等価交換


「子猫ちゃん、見ーっけ」
 間の抜けた声に、それが自分に掛けられた声だと理解出来ず、近付いてくる足音に気付いて、ようやく顔を上げた。
 中央軍本部の非常階段。
 太陽は南中から大分西へと下っているが、それでも白々しく輝いて逆光になり、目が眩む。
 エドは目を細めながら、手袋をしたままの手のひらを翳した。
 すると、すぐ上の階段から、すとんと影が飛び降りてくる。見慣れた男だ。その男はエドが座り込んだすぐ前に立つと、
「よ」
 と軽く手を挙げてみせた。
「ハボック少尉」
 エドは顔をしかめた。
「……アンタか」
「こらこら、年上に向かってアンタは無いだろ」
 声の持ち主は、大して怒ってもいないような口調でそう言った。
 咥え煙草が妙に絵になる男だ。
 煙草など咥えたもので、よくまあぺらぺらと喋ることができるものだ、とエドは不思議に思う。
「何か、用か」
「俺の上司が君をお探しでね。見つけて連れて来いって命令なのさ」
「……無視しちまえよ、そんな命令」
 エドは顔を背けて言い放つと、がしがしと頭を掻いた。
「そーゆーわけにもいかなくてなァ。上司の命令は絶対だし?」 
「オレは付いてく気無いぜ」
「そんなこと言ってると俺の給料が減っちゃうんだけど」
「知るか、ンなこと」
 エドは解いた髪で顔を隠した。
 すぐ前に立ったハボックは、軽く首を傾げて、
「また大佐と喧嘩したのか?」
 と溜息混じりに片目を細めた。
 エドはその溜息にカッとなって、ハボックをにらみつけた。
「オレが悪いんじゃねえよ! 大佐が……ッ」
「大佐が?」
「……その……大佐が……」
 勢いで開いてしまった口だが、次第にぼそぼそとした小さな声になっていく。
 ハボックはわざとらしく手のひらを耳に当て、エドと同じ視線の高さになるように膝を折った。
「大佐……忘れてたんだ」
 顔と顔がくっついてしまうほど傍によると、ようやく不貞腐れたような少年の顔が見えた。こうすると、エドの顔はずっと幼く見えることをハボックは知っている。
「何を」
「……約束」
「何の」
「……今度、休み取るって」
 言った少年の唇がスネたように尖る。
「――ずっと言ってたんだぜ、もうちょっとしたら暇になるから、休み取ってくれるって」
「で? 大佐がソレ覚えてなかったの?」
「覚えてなかったっつーか……」
 エドの整った眉が歪む。
「東部への出張があるから、今度の休みは中央にいないって。で、約束どうなったんだって聞いたら――」
「聞いたら?」
「『ああ、そう言えばそうだったな』だってよ」
 ロイの口調を真似てエドが言う。
 はあ、とエドは盛大な溜息をついた。
「女の約束は覚えてるくせに」
 ハボットは咥えた煙草を、火気厳禁なはずの非常階段の手すりの端で軽く叩いて灰を落すと、それをもう一度咥えた。
「……オレのことなんか、覚えてねーんだ」
 それは完全に子どもの拗ね方だったが、ハボットはそれを言うことを避け、口元を軽く上げた。鋼の錬金術師。重々しい名前に余りにも似合わない幼さ。だがそれを言ってしまえば、国家錬金術師という名前の意味する威力を目の当たりに見ることに――あわよくば受けることに――なってしまうことを過去の経験から知っているから、口を開くより先に、ぽんとエドの頭に手を乗せた。
「『出張』って言ったのか?」
 ハボックはエドの言葉を繰り返した。エドは訳がわからずにきょとんとしている。
「あの完璧主義の中尉が見張ってて忙しくてしょーがない中央の大佐が、部下の俺にさえ知らされてない『出張』で東部まで行くって?」
 まだエドには理解できていないらしい。
「中央に行くと決まったらいの一番で身の回りの整頓を始めて、東部を離れるときだって一週間前にはすっかり整理整頓を終えて、なのに中尉に言われなきゃ書類のひとつも書かない軍で一番面倒くさがりな大佐が、今更東部に『出張』に行くって言ったのか?」
 エドがようやくそのことに気付いたのか、口をまるく開いた。
「ちなみに、その大佐から伝言だ」 
 エドに分かるように、ハボックは更に口元を引き上げて見せた。
「『来週の東部の”出張”は、是非鋼の錬金術師も同行されたし』」
 にっ、とハボックは笑って見せた。
 エドはまさかという表情をしている。
 エドは案外ロイを知らない。そのこともハボックは知っている。
 ロイ・マスタングという男がどれだけひねくれていて素直ではなくてとっつきにくい人間であるかということをよく知っている。
 そして目の前にいる少年も、おそらく分類すればロイと同じ部類に入る人間であるということも分かっている。
「早く行ってやれよ。今ごろ大佐は、予定の無い『出張』が中尉に知れて真っ青な顔してるハズだぜ」
 片目を閉じて見せると、エドはようやく顔を紅く染めて立ち上がった。「サンキュ」と小さく呟き、そのままハボックの前を通り過ぎる。さらり、と解いた金色の髪がハボックの目の前を縋った。
 反射的に手が伸びた。
「ちょい待ち」
「……?」
「等価交換」
 くい、と髪が引っ張られてエドは立ち止まった。
 何?と視線が訴える。
 髪と同じ目をした金色の瞳。
 ハボックは無意識のうちにその顔を引き寄せた。
 ほんの一瞬、掠めるように唇を奪う。
 あまりにその瞬間が短すぎて、エドには一体何なのかすぐには理解出来なかったくらいだ。
「……情報料な」
 エドが我に返る頃には、ハボックは背をくるりと返し、非常階段を一階跳びに降りているところだった。
 エドは思わずごしごしと服の腕の部分で唇を拭いながら、
「何だよ、――アイツ」
 と呟いた。
 下りかけた太陽のためか、その顔は僅かに赤らんでいるようにも見えた。

(終)

 


(後書)
ハボエド初書き小説。
こういうハボックが好きです。
報われない男は格好善い……(ぇ)
2004/03/03


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