跪く



「まったく、この時期の西部への出張は勘弁してもらいたいものだね」
 と言いながら仕事用の鞄を放ると、それを寝台の上でしっかりエドワードはキャッチした。
「暑かっただろ」
「セントラルが涼しく思えるくらいだ」
「それでも南部に比べたらまだマシだと思うぜ、ダブリスは地獄だった」
 おや、とロイは軍服の上着の襟を緩めながら、寝台の上で寛いでいるエドを見た。
「南部に行っていたのか」
「師匠のトコ行って来るって言ったじゃんか。アンタが出張行ってるのにこの部屋にいてもしょーがないし」
 この額にロイは軽く口づける。
「可愛いことを言ってくれるな。いつ帰って来たんだ」
「今日。てかさっき。アンタがあと1時間早けりゃ玄関で鉢合わせするところだった」
 とロイのそれより一回り小さな書類用の鞄を示して見せる。当の本人はというと、シャワーを浴びて旅先の汚れも落としたようで、すっきりとした様子だ。ズボンとシャツはこの部屋の主の持ち物を失敬した様子で、体の線にそぐわない。
「夕食は?」
「あー、オレは駅でちょこっとだけ食ったからなあ。大佐は?」
「まだ食べてないんだ。後で作ろう」
「んじゃオレも食べる。駅の飯ってあんま好きじゃねーんだよ」
 わしゃわしゃと髪をタオルで乱暴に乾かしながら、んしょ、とエドは寝台に這い上がった。
 ああ疲れた、と言いながら気持ち良さそうに寝転がる様子に、ロイは小さく微笑んだ。
「あ、そーいえば」
 とエドは体を反転させると、寝転がったままロイの方を向いて言った。
「大佐に土産があったんだ」
「土産?」
「ん。ちょっと待って」
 そう言うと、エドはごそごそと鞄をあさり、見つけたものをロイに軽く放った。
 それは手のひらにおさまるくらいの、木製の像だった。穏やかな顔をして子どもを抱く女性の姿が、決して精密では無いタッチで掘り出されている。そのいびつさが却って木像そのものに温かみを与えているようだ。
「何だ、コレは」
「ついでだから一通り南部回ってさ、まあその……例のものを探してたんだけど見つからなくて代わりに手に入ったもの」
 自分の出張中に南部へ行くというのは、なるほどそういう目的だったのか――とロイは軽くエドを睨んだ。その視線を受けてエドがハハハと引き攣った愛想笑いをしてみせる。
 賢者の石を探しにひとりで旅をするなど、ロイがいたら許さなかっただろう。弟がいればまだ善いが、アルフォンスは調整のために東部へ帰っている。
「そんな目で睨んでちゃモテねーぞ、大佐」
「心配するな。生憎君以外のことで私は滅多に怒らない」
「無事だったんだから善いじゃねーか」
 賢者の石に関するような場所を見つけても、単独調査ではなく必ず一度自分に報告するように――とロイが言ったのはつい最近のことなのだ。あまりに事件に巻き込まれるエドを見かねて。
 ふう、とロイは溜息をついた。
「まあとにかく……どうしてまたこんなものを」
 手の中にあるのは、どこの民芸品店でも売っていそうな木像だ。ロイが訊ねると、話を整理するように天井を見上げながら、
「『ひとの総てを統べるもの』――そういうものが南部のランティスっていう田舎町にあるって情報が手に入ってさ。まあそういうのって殆どガセネタなんだけど、万が一ってこともあるだろ。」
「……ランティス」
「お、ピンと来た顔だね大佐殿。そう、ランティスには軍の旧生態研究基地があった。もっとも数年前に取り壊されて、今の地図には載ってない。不思議なのか皮肉なのか賢者の石はかなり高い確率で軍の研究施設と関連してるから、行ってみる価値はあると思ったんだよ」
 ロイは上着を脱いでシャツの胸元を広げると、エドが寝そべっている寝台に腰掛けた。
「ま、結果的には外れだったけどね」
「結局何があったんだ?」
「だからソレだよ」
 とエドは女性と子どもを模した像を指す。ロイは判らずに、もっと詳しく説明したまえと目で訴えると、しょーがねえなあという目をしてエドは口を開いた。
「母神信仰さ。――まあ、簡単に言えば新手の宗教だな」
「それが旧研究基地に?」
