かげおくり




「うわぁ・・・すっげぇいい天気。めちゃくちゃ空が綺麗ッ!!」
 門を飛び出るなり、悟空は華やいだ声を上げた。
 普段は滅多に出ることのない、観世音菩薩の城の外。中の世界よりもっと多い緑色が広がっていて、花が咲き乱れている。
「基本的に雨は降りませんからね。ああ、でも本当にいい天気です」
「か〜ッ!! これで酒がありゃ、立派なピクニックじゃねぇか。」
 天蓬と捲簾は思い思いのことを口ずさんで、体を伸ばして悟空を追いかける。
 その後ろでピクピクとこめかみを震わせているのは、もちろん金蝉。
「てめぇら・・・俺を連れ出して何をするかと思えば・・・・」
「え〜っ。いいじゃん、たまには。だって全然遊ぶトコないしさぁ!!」
「当たり前だ!!ここはお子様の来るところじゃねぇんだよ。・・・基本的には。」
 最後にボソリと付け加えたのを聞いて、天蓬と捲簾は顔を見合わせて笑みを浮かべた。
 もちろん、遊びたいと駄々をこねる悟空を連れて、ついでに付いてきた金蝉も連れて、門番の引き止めるのもきかずにここまで来たのは彼らの仕業だ。
 金蝉は誰に言わせるでもなく観音の甥であるから、門番としては何かコトが起きては大変、というところなのだろう。
「キホンテキ??・・・なぁ天ちゃん、キホンテキってどーゆー意味なんだ?」
「う〜ん。そうですねぇ・・・。ま、つまりは悟空が特別ってことですよ。」
「そーそ。金蝉にとってはな。」
 へぇ、と納得する悟空の傍らで、ピクピクとまた金蝉の怒りが増す。
「キサマらぁ・・・・・ッ!!!」
「あれぇ?図星ですか???」
 笑顔を浮かべて天蓬が言えば、金蝉はうっと黙るしかなかった。
 それでもどこか理不尽そうな顔を浮かべて、ブチブチと草木にぼやいている。


 ざあ、と風が吹いた。


 野球、鬼ごっこ、かけっこ。一通り遊び終えた4人は、心地よい疲労感を表情に浮かべて、草の上に寝転がった。
 ・・・いや、一人だけ、酷く死にそうな顔をしている男がいるが。
「てめぇら・・・どんな体力してんだ・・・」
「大丈夫かぁ?金蝉」
 ゼイゼイと肩で息をしながら、比較的大きな体をなげうっている。
「ばぁか。てめぇの体力がないんだよ」
「金蝉、デスクワークばかりですからねぇ」
 追い討ちをかけるような二人の言葉に、金蝉の眉間の皺が深くなる。
 もちろん先ほどのゲームは、全て彼の負けだったのだ。

「それにしても、本当に綺麗な空ですねぇ・・・・」
 天蓬は軽く腕を上げ、手のひらの隙間