erode



 目を開けると、真っ青な色が広がっている。
 勿体無くて瞬きをせずにそれを見つめていたら、ぼやけた輪郭が次第に鮮明になっていく。
 それでもまだ曖昧な境界は、青と白のそれ。
 空と雲だ、と気付いた。
 ほんの少し息抜きをするつもりだったのに、意外なほどの時間まどろんでしまったと分かったのは、目を閉じる前は日陰になっていたコンクリートのベッドが太陽の光を吸い込んで温もりを帯びていたからだ。
 このベッドの階下では部下達が自分を捜しているのかもしれないと思ったが起き上がる気にはなれなかった。
 雲がゆっくりと流れている。留まっているようにも見えるのに視点を固定させるとその動きがわかる。
 軍本部の屋上は酷く静かで、人影は全く見当たらない。皆こんな場所になど足を運ぶほど暇ではないのだろう。
 ぱたぱたと視界の端で軍旗が揺れている。その音だけが耳に聞こえている。もっと耳をそばだてれば近くの軍訓練所で整列する号令の声や笛の音が聞こえるのかもしれなかったが、それは厭わしくて耳に入れないことにした。
 煩雑な日々が続いている。驚くほどに。
 白い書類に埋もれながら単調な操作を繰り返し、時折部下と他愛無い会話を交わしながら珈琲に口をつける日々。
 それを後悔することは無い。
 後悔することはやめると決めた。初めてひとの命を自分の手で握りつぶした日に。
 赤目の褐色の肌をした少年だった。
 炎、
 瞬間的に発生したそれに触れ、
 少年は目の前で煙すら上げずに一瞬にして、
 燃え尽きた、
 あの瞬間をまだロイは覚えている。
 黒焦げになって変性した蛋白質の塊が自分の目の前で崩れ落ちたときの一瞬を。
 自分はひとを殺したのだ。
 という後悔は、それもほんの一瞬しかロイの胸に込み上げなかった。
 その念がロイの全身に染み渡るよりも早く、その黒焦げの塊を飛び越えるように次の敵が武器を構えて襲いかかってきたために、ロイは永遠に後悔を指先まで感じる機会を失った。
 ついに今まで。
 既に少年の顔すら忘れた。あの直後はあんなに鮮明に覚えていたのに。
 あれから数え切れないくらいのひとを殺した。恐らく両手で数えても足らないほどの人間の心臓を灼いた。
 右手の甲を額に当てる。 
 その手のひらが白い手袋をしているのが妙におかしかった。
 等価交換だ、と思う。
 自分は錬金術を手に入れたが、その意義を既に他人に譲り渡してしまった。
 この発火布を擦り合わせ炎を生むのは、軍の意志だ。 
 どんなにそれを厭うても、それを用いて殺せと言われれば自分は中指と親指を擦り合わせるだろう。
 そして目の前で黒焦げたそれが崩れ落ちるのを、見るのだ。
 だから己の目は黒いのかもしれない、と冗談ではなく思うことがある。
 見ることを耐えうるように、と。
 ふと頭上に影が出来た。
 逆光で目が眩んだ。
「なに昼寝してんだよ」
 と無愛想な声で彼は言ったが、声を聞く前から彼が誰であるかロイは分かっていた。
 どんなに目が眩んでも見慣れた金髪が色褪せるわけではない。
 ただこの黒い目には少し眩し過ぎるだけだ。
「眠ってなんかいないさ」
 その金髪が揺れて、呆れたような声が聞こえる。
「ったく、久々にセントラルに来てみりゃコレだもんな。オレまでアンタ捜すのに駆り出されちまうし」
「それはご苦労なことだな」
「全くだよ」
 彼はまだ自分を見下ろしている。
 太陽のように。
「アンタが調べて来いっていうからわざわざ北部まで行って来たのに」
「どうだった」
「寒くて凍えそうになったから公費ガンガン使ってファーストルームに泊まってやった」
「ほう。まだ寒いか」
「なぁんか街自体バタバタしてたしな。お目当ての参考になりそうなモンは何も無かったけど」
「愁傷だな」 
 というと自然に笑みが湧いた。
 金糸の束がぱさりと風に揺れる。その瞬間色がドッと戻ってきたように空の青みを感じた。
 青色の中に立つ彼は本当に太陽のようだ、と思う。
 そう思う自分に、まだ半分眠りの世界にいるような思考だと苦笑が浮かんだ。
「何ニヤニヤしてんだよ」 
「微笑んでいると言ってくれたまえ」
「どっちでもいいだろ。気色悪いな」
 そう言って恐らく眉をしかめている彼もまた、少年だ。
 けれど彼は手のひらを穢すことを既に知っている。
 彼はひとを殺す残虐を知らないが、死んだ者を蘇らせる慙愧を知っている。
 いつしか彼もまた知るのだろうか。
 己の手で命を握りつぶす瞬間の、あのリアルな感触を。
「どうした」
 何も言わない自分を不審に思ったのか、彼は膝をついてロイの顔を覗き込んだ。
 ようやく表情がはっきりと見える。
 透き通っているのは、金色の目だ。
 それを己の黒ずんだ瞳に映し出してしまうのが怖いくらいの。
 口の中がからからと音を立てそうに乾いている。
 唇をゆっくりと舐めてみせた。
 彼の眉毛がぴくりと動く。
「昼寝をしたら、喉が乾いてしまったよ」
 声が掠れた。
「なあ、鋼の」
 何度も燃え尽きる心臓を見てきた自分は既にあの崩れ落ちた黒焦げのように水分を失った蛋白質と同じだ。

 それでも君なら私を侵食出来るだろうか。

 彼は小さく笑う。
「言ってろ」
 そう呟くように言うと、エドワードはロイに覆い被さるようにコートを引き摺って唇を合わせた。
 結った金髪から零れた細い金糸がさらりとロイの頬にしなだれかかる。
 服越しに伝わる温もりはなまぬるくて、その髪を少し引く。
 舌を潜り込ませると、ダイレクトに体温が伝わった。
 薄く目を開くと、その何処にも青い空はない。白い雲も。黒い塊も。
 総てが金色だ。
 自分はきちんと太陽に侵食されている。

 ああ、とロイは安堵した。
 


 (終)


リクを下さった希羅さまに捧げます。「ロイエドロイ」というお題でしたがエドロイ色強めです(汗)
寝てるロイにエドが被さって口付け、というシチュに物凄く萌えるのです。
2004/06/27


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