オレンジ色の蜜柑



 ふと今、お前は何をしてるんやろうか、て思うことがある。
 副長に怒鳴られてるか、
 沖田さんに遊ばれてるんか、
 まだ兄貴に過保護されてるんか。
 療養室の窓をぼんやりと眺めて、
 医療用の書類に目を落として、手袋外して、口覆外して、
 ふとお前の名前が呼びたくなるとき。
「ススムー!」
 不思議なことにいつもお前はやってくる。
「今、暇かぁ?」
 いつだって変わらない笑顔で。






 
「ホラ、たまには外の空気吸わねーと、病気になっちまうぞ」
 そう言って彼がいつも引っ張り出すのは、屋根の上だ。
 どこからかっぱらってくるのか、壊れ掛けの梯子の先を登って、その上から『来ないのか?』と自分を見下ろす。
 そうすると、そうしなくてはならない気分になって、ギシギシと軋む梯子に足を掛ける。
 ひとあし一足、ゆっくりと屋根に上がると、既に彼は上機嫌で、嬉しそうに背伸びをして瓦に寝転ぶ。
 日が傾きかけた空は瓦を一色に染め、まるで朱色の絵の具を空からぶちまけたようで、そんなときはいつも目立つ彼の赤い髪もほとんど目立たなくなる。
 何しろ、髪だけではなく、爪も瞳も総て朱色に染まってしまうのだ。
 この場所に通いなれていたはずの丞でさえ、それは息を飲んでしまうほどの見事な色だ。
「何ぼーっとしてんだよ、早く上がってこいよ」 
 鉄之助は屈託無く笑う。
 丞は梯子にまだ足を掛けていたことを思い出して、体を瓦の上に投げ出した。
 コトリ、と瓦が席を譲る。夕暮れに、ついた手のひらから昼間の熱がじんわりと伝わった。
 温かい、と素直に思う。
 以前は温度などを、感じた事は無かったのに、医者などはじめて、しばらく手袋を付けている間に皮膚が薄くなったのだろうか、と手のひらを眺めて見る。
「何だ?何か手についてるか?」 
 気付くと、鉄之助が自分の手のひらを、自分と一緒にしげしげと眺めている。
 恥ずかしくなって、丞はバッと手を隠した。
「何や、吃驚させんな」
「ナニって、お前ずっとぼんやりしてるからさ。熱でもあんじゃねーの?」
「アホか。医者が熱出してどないすねん」
 鉄之助が自分の額に伸ばした手を、反射的にぱしっと跳ね除ける。
 以前と変わらない、くりっとした大きな目で自分を見つめる鉄之助は、不審そうに片眉を上げたが、「ま、いっけどさ」とそのまま視線を外した。
 鉄之助が寝転ぶと、風がスイと屋根の上を走りぬけた。
 ばさばさと髪を乱し、夕焼け空の朱色に消える。
 こうして見ると、本当に鉄之助は大きくなった、と思う。
 新撰組に入ったばかりの頃は、背丈は自分の胸ほども無かったのに。
 丞は瓦の上に腰を下ろしている。その傍に寝転んだ鉄之助はどこの国のものとも知れない聞き慣れない歌を口ずさんでいる。これはいつものことだ。
 鉄之助の伸びた髪は、本当に獣のようにまっすぐで、今日は留めていないのか、寝転んだ瓦の上に四方八方に広がっている。
 それでも獣のそれよりはずっと柔らかそうで、あちこちで癖のある跳ね方をしている。
 その髪の先は赤というよりも既に金色に近いようで、瓦の色が透けて見えた。
 否、それは目の錯覚だったのかもしれない。総てが朱に染まっていたのだから。
 今日もまた道場で稽古をしていたのか、着物がめくれて見えるあちこちにアザのようなものが見えた。
 よくやる、と思う。
 丞も剣は使えないわけではないが、自分で進んで怪我をしようとは思わない。正直、正面から剣で向かっていくよりも、毒を盛った方が安全で早いと思う。だからこそ忍に向いていたのかもしれないが。
 市村鉄之助という人間は、まるで自身の髪のようにまっすぐで、何処かで曲がり道など出来ない気性なのだと思う。
 いつだったか、沖田が鉄之助を土方に似ている、と言ったことがあったが、それが丞には分かる気がした。
 曲がることも、戻ることも出来ない道を歩いている。
 それは、丞にとって、己に出来ないことだからこそ、選べない生き方だ。
 暗闇で人を殺めるような真似ばかりしてきた。それが自分が生きるための術だと思った。
 自分は侍ではないのだ――姉の言葉をふと思い出す。
 だから、まっすぐに歩くことも出来ない。
 いとしく思う者に、はっきりそう告げることも出来ない。
「――市村」
 ふと呼ぶと、
「何だ?」
 とすぐに返事が返ってきた。
 いや、何でもない、と答えると、「そうか」といつもの返事が聞える。
 それで安心する。
 傍にいると思う。
 それが丞に出来る、唯一の愛情表現なのだと。
 最近気付いた。
 ――それでも、と思う。
 きっと最期まで共に在ることは出来ないのだろう、と不意に思う。
 この時世だ。心中の夫婦でもあるまいし、と溜め息をつく。
 そんなことを考える自分の方が馬鹿げている。
 夕暮れに毒されたのだ、と自分に言い聞かせた。
 しかし――と一度頭に浮かんだ疑念はなかなか消えてはくれない。
 いつか、この赤い髪を見ることも、
 共に夕暮れを見ることも、
 調子外れの歌を聞くことも、
 叶わなくなるのだ。
 それはとても――想像もつかないけれど――とても悲しいことであるような気がした。
 ふっと歌がやんだ。
「昔さ、父ちゃんに聞いたことあるんだけど」
 鉄之助がふと口を開いた。
 丞は黙って聞いている。
「夕焼けの色を、別の国では『おれんじ色』って言うンだって」
 また、聞き慣れない言葉を言う。
「何だ、『おれんじ』って」
「確か、蜜柑みたいな果物って言ってた」
「蜜柑て」
 思わず苦笑してしまう。
「こんな赤くないやろ」
 そう言うと、彼も笑う。
 それを見るのが、自分は好きだ。

 お前の死ぬ一瞬前に死ねたら、それでええ。

「別の国ではもっと赤いのかも」 
「美味いんか」
「食ったことねえよ」
「そやったら判ったような口を叩くな」
「しょーがねえじゃん、お前、」
 彼は自分の黒髪に手を伸ばし、自身に向かって引き寄せる。
「夕焼け、見蕩れてたろ?」
 生意気を言う唇に、強引に口付けた。
「……ホザけ」
 
 誰よりも、俺が見蕩れていたのは、夕焼けなどではなく。
 ――真っ赤に染まった、お前の。


(終)

----------------------------------------------------------
砂吐き確定(笑)
ピスメ、スス鉄SSでした。
一言にてリクエスト下さった匿名のアナタに捧げます★(笑)
最初は死ネタにするつもりだったんですが、さすがにハナっから死ネタはマズイだろう、ということで甘小説にしました。
一言で構いませんのでまた感想などいただけると嬉しいですvv
……こんなのでオッケィですか?

 



BACK