シガレット


 すぐに消えると思ったのに。

「……煙い」
 自分で呟いて目が覚めた。
 視界は真っ白で、それが肌に触れるシーツの為だと気付く。
 何度か瞬きすると、そのシーツがするりと動くのが判った。
 正確には、ひとつのシーツの中にいる、隣の存在が。
「よう」
 彼は、咥えていた煙草を指に取ると、いつものように笑った。
 まるでそれは廊下で擦れ違うような気軽さだったから、エドは自分の置かれた立場が一瞬理解出来なかった。
 少しずつ覚醒していく意識の中で、肌に直接シーツを感じ、自分が何も着けていないことに気付く。
 どうして、俺、何も着てないんだっけ。
 そう考えた次の瞬間、エドの白い頬が、ぼんっと音を立てそうに赤く染まった。
「……あ……」
 その場所がどこかというのはすぐに分かった。
 ここは、ハボックの家の中。
 それも寝室の、ベッドの上で。
 自分たちが昨晩ここで何をしたのか、頭の中に思い出しただけで眩暈がした。
「目、覚めた?」
 彼はどこ知らぬという顔で笑っている。
 何でコイツはこんな平気な顔してるんだ、と少々八つ当たり気味にエドは腹を立てながらも、そっと真っ赤になった顔をシーツの中に隠す。恥ずかしくて顔を合わせられなかった。
「何、シーツの中に潜り込んでるの」
 そのまま言い当てられてしまった。
 窓から差し込んでくる太陽の光は燦燦と眩しく、時刻が朝より昼に近い事が知れる。
 そう言えば、この部屋に足を踏み入れたのも、それが理由だった。
『明日、仕事が休みなんだ』
 久しぶりに来たんだろ、と彼は笑った。
『何か話したそうな顔してる』
 聞いてやるよ、と言った。
 そういう顔をしているつもりは無かったが、この数ヶ月アル以外の人間とほとんど顔を合わせていないせいか、無性に人恋しかったのも事実だ。
 セントラルに立ち寄ったものの、会おうと思っていた大佐は忙しそうで、話し掛けるのを躊躇われたのだ。
 だから、仕事帰りだというハボックに付いて部屋を訪れ。
 意外に上手だった手料理を食べ、調子に乗ってワインに手をつけたところまでは覚えている。
 ……そこから先は。
「あんまり潜ると窒息するぞ」
 ばさり、とシーツを捲られ、エドは慌てた。
「み、見んなよ!!」
「……どうして?」
 どうしてもだ、とエドはつっけんどんに答えた。
 とりあえず体を隠すものはないかと部屋を見回し、ベッドの傍にルーズに脱ぎ捨てられている自分の服を見つける。
 それを見た途端、益々顔が赤くなるのを感じた。
 服を脱いだことは、正直、
「覚えてないんだろ」
 その通りだった。
 思わず言葉に本音が零れる。
「やっちまったのか?」
「やっちまったね」
「最後まで?」
 うーん、と数秒ハボックは考える振りをして、
「うん、最後まで。」
 とあっさり答えた。
 はあ、とエドは肩を落とす。
 その様子にハボックは片眉を上げた。
「……嫌だった?」
 そうじゃないけど、とエドは言った。
 そうではないけれど、自分でもどうだったのか、よく覚えていない。
 嫌では無いけれど、だからといって、自分は。
「俺、さ――」
 言い出しにくくて、言葉が鈍る。
 だがその次の言葉を言う前に、彼が口を開いた。
「心配しなくても大佐にゃ言わねえよ」
 エドはバッと彼を見る。
 煙草を横に咥えた彼の金色の短髪が光に透かされ、その色が一瞬エドの視線を奪った。
 自分よりも色味の強い金髪。金というよりも、琥珀色に近い前髪の隙間から、薄い青色の瞳が見える。
 その口元に咥えられた煙草から、思い出したようにゆらりと煙が上がる。
「……じゃあ」
 声を上げたのはエドだった。
「知ってて、お前……何で、こんなこと」
 多分、彼は知っている。
 そんな確信が以前からエドの中にはあった。
 大佐への気持ちを見抜かれている。
 自分が、ロイ・マスタングという男をどんなふうに想っているか、彼は知っている。
 彼の部下として彼の傍にいて、そして大佐がいないときはよく話し相手になってくれる。
 だからこそ、その飄々とした身振りと口調の中に、きっと大佐への想いを悟られているのだと薄々気付いていたのに。
 知っているなら、どうして、こんなことをしてしまったのか。
 それは直接自分に返って来る問いだと気付き、エドは口を噤んだ。
 昨日だって、会いに行ったのは大佐だったのに。
 どうして自分はこんなことをしてしまったのか。
「――判んねえ」
 ぐしゃぐしゃと髪をかき乱した。
 よく笑う男だと思った。
 軍本部に行って、誰よりも真っ先にエドの視線に気付いてくれるのは彼だった。
『淋しいんだ』 
 昨晩、ふと自分が呟いた言葉を思い出した。
 あれはいつ言ったんだったか――。
 食事の間?
 ワインに手を付けてから?
 それとも。
『……なあ、アンタならオレを』
 オレを――。
 ふと、煙草の匂いが鼻を掠めた。 
 咽るより先に唇が塞がれ、それは一瞬で去っていく。 
 我に返ると、彼が立ち上がり、部屋のドアに手を掛けていた。
「お前が判んなくても善いよ」
 ズボンを既に身に付けた体に、白いシャツを羽織る。
 逆光で表情は分からなかった。
「俺が多分、お前を好きなだけだから」 
 でも、彼は笑った。 




 何度もシャワーを浴びたのに。
 あれからまだ一度も会っていないのに。
 あの煙草の香りがまだ消えない。

 すぐに消えると、思ったのに。


(終)

 


(後書)
ハボエド情後……。すみませんやっぱりハボック報われない男です。
2004/04/28


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