賢者の石



 手の中のその赤い石は、ピシリと一条のヒビが入ったかと思うと、それが放射線状に石全体に広がり、パァンっと軽い音を立てて割れた。
 粉々に砕けた石を握ると、重力に従ってさらさらと零れ落ち、それは地面に触れる前に溶けるように消えてしまった。
 その余りのあっけなさに、エドは思わず悪態をついた。
「……くそぉ……」
 右の手のひらを握り込んだまま、それで思い切り地面を叩く。
  ガシャン、と機械鎧が軋む音がした。それだけだ。肩から先の痛覚がないせいか、左手なら感じるであろう鈍い痛みも伝わらない。
 それでもこの場所まで辿り着いた苦労を思えば、どれだけ地面を叩いても気は収まらなかった。
 東部の山奥にある、以前軍で使われていたという研究所に、最近おかしな者達が出入りしているという話を聞いて、中央から足を向けたのは二週間前のことだ。
(おかしな連中……?)
(ああ、しかもその周辺で次々と人が消えるという奇妙な誘拐事件が増えている)
(誘拐……ですか)
(加えて、噂が立っているんです)
(噂?)
(――なんでも、『紅い石』を作っているんだという)
 人が消える誘拐事件。紅い石。……その二つを結ぶものは。
 軍に関係しているなら、とロイとホークアイ中尉も同行し、何とか研究所近くの小さな宿についたのは二日前のことだ。人に話を聞くのが得意なアルと中尉を宿に残し、ロイとエドだけでここまできたのだ。
 それが――
「贋物だったか」
 ロイは無感情に呟くと、エドに歩み寄った。
 エドは地面を――地面に消えた紅い石を見つめていた。
 研究所には、確かに最近人の出入りした痕跡があった。だが、それらは数週間は前のものと思われ、おそらく感づかれたと思った者達が総てを始末した後だった。
 その廃墟に残された、親指の爪ほどの大きさの赤い石。
「所詮、賢者の石など伝説ということか……」
 エドの側にまだ形を残して転がった赤い石を、ロイはざりっと踏み潰した。
 それは大した抵抗もなく、先ほどの石と同様溶けてなくなってしまう。
「伝説じゃねえよ……賢者の石は、実在する」
 エドはそう呟くと、ゆらりと立ち上がった。
 膝についた砂をはたき落とし、体を起こした。
「実在『できる』んだ」
「……マルコー・ノートか」
 こくり、とエドは頷いた。頷いたが――表情は険しかった。
 噂の『紅い石』が賢者の石であると、エドは心から期待していたわけではなかった。未完全のものかもしれないが、その造り方を――口に出すのもおぞましいが――知ってしまったためであり、それゆえにそう容易く作れるものだとも思っていない。
 それでもこうして足を運ぶのは、心の片隅にある、もしや、という気持ちがあるからだ。
 アルと二人、元の体になるために、何だってやってみせると誓った。だから軍の狗にもなった。家も焼いた。
 それなのに、ここまで来てエドは躊躇っている。そんな自分をよく分かっていた。
 マルコー・ノートに書かれた賢者の石の『造り方』。
 エドの能力をもってすれば、それを実現することは可能だ。
 だが。
「等価交換、って言葉が恨めしくなるよ。――胸クソ悪ィ」
 その言葉の意味を、かつて己の身体を持って思い知った。
 人は犠牲無しに何かを成し遂げることは出来ない。
 何かを成し遂げようとするなら、相応の代価が必要だ――
 つまり、己の身体を手に入れようとするなら、それ相応の――つまり、『誰か』の命が必要だということだ。
「人殺しに抵抗があるか?」
「……ったりめーだ」
「それは誰かが他人を殺して作った賢者の石を手に入れるのとどれほど違う?」
 ロイの言葉に、エドは目を細めた。
 しばらく沈黙が続いたあと、ぼそりと呟く。
「……違わねーよ。何にもな」
 それは、マルコーの残した研究書を解読したときから、ずっと思っていたことだった。
「オレが殺してるかどうか、それだけだ」
 己の手を汚さずに、何かを得ようとする――それが、錬金術の本意に反していることは分かっていた。
 それでも人を殺したくない。
 それでもアルを元に戻してやりたい。
 二つの思いがエドの中でせめぎ合う。
「アンタは人殺したことあるんだろ。……殺されたこともあるだろ」
「……ヒューズか」
「殺したから、殺された。得ようとしたから、喪った。――莫迦みてえ」
 死んだ者の命を求めて、自分達はその四肢を失った。
 うまくこの世界はできている、とエドは思う。
 あのときエド達に足りなかったのは、常識でも知識でもなく――猜疑心だった。
「オレが死んでたら、母さん、ちゃんと生き返ったかな」
 死んだ人間を生き返らせようとすれば、それ相応の代価が必要だと分からなかった。感情のままに論理を組みたて、命を生むという愚かな行為に及ぼうとした。あの、アルと二人、人体練成の式に手をかざしたときでさえ疑わなかった。
 ――母さんは、生き返ると。
「それでも私は」
 とロイは突如として口を開いた。
「私は、君が死ねば、君を生き返らせようとするだろう」
 何を言い出すのだ、とエドは目を見開いた。
 それでもそう口に出せなかったのは、振り向いたロイの目が酷く真剣だったからだ。
「大佐……?」
「幾人とて殺して、賢者の石だろうが何だろうが作るだろう。禁忌か何か知らないが、犯して法則式を組み立てるだろう」
「な……に言い出すんだよ、突然」 
 エドは咳き込むように言った。
 ロイの表情は変わらない。
 そのあまりの真剣さに、場が凍りつくかのようだった。
「大切なものを見喪うな」
 ロイはそう言うと、外套を翻した。
「まだ命のある身で、それを疎かにするな」
 死んでいたらなどと口にするな、とロイは言外に伝えた。
 錬金術そのものが生死に関わるわけではない。
 それでも、それで人を殺せる。
 殺されることも、ある。
「――事後処理が面倒なのだから、死ぬのは御免だ」
 どうしてロイがそれだけ死という言葉に反応したのか、エドは分かる気がした。
 同期のヒューズ中佐が殺されたのは、数ヶ月前だ。
 つい先日、エドも命の関わる事件に巻き込まれた。
「だから願わくば、私は賢者の石など見つかって欲しくはないんだ」
 ロイは感情を押し殺した声で言った。
「君はそんなものを持ってしまったら、きっとまた無茶をするだろうから」 
 そしてエドよりも先に廃墟を後にする。
 エドは唖然とした表情でその後姿を見つめ、それからそれをゆっくりと苦笑に変えて、髪をがしがしと掻いた。
「……アンタらしいや」
 エドは片眉を下げて、ロイを追いかけた。 

 

(終)


2004/02/08


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