ゲームセット

 その指先をとらえるものは、果てしなくしろく眩しいもの。そうであらねばならぬと決められているかのように。

「おい、豪――どこ見てんだよ」
「……へ」
 突き刺さるような鋭い視線。それが自分に向けられていると知って、豪は我に返った。窓から零れ落ちるのは春はもう少しだと笑う冷たくやさしい日差し。それがまるでそう決められているかのように、けだるそうに横で唇をなぞる少年に降り注がれている。しろい指先。眩しいものが眩しいものに吸い寄せられる、そんなふうに。いつの間にか、自室のテレビから溢れる白熱した実況アナウンサーの声でなく、その指のしろさに目を奪われていた。
 わあ、と液晶の向こうで歓声が上がる。どよめきと歓喜の声。高ぶりを抑えきれないアナウンサーが、三振、バッターアウト、と悲鳴のような声を上げた。
 春の全国選抜高校野球大会。液晶の向こうには、春一番の風の中、ボールを追い続ける高校球児の姿がある。液晶画面の中で、白い帽子を被ったピッチャーがマウンドを均す。九回、ツーアウト、走者、三塁。
「悪い。ぼうっとしてた」
 そう言いながらテーブルに置いた麦茶をひとくち含む。浮かべた氷が唇に触れてつめたい。
 つられたように巧も麦茶に手を伸ばして、珍しいな、とちいさく呟いた。
「何がじゃ」
「お前、こういうの好きだろ。なのに」
 心ここにあらずって感じ。
 そう呟いて、ひそやかに笑う。喉を震わせるでも声を揺らすでもなく、ただ口元を小さく引き上げて吐息を漏らす、それだけで笑みという表情をつくってみせる人間を、豪は巧以外に知らない。
 指のしろさ。なぜさっきあんなにもそれを意識したのだろう。白さというなら、彼より、病弱な彼の弟のほうがその色合いに近い肌の色をしている。
 不意に、その指先がボールを握るしぐさをした。ハッとする。
「お前が見たいって言ったから来たんだぜ」
「――わかっとる」
 その言葉の裏に言いたいことは分かっている。巧は甲子園も白熱した野球中継も興味が無いのだ。豪が、今日の決勝戦くらいは一緒に見ようと言い出さなければ、今頃いつもどおり公園のマウンドに立ち、バッターボックスに向かって球を投げ込んでいただろう。先ほどから絶えずポケットの中のボールに触れている。そうしないと指が疼くのだ、と豪は知っている。巧が再び視線を投げかける。何を考えているのか、とその切れ長の目が言う。
「うん……」
「煮え切らないな」
「悪い」
 侘びの言葉に、珍しく、す、と巧から視線を外す。
「欲しけりゃ、そう言えよな」
 巧は気付いている。豪の視線の先に自分の指先があることを。欲しければ投げてやる。こんなテレビの向こうの試合なんかよりもっと熱くて痺れそうな感覚も一緒に、お前が欲しいなら俺は投げる、だから、そう言えよ――。
 僅かにブレた誤解はそのままにしておこう、と豪は息をついた。指先。それではなく、それでなぞる唇に目を奪われたのだと言えば、巧はどう思うだろうか。テーブルに肘をついて、目を細め液晶画面の向こうを眺める横顔が眩しくて、瞬きをする。
「……ああ」
 でも、欲しいなんて言ってしまったら、自分の中からあふれ出る欲望に全部身を任せてしまいたくなる。ボールを捕ることだけが自分の仕事ではないのに、バッターもランナーも総て視界の外に追いやって、ただ巧とだけ対峙していたくなる。球を捕ったときの痺れるような快感と共に、その魅惑的な場所から一生抜け出せなくなる。
 熱を抑えたくて、硝子のコップから氷を含む。口の中でひんやりと笑う氷の味は、ほてった体の中を冷ましてはくれない。
 焦がれる。眩しさを追い求めて身を焦がしてしまう蟲のように。  
 わあっと再び歓声が聞こえた。液晶画面の向こう側。アナウンサーの怒鳴り声。
 ふ、と巧が笑う。ポケットから引っ張り出したボールを差し出す。
「豪、スリーアウトだ」
 ああ、わかっている、とこころの中で呟いて、豪はそのボールを受け取る。

 ゲームセットだ、と唇にのせて、表情を見られないように先に部屋を後にした。