(厭だなあ)
 カーテン越しの光は容赦無い。
 はじめはゆるりゆるりと頬を撫でるように注いでいた光が、赤みを薄らがせ、高度を上げるにつれてじりじりと瞼を差す。
 実はほんの数分前から目は覚めていたのだけれど、シーツから這い出る勇気がなくて、まだぬくもりにしがみ付いている。
(朝なんて) 
 来なければいいのに、と思う。
 目覚めなければいけないことが億劫で、なまぬるい眠りに浸る。ずっとこのままでいたい。
 どうして世界はこんなふうに回るんだろう。明日なんて、と思っても日が暮れるし、ああ今日も、と思っても日は昇る。
 まるでちっぽけな自分達の些細な溜息など、蟻の呼吸と同じ小ささで押しつぶされる。
「目覚めが悪いようだね」
 声を掛けられて、隣の男が目覚めていたことに気付いた。
 まだ寝癖のついたまま、片腕を立ててこちらを見ている。そういう彼もおきたばかりのようで、声にはおきぬけの感が否めない。それでも片目を閉じて自分をからかう様子は窺い知れたので、わざと気付かないふりをした。つまり、狸寝入りというやつを。
「随分と布団が恋しいようだが」
 前髪をすくいあげられる。
「朝は強いんじゃなかったのか、鋼の」
「強いさ」
 答えてから、しまったと思った。狸寝入りをしているつもりだったのに。
 目を開くと、さも嬉しそうなロイの顔がある。
 エドは溜息をついた。
「眠いわけじゃないよ」
「じゃあそろそろ起きたまえ」
 今日は昼前には図書館に行くとか言っていただろう、とそのまま前髪を梳かれる。その手を払って、余計なお世話だ、というようにエドは唇を尖らせた。
「そういうアンタは善いのかよ、大佐のくせに」
「こういうときのための有能な部下だからな」
「ずっりィ……」
 そう言いながらもずるずるとシーツに潜り込む。体がだるくて仕方ない。別に何をしたってわけでもないけれど。
 眠りは余りにも居心地がよすぎる。
(ずっと寝ていられたらいいのに)
 瞼が重い。光がまぶしすぎて。まだ闇の中で呼吸をしたい、と瞳が訴える。
 眠気よりも億劫さが身の上にのしかかる。
「何だ、鋼の」
 ひたり、とロイの手の平がエドの頬に触れる。
「五月病か」
 言われて、そうかもしれない、と思った。
 目を開くとすぐそばにロイの手があって、それに頬を預けた。自分より僅かに低い体温が心地よい。
 この間の異動で、ロイは大佐という軍位に加え、軍の中間指揮を司る重要な任務についたらしい。そのせいでこの間からすれ違いばかりだ。会っても相手は演壇の上、式典の時に視線を交わす程度で。
 段々遠のいていく。そんな感覚にエドは眩暈を覚える。
 そんな彼に比べて、軍の狗になろうと決めてセントラルにやって来たのに、軍務に就かない自分。
 これで錬金術が使えなかったら、本当に自分は只の役立たずの餓鬼だ。ましてや女でさえ無い、自分以外のもので彼を繋ぎとめることなんて出来ない自分。
 それが判っているから苦しい。切ない。
 いつかこの手が自分から離れていくような気がして。
 そう思うと、右腕と左足を拘束するオートメイルが、彼と自分を繋ぐ唯一の媒介でさえあるような気がした。
 そこまで考えて、考えるのに疲れて、ふるり、と頭を振った。
(何もかも捨ててしまえたらいいのに)
 彼への気持ちも、この苦しさも、全部。
 それなのにしがみ付いてしまう。眠気にごまかして、その胸に。
「どうした?」
 普段なら絶対にしない仕草に、ロイは苦笑するような声で尋ねた。
 何でも無い、と言うのさえ億劫でしがみついた手に力を込める。
「鋼の」
 呼ばれたけれど顔は上げない。 
 髪をそっと梳かれる。
「仕事を投げ出して何処かに行ってしまおうか」
 彼らしからぬ唐突なことを言うので、エドはそっとロイを見上げた。
 その合間に呼吸するようにロイは笑う。
 髪を梳いていた手が、もてあましてエドの唇に触れる。
 もう温もりなんて判らない。体温が混じってしまって。
「何処に?」
「何処でもいいさ。誰も知らない場所に」
「困るよ、アンタの有能な部下が」 
「そういうときのための、と言ったろ」
 彼らしい物言いに安心して、ご愁傷さま、と笑みが零れる。
 唇から舌をほんの少し出して彼の指を舐める。
 彼の唇と同じ味がした。
「砂漠でも、雪国でもいいな――でも出来たら何も無い場所が善い」
「どうして」
 けれど、彼の唇のほうが少し温度が高いのだ、と気付いたのはその数秒後。
「君を連れて行くのに、買い物や観光ではつまらないし」
 何だそれは、と文句を言う前に唇を塞がれた。



「何もなければ、その目は私しか見ないだろう?」



(ああ)

 呼吸さえ、一瞬の息さえ、彼は容易く攫ってしまう。

(こんなに近くでそんなことを囁かれたって)
(どうせ)
 どんなに目を強く閉じても、
(アンタしか見えないのに)
 この思いさえ捨てさせてくれないのか、と煩悶する胸に響いた痛み。
 エドは軽く眉を顰める。
 強く髪を探られたからではなかった。

 次の口付けで痛みごと持って行かれてしまった自分は、いつかそうして、彼に何もかも攫われてしまうのだろう、という予感を覚えて。


「き」 きみをつれて
For dear HINAGIKU.