パルス



 生きてゆくことは、こんなにも重い。

 がたん、ごとん、と列車が揺れている。
 追いかけるように少し遅れて揺れる髪先をじっと見ている。
 自分の、ではない。
 目の前で窓の外に目をやっている銀髪の少年のそれを。
 向かいあう少年、窓は自分の右手、少年の左手。
 僅かに傾けている首のせいで、自分からは彼の左目が上手く見えない。
 目から続き頬まで刻まれた黒線がタトゥでもペイントでもなく、傷跡なのだと知ったのは最近のことだ。
 何かの刻印のようだ――とラビは思う。
「何ですか」
 問われて気付くと、顔は相変わらず窓の外を向いたまま、少年の視線だけがこちらを見ていた。
 青い目が静かに瞬き、笑みを形を作る。
「ずっと、見てるでしょう」
 僕を、と言われてラビはたじろいだ。
「ん、いや」
 言い訳を思いつく前に口が動いた。
 口が上手いのはこういうときに役に立つ。
「アレンの髪って、白っていうより銀なんだなァと思って」
 これはあながち間違いではない。最初は白髪だと思っていた髪は、太陽の光を受けると思ったよりもその光を反射した。
 透き通るようなその色は街角で売られる針の色にも似ている。けれど、風にさえ容易くゆらめいてしまう柔らかさのせいで、アレンの髪に針のようなとげとげしいイメージは無い。
 それは人柄のせいかもしれなかった。たとえば神田の髪などは漆黒だったが、あれこそ指に突き刺さってしまいそうなほどのまっすぐなものだった、とラビは思い出す。
「元は茶色だったんですよ。色素が抜けてしまって」
「ふーん。どうりで、珍しい色だと思ったさ」
 その言葉に、アレンが自嘲するように口許を上げた。
「よく言われますよ、『珍しい髪の色だね』って」
 す、とアレンは視線を窓の外に映す。
 ラビはアレンの視線を追えずに、やはりその前髪の髪先を追う。
(珍しい髪の色)
(老人でもなければ人では見られない髪の色)
 そこまで考えて、ふと思う。
(人でないもの)
 視線をアレンの左目に走らせる。
(――アクマ、か)
 あの女……エリアーデという名のアクマからゆらりと立ち上った黒い揺らめきをラビは忘れない。
(声なんて聞こえないのに)
 音も声も聞こえなかった。
 ただその黒い揺らめきがアクマの魂である、と――気付くまでにそう時間は掛からなかった。
(叫びが)
 肉のこそげ落ちた顔。目を何処かに落として窪んだ眼窩。
 髪は乱れてほつれ、首にはラビの親指の太さほどもある太い鎖が巻かれ。
 眼球のない顔は何処を見ているとも判らないのに、
(聞こえた)
 がたがたと空気を震わせずに直接脳内へと響いた。
 心臓を張り裂くほどの叫びが。
 目から聞こえる声もあるのだ、と知った。
 数秒でも耳を傾けてしまえば、こちらが発狂してしまうような声が。
 手を伸ばすわけでも視線を定めるわけでもないのに、判る。
 タスケテ、タスケテ、と内臓を手繰られて引き出されるような、危険でぞっとする声。
 あの声を。あの姿を。
(いつもこいつは見てる)
 この薄色の目でいつだって見ている。
(どうにかなっちまいそうだ)
 がたん、ごとん。
 揺れる車内。揺れる髪先。揺れる傷跡。
 揺れる。
(……アレン、お前って)
「ラビ」
 こころの中で呼びかけた瞬間に名前を呼ばれ、ラビはどきりとした。
 まさか考えていたことがわかるわけもあるまいに――動揺しながらそれを隠す。
 見抜いているのかいないのか、アレンはやはり小さく笑いながら、
「もしかしたら僕は、半分、人間ではないのかもしれません」
 瞬間、ラビは呼吸することを忘れた。
 完全に。
(悟られてる)
 その事実に気付き、冷や汗をかくより先に顔が青ざめるのが判った。
「……この目も、この手も、この力も、この傷も」
 まるで世間話でもするようなさりげない口調でアレンは続ける。
 窓の外を眺めたまま。
「僕は寄生型のエクソシストなのではなく、なり損ねのアクマなのかもしれません」
 静かにそう呟くアレンの声に、先ほど垣間見せた自嘲の色は無い。
(お前って)
 ラビは右目の眼帯に手をやった。視線のやりどころに困ったからではない。目の奥がツキンと一瞬痛んだ気がしたからだ。
(なんでそんなに)
 地下深くに眠るマグマのような少年だ。
 戦う以外に彼を見るとき、いつだって穏やかで、ともすれば頼りないほど柔らかい印象を持つ。それは髪と同じで人柄に由来するものだろう、とラビは思う。
 けれども。
 怒り、悲しみ、憤り、憂い、――その発露故の戦い。沸き立つマグマのように勢いよくあふれ出す感情は、周囲の者総てを圧倒する。
 それを。
(不器用なんだ)
 そう思うのは、ラビだけだろうか。
 がたん、ごとん、とまた列車が揺れる。
 規則的に与えられる振動は、列車の鼓動のようだ。
「……もしそうなら、ラビは」
 唐突にその鼓動に混じった声は、心なしか揺れているように聞こえて、ラビはアレンを見る。
 アレンは窓の外を見ている。
 ラビから視線を逸らすように。
「ラビは、どうしますか」
 口許を押さえる手がかすかに震えているのを、確かにラビは見た。
 見たけれど、見ないふりをする。
(怖いなら)
(怖いって)
(どうしてお前)
(言えないの)
 アレンが、自分の返答を恐れているわけではないことくらい、ラビには判っていた。
 アクマのように進化していくアレンの目。腕。力。
 このまま進化していくと、本当に、その本質が人よりもアクマに近くなってしまうのではないかという恐怖。
 恐れているのは、
(お前自身に、だろ)
 問うように視線をやると、薄色の瞳が揺らぐ。
「心配すんな」
 がたん、ごとん。
 揺れているのは、髪先か、指先か、瞳の中か、それとも。
 アレンの中のひととしての心臓か。
「ちゃんと、壊してやるから」
 アレンに揺り動かされるラビの心臓の鼓動か。

 そう言うと、アレンはほっとしたように、初めてラビを見て笑った。



(終)


ESCAPEより。どうしても書いてみたかったシーンなのだけれど、どう頑張っても最遊リロ一巻の某シーンと被ってしまう……。
「パルス」は「鼓動、脈拍」。タイトルはB'zのアルバム「THE CIRCLE」より。


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