NOISE



「どうしたら君は逃げないかな」

 というと、思った通り、彼は唖然とした顔をした。
「雨が降ってアタマでも湿気たか、大佐」
「私の頭は煎餅でなければ砂糖粒でもないよ」
 体を伸ばして煙草を手に取る。
 こういうときにしか吸わない煙草は、だからだろうが、とても苦い。
 窓の外は雨が降りしきっている。
 雨音が聞こえず、ただノイズのように窓ガラスの向こうの景色が歪んでいる。
「あのさ、煙いんだけど」
「窓は開閉自由だが」
「雨でそこらじゅう濡らしていいんなら蹴り開けるんだけど」
「無理だろ、その足じゃ」
「届かねえって言いたいのかよ」 
 彼は唇を尖らせて私を睨む。
 その仕草が余りにも可愛いものだから、私はつい煙草を指先に取って。
「……ニガイんだけど」
 唇を離すと、彼はそっぽを向いてそう言った。
「実は私もそう思う」
「なら吸うなよ。あー、やっぱ窓開けよ」
 彼はベッドから体を起こすと、シーツを肌に巻き付けたまま手を伸ばした。
 カチャリ、と窓の鍵を外す。
「――鋼の」 
 私が呼ぶと、彼は不審そうに私を振り返った。
 部屋の明かりもつけていないのに、月も出ていないのに、不思議と彼の表情が手に取るように分かった。
「何」
 結んでいない金髪が揺れる。
 それが歪んだ窓にも映る。
 私は不意に彼の手を引きたくなった。
 だから煙草を灰皿でじりっと揉み消すと、シーツごと彼の体を引き寄せ、組み敷いた。
「……どうしたんだよ」
 と彼は私の下で穏やかに呟く。いつものように。
 彼は、私が雨を嫌うことを知っている。
 雨の夜にだけ煙草を吸いたがることも。
 見下ろした薄い琥珀の瞳はとても透き通っている。その中に私が映っている。
「どうしたら私は君を逃がさないで済むだろうか」
 一息で言う。
 窓を開ける彼の指先に力が篭った瞬間、私は総てを失ってしまうのではないかという虚脱感に襲われたのだ。
 今はこうして抱いていても、いつか彼は何処かへ行く。
 私に何も告げず、ふいといなくなってしまう。
 そして時折顔を出すと、何事もなかったかのように笑い合う。
 私は本当は、彼を窓の外になど出したくはないのだ。
 いつか彼がそのままこの場所に帰って来ない日がくるのではないかと思うから。
「オレはヒューズ中佐じゃない」
 彼は何の抑揚もない声で言った。
 それは、自分は彼とは違う、と私を責めるようでもあり、また自分は彼のように死んだりしない、と私を慰めるようでもあった。
 雨の日は嫌いなのだ。

 窓を開けると、あの日の受話器の向こうで聞こえた細かいノイズに、それはよく似た雨音が耳を伝うから。
 
「そんな顔するなよ」
 彼は私の頬にそっと手を添えた。
 私はどんな顔をしているのだろう。
 そう思っていると、彼の手のひらが幾粒かの滴を掬った。
 すぐにそれは彼の手のひらでは足らず、シーツにぽたぽたと沁みこんだ。
「――泣くな」
 泣いてなどいない。
 それでも君の小さな肩に私は額を押し当てる。
 どんなに彼がそれを嫌がったとしても、私はもうそこでしか泣けないことを知っている。
 彼は私の髪に指を絡めると、ひとつ小さな息をついた。
 そして鍵の外れた窓を見つめて、
「雨、止まねえかな」
 と呟くのを聞いた。



 (終)


台風が来たので書いてみたヘタレ大佐。彼は究極のヘタレです。(ぇ)
2004/06/22


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