「んー、つーか研究基地自体は取り壊されて、その跡地に教会みたいな建物が出来てた。一応報告まで」
「ほう」
 エドは鞄の中から小さな冊子を取り出した。
「地を統べる母は総ての生き物を生み出し、抱き護る神である。これは世界総ての根源となり、ひとを含め総ての生き物を統べるものである。――だってさ」
「なるほど」
 曖昧に聞き流し、ロイは木像を見た。
「『ひとを統べるもの』か」
 それは神であったか。
 とロイは口にしかけたが、それをやめた。エドが思ったよりも真剣な目をしていたからだ。
「神と賢者の石は同義ってわけだ」
 やってらんないねえ、とエドは言う。
 確かにその両者はとてもよく似ている――存在し得るかし得ないかという点において。
 そして神は人にしか作り得ない。賢者の石と同じように。
「オレたち錬金術師は神を否定するけど、同じくらいの存在確率のものをオレは探してる」
「そうだな」
「どっちが楽なんだろう」
 エドの言葉にロイは片眉を上げたが、エドはそれ以上もう何も言わなかった。
 宗教、というものをエドは信じるタチではない。
 自分が喩え錬金術師でなかったとしても、おそらくそうだったろうと思う。
 神は何もしてくれない。
 誰も助けてくれない。
 そんなことを誰しも判っているはずなのに、ほんの少しの加護を求めて神に膝を折る。
 何故。
 隣で祈りを捧げていた老婦が笑った。
(あなたは祈らないの)
 信じていないから、と答えた。
(まあ、そう)
 老婦はひとのよさそうなふっくらとした顔をほんの少しだけ傾け、口元に手を当て、
(でも)
「信じた方が楽になれるのに」
 とエドはぽつりと言った。
 神に祈ることは、神に己総てを預け切ることだ。
 吉凶も総て神に依存し、その責任は己に無い。
 吉事は神の加護、凶事は神の天罰、そう思えば苦しいことやつらいことに振り回されることもない――総ては自分のせいではなく、神のせいなのだから。
 神はひとの歓びの中からは生まれない。
 神が生まれるのは、常に世の中が破滅の狭間に落ち込んだときだ。
「では君は何故神を信じない?」
「オレはオレを失う経験を二度した。一度目はこの左足とアルを失ったとき、二度目はこの右腕を失ったときだ。あのとき、世界を統べるものは神じゃないと思った。――真理だ」
「それならば賢者の石を探せばいいさ」
 とロイが意外な言葉を吐いたから、エドは頭を上げた。ロイは木像を部屋の片隅に置いてエドを振り返る。
「もっとも、私に話を通してからにして貰いたいがね」
 エドはロイらしいその言い方に小さく笑った。
 結局のところ、神が存在するかしないのか、エドは知らない。知らなくても生きていけるし、知らなくても闘わなくてはいけない。
 それでも、もし仮に神が存在するにしても――自分は信じないだろう、と思っている。
 それよりも信ずるに足るものは、この世に幾らでもある。
「アンタは神を信じる?」
 と訊ねられ、ロイは少し考えるふりをした。
「信じるよ」
 予想外の返事に、エドの目が少しだけ見開かれる。
 だが、ロイの口元に浮かぶ笑みに何かを悟ったのか、驚きの表情をゆっくりと苦笑に変えていく。
 上半身を起こし、寝台に腰掛けたエドが、挑発的な目をして言う。
「じゃあ、跪いてみせろよ」

 ロイは無言で寝台に歩み寄ると、立ったままで一度エドに視線を合わせた。
 そしてその視線を外さないまま、神妙な様子で片膝を折り、折った方の膝に手を添える。
 神に跪く。
 神とは、それは、つまり。

 エドは、自分より位置の低くなったロイの黒い瞳をしばらく見つめていたが、ゆるりと笑うと、首を少し傾けて、唇をそっと相手のそれに近付けた。

(終)


一応竜さんトコの壱万打御祝ということで書いていたのですが……激しく路線がズレました。
竜さん、気に入ったらもって帰って下さい(笑)
跪く大佐が書きたくて書きたくてしょーがなくて書きました。(爆)
あ、念のため、「ひざまづく」と読んで下さい。
2004/08/03


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