可愛いだなんて、言ったら君は怒るだろうか。
「久保ちゃんって『何でも』が多すぎ!秘密主義者は嫌われるんだぞ。」
「・・・ふ〜ん」
 そのちょっと怒った顔が見たくてからかっているだなんて。
 知ったら――ねぇ、君はどうする?
「じゃあ時任は嫌い?」
「・・・え?」
 猫の眼のような時任のそれが、きゅっと丸くなる。
「――時任は、俺のこと嫌い?」
 俺も大概、意地悪だから。
 だって何度だって聞きたいんだもん。
 その口から、
「・・・嫌いッ・・・」
「・・・嫌い?」
 その口から、俺の名前を。
「・・・なワケねーだろ!・・・久保ちゃんの馬鹿野郎っ!」
 それだけ言い捨てると、君はスタスタとアパートのビルに入っていく。
 後姿に見える、黒髪の間から見える耳が、夕暮れに隠れて少し紅い。
 ――『馬鹿』なのは承知でしょ。
 俺は君に凄く馬鹿だよ。
 どうしようもなく馬鹿だよ。
 分かってるのかなぁ。
 俺がこんなに馬鹿になったのは、君のせいなのに。
「――分かってる?」
 エレベーターまで追いかけて、閉じかけた扉を開けて体を割り込ませる。
 時任は拗ねた顔で、視線を逸らしている。
「俺が馬鹿なのは、時任だけなんだよ?」
 そっと耳元で囁いてやる。
「・・・ンなこと知るかよッ・・・」
 顔を真っ赤にしてそっぽを向く君。
 可愛くて、可愛くて、――言葉に言い表すことなんて出来ないほどに愛しくて。
 ねぇ、その愛しさを、どれだけ君に伝えられるだろう?
「――じゃあ、教えてあげる」
 時任がもたれた壁に手をつくと、俺は手探りでエレベーターのボタンを押す。
 動き始めたエレベーターの中で、時任の唇に自分のそれを触れ合わせる。
 深く絡み合い始める吐息に、俺は精一杯の愛しさを込めた。

 君の過去なんて、本当はどうでもいいんだ。
 君が誰かなんて、本当はどうでもいいんだ。
 ただ君という存在が、俺の傍にいてくれさえすれば、
 多分、俺はこの世の誰よりも満たされるから。
 
「・・・・ッあ・・・ぼちゃ・・・久保ちゃ・・・ッ・・・!!」
 玄関が、揺れるようにキシキシと音を立てている。
 俺は絶え間ない振動を続けながら、その頬に伝う汗を手で拭う。
 君は俺の事なんて眼中に無いかのように頬を紅潮させて、背を反らしている。
 ――それでもそんな、君が好き。
「・・・時任?」
 そっと名前を呼ぶと、うっすらと目が開いた。
 黒真珠のように俺を捕らえる瞳が、体を熱くする。
「っ・・・久保ちゃ・・・ッ・・・」
 もっともっと、俺の名前を呼んで。
 忘れようがないくらいに、強く、強く。
 傷跡が残っても構わない。君の付けた痕なら消したくない。
 もつれあう事情の中で、絡み合う過去を背に、
「――あっ・・・アア・・・ッ・・・!!」
「・・・っ・・・」
 俺たちは、確かに繋がっている。

「・・・やっぱ久保ちゃん大嫌い」
 君はふてくされた顔でソファの上。 
 毛布にくるまって、俺の作るコーヒーを待っている。
「――ハイハイ」
 俺は笑んだまま、コーヒーを片手にリビングに戻る。
 床に脱ぎ散らかした時任の服を集めると、風呂場の方へ放る。
「あんなトコでスルなんてサイテー」
「じゃあベッドなら良かった?」
「〜〜そーゆー問題じゃねぇだろッ・・・」
 君は毛布に包まったままで、コーヒーを受け取りながら可愛い視線をくれる。
「俺は好きだよ?」
 そう言うと、君はちょっとだけ視線をあげて、コーヒーを飲みながら俺を見る。
 俺はわずかに触れない距離に座って、ブラックコーヒーに口を付ける。
 あんまり苦くないのは、誰のせい?
「俺は時任のこと、好きだよ?」
 みるみる紅くなってく、その顔が好き。

 本当に好きだったんだよ?
 顔だけじゃなく、体だけじゃなく、・・・ぜんぶ、全部。
 ねぇ、君は知らなかったでしょ。
 俺がどれだけ君を想っていたか。
 君が俺を想うよりもずっとずっと、君を想っていたこと。
 銃もいらない。
 世界もいらない。
 国もいらない。
 ・・・命もいらない。
 ――君さえいれば、 
 それだけで俺が生きていけたこと。

