だから嫌い


 例えばそれは、いつもは閉める筈のカーテン。
 例えばそれは、いつもはそんな早くに目覚めない朝。
 例えばそれは、いつもと違うシーツの感覚。
 ――例えばそれは。

「ン……」
 瞼を閉じていてもそれ越しに網膜へ辿り着く強い日差しに、アレンは覚醒を余儀なくされて、小さく身じろいだ。
(眩しい)
 無意識にシーツを引き上げ、光から逃れようとして、指先が冷たいそれを探す。
 まだ覚醒もままならぬまま指だけ伸ばし、体温から外れて冷え切っているシーツを探すが、なかなか指先はそれに触れない。
(ああもう)
 それでも目覚めるのが億劫で、光の当たらない場所へと寝返りと打って、
(あれ?)
 寝返りを打った先に、シーツでなく、もっと弾力のあって暖かいものがあった。
 昨日、何かベッドの上に置きっぱなしにしただろうか、と夢うつつの状態で仕方なく目を擦ってよく見る。
 すると。
 そこにはとんでもないものが置きっぱなしにされていた。
「……っ!?」
 思わず言葉にならない声でアレンは飛び起きた。いっぺんに目覚めてしまった気分だ。
 口許を手の平で覆って、もう一度朝日の下でそれをよく見る。この部屋が一階でないからいいようなもの、カーテンは全開、窓の外には太陽が昇り始めてまだ間もない空がくっきりと存在している。
 いつもはしっかりと閉めるカーテンを昨日に限って開けっ放しにしたのは、つまり、「それ」をベッドの上に置きっぱなしにしていることと関係があることを思い出した。
 「それ」、つまり、
「ラ、ラビ……?」
 おそるおそる小声で名前を呼んでみるが、すうすうと心地善い寝息を立てている他は、まるで身動きしない「置きっぱなし」。
 いつもはつけているバンダナを外し、獣のそれと同じように見える逆立った髪の毛は、意外にもやんわりと寝癖をつけ、あちこち無造作に伸びている。
(髪を下ろすと幼い顔になるんだなあ)
 なんてふと呑気に思ったアレンは、慌てて顔を振る。それどころでは無かった。
 眠っているのだから、バンダナを外しているのは、まあ、いいだろう。
 眼帯を外した右目もまた閉ざされている。もっとも、これは左目が開くときでも閉じているらしい。詳しくは知らないけれど。
 それよりも問題なのは――
 ちらり、とアレンはその先を辿る。胸から臍、そしてそれ以降はシーツに覆われて見えないけれど……
(裸、だよね)
 口許を押さえたまま顔を赤らめる。勿論、ラビのそんな格好に気付くよりも早く、自分もまたラビと同じく、生まれたままの格好であることは気付いていた。
 シーツに触れる肌の感覚が、やけにリアルで、アレンは取り合えず放り出された衣服の中からズボンを身に着ける。
 そうしていると、衣服にしみこんでいる昨日の記憶が再び肌を通して脳内に流れ込んでくるように蘇る。
 ズボンのベルトを通せば、それをするりと引き抜かれたときの吐息の熱さ。
 シャツを羽織れば、それを少しずつ脱がされながら囁かれた言葉の甘さ。
 タイを結ぼうとして、まだそれを解かれたときには口付けもそんなに激しくは無かったのに、と思うと、かあっと心臓が火照り始めるのが判った。
(覚えていなければいいのに)
 こういうことは、初めてではない。
 クロスを追う旅に出て数ヶ月、自然と増える相室で、こういった目覚め方をするのは、今日が最初、というわけではないのだ。
 タイを緩く結んで、まだベッドの上、惰眠に身を沈めているラビを見遣る。
 昨夜、自分が彼にどんなことを言ったのか――言われたのか。
(ああ、忘れててくんないかな)
 記憶があるあたりはまだいいのだけれど、途中、記憶がトんでいるあたりから、自分が何を言ったのか何をしたのかほとんど覚えていない。
 自分に記憶が無いのだから、いつも、彼も忘れていてくれればいい、と思うのに。
 こういうときには、いっそブックマンという職業自体が恨めしくなる。
 ふ、と視線を逸らしてタイを整えるべく鏡の前に向かったところで、唐突に後ろから抱きすくめられた。
「ラ――」
「ん……おはよ」
 掠れたハスキーボイスが耳をつき、ぞく、とアレンは背筋が震えるのが判った。頭が覚えていなくても体が覚えている。耳と体、皮膚と細胞、そのすべてが。昨夜、何度も囁かれたその声音を。
(いつの間に)
 さっきまで裸でベッドに寝そべっていた筈の身体は、上半身こそ裸のままだったけれど、白いズボンをはいて、ゆるりとアレンを抱きしめている。
 ふわあ、とアレンの肩先によっかかるように体を預け、欠伸をひとつ。
 そこで初めて向かい合う鏡に気付いたように、ラビは瞬きをしてみせた。
 その視線の先――まるで恋人よろしく鏡に映っている自分達に気付いて、アレンは顔を赤らめて、
「や、もう、離れて下さいよっ」
「えー、何でー。オレもっとくっつきたい」
「何言ってるんですか朝っぱらから」
 無理やりにラビを引き剥がし、そうしているうちにも頬の色が益々紅くなっていくような気がして、アレンは逃げるように部屋に備え付けのキッチンに向かった。
 その後姿を見ながら、ラビはシャツを羽織りながら溜息をついて不貞腐れたような声で言った。
「でもさー、いつもより多かったし。全部で二十三回。」
「……何が、ですか」
「名前」
「は?」
 何ですかそれは、と思わずベッドを振り返ったのがまずかった。
 ラビが乱暴に髪を撫でつけ、にやりと笑った。
「昨日、ベッドん中でアレンがオレの名前を呼んだ回数」
 覚えてないの、と笑みの形のまま細められる目。

(忘れててって)
(あれほど)
(祈ったのに)
 その腕、その背中にしがみ付きながらその名を繰り返した自分を僅かに思い出し、アレンは赤面する。
「そんなの覚えているわけないでしょう」
 緑のタイの、その結び目を指に引っ掛ける。

 例えばそれは、
 いつもは閉める筈のカーテン。
 いつもはそんな早くに目覚めない朝。
 いつもと違うシーツの感覚。
 脱ぎ散らかしたシャツ、放りっぱなしのベルト、床に広がった緑のタイ。
 最終的に昨夜を思い出させたのは、そのどれでもなく。
「オレは覚えてるけど」
 ラビはすたすたと近寄って、タイに触れたままのアレンの指先を取り上げる。
「アレンは嘘をつくとき指先が泳ぐこと」

 その指にそのまま口付けるラビの視線。
 それに耐え切れず、アレンは目を逸らす。


(だから 嫌い)


 例えばそんな仕草一つで、忘れられなくされるから。



(終)


ESCAPEより。
最後の一文、文法的にはおかしいんだろうなあ、と思いつつ……(笑)
タイトル的にはラビアレというよりは神アレなのでしょうけれども、あえてこちらで。
とりあえず甘さを目指してみました。皆様のお口にはあいましたでしょうか?(汗)


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