 +++


 ふと見下ろした手が、真っ赤に染まっていた。

 君の体からじわりじわりと滲んでくるその液体を見ながら、俺は立ち尽くしていた。
 右手に握られた銃に、もう弾は込められていない。
 血まみれの男達が重なり合って、部屋には転がっている。
 殺さずにはいられなかった。
『久保ちゃん・・・ッ!!』
 その時真っ直ぐに真田さんは俺の心臓を狙っていたのに、
 打ち抜いたのは、時任の心臓だった。
 ・・・後ろに下がってて、って言ったのに。
 どうして俺を庇ったりしたの?
 俺のこと、大嫌いって言ってたじゃない。
「・・・・・・・・・・・・時任?」
 時任はうっすらと目を開いたまま、俺を見ている。
 わずかに揺らめくその色。
 口元を真っ赤に染めて、時任は笑う。
「・・・ぼちゃ・・・」
「――うん」
 静けさが耳に痛い。
 吐息が、まるで耳鳴りのようだ。
「俺な、やっぱ・・・」
 君の吐息が、少しずつ小さくなっていく。
 俺は君を腕に抱えたまま、身動きも取れない。
「やっぱ・・・久保ちゃんのこと、好き・・・だから、」
 囁きになった声で、君は言う。
 そうして笑う。
 俺は、
「・・・だから、生まれ変わっても、」
 俺はただその囁きを聞くしか出来なくて、
「――また、・・・見つけてくれな?」
 その笑みに、笑い返すことも出来なくて。
「・・・・・・・・・・・・・・うん。」
 そういうと、最後に君はそっと俺の唇に自分のそれを寄せて、
 ――それから全身の力を抜いてしまった。

 冷たくなっていく体。
 閉じられた瞳。
 今すぐにでも開いて、元気な声が零れてきそうな唇。
「・・・時任・・・?」
 眠ってるんでしょ?そうなんでしょ?
 ねぇ、早く起きてよ。
 早く起きて、俺のこと呼んでよ。
 我侭だって何だって聞いてあげる。
 何度だって、『好きだ』って言ってあげる。
 抱きしめて、俺の腕に絡んで、一緒に寝ようよ。
 一緒にゲームしようよ。
 一緒に笑おうよ。
 一緒にコンビニ行こうよ。  
 スニッカーズ買おうよ。
 いつもより早く帰るから、『お帰り』って言ってよ。
 俺のこと、『大嫌い』って言ってよ。
 俺の作ったコーヒー、時任以外に誰が飲むの?
 ねぇ、お願い、お願いだから、
 

 ――お願いだから、もう一度、俺を呼んで。 

 
 君さえいれば、俺は生きていけたのに。
 君が『見つけてくれ』なんて言うから、『生まれ変わっても』なんて言うもんだから、
 俺は死ねなくなってしまった。
 ――君は本当に、ズルイ人。
 一緒に死のうと想っていたのに。
 最後の最後で、俺に呪いをかけて逝ってしまった。
 決して消えない呪縛を、残していってしまった。
「ただいま」
 そうしてまだ、俺は生きている。
 がんじがらめの呪縛の中で、生きている。
――ガチャ。
 誰もいない、真っ暗なアパートの扉を開ける。
 すると俺は、ふと一瞬、
 アパートには灯りがともっていて、部屋の奥からはTVだかゲームだかの音が聞こえていて、
 扉の音を聞きつけて、君が、
『おかえり!!』
 なんて笑う、幻を見る。
 ・・・幸せな錯覚だ。
 俺は時折その錯覚を続ける。
 夕暮れだ。
「・・・今日は早いでしょ?仕事が早く上がってねぇ」
 そう言いながら、灯りを付ける。
 コンビニの袋をキッチンに置いて、その中からスニッカーズを取り出す。
『ナニ?お土産??』
「そ。スニッカーズ。好きでしょ、コレ?」 
 君はソファの上で、俺が放ったそれを受け取る。
『サーンキュ♪』
 君は笑みを浮かべる。 
 俺も笑う。
「何のゲームしてんの?プレステ?」
『うん。この間買った新ゲー。あんまおもしろくねーの。』 
 そう言って君はコントローラーを俺に渡す。
 俺は二人分のコーヒーをソファの足元に置いて、それを受け取る。
「時任が下手なだけなんじゃない?」
『な・・・ッ、ソレ腹立つっ!!』
 猫に似た目が怒ったカタチになる。
『じゃあ久保ちゃんが全クリ出来たら言うこと聞いてやるッ!』
「――ハイハイ」
 俺はそう言いながら、コントローラーを握る。
 ――が。
 
 そこには俺を馬鹿にした沈黙と、
 真っ黒のTV画面がただ、無機質に佇んでいるだけだ。

 君の姿はどこにもない。 
 そんなことは、分かっている。
 俺は息をついて立ち上がると、コートを着こんでアパートを出た。
 
 夕暮れだった。 
 君を拾ったのも、こんな夕暮れの日だった。
 俺の足が、知らず知らずその場所へ向かう。
 ビルとビルの隙間の、汚れた壁にもたれるように、君が横たわっていた、――
 君と出会えるかもしれないと思った。
 馬鹿みたいだった。
 ・・・当たり前で、誰もいなかった。
 俺は身を翻す。・・・と、
――・・・ミィ・・・
 呼ばれた気がして、振り向いた。

 猫がいた。子猫だった。
 時任によく似た、黒い瞳をしていた。

『生まれ変わっても、』
 俺は思わず拾い上げた。
 猫は俺の手のひらに収まるくらいに小さくて、少しぐったりしていた。 
『――また、・・・見つけてくれな?』
 時任、
 時任――見つけたよ。

 人は愚かにも同じ過ちを繰り返しながら。
 
「お前――ミノルって名前、嫌?」
 猫はミィと鳴いた。
 まだ、ニャアとは鳴けないようだった。
 俺はそいつを手のひらに乗せると、元来た道を歩き始めた。
 夕暮れだった。

 ふと見下ろした手は、夕陽に照らされて、真っ赤に染まっていた。


 (終)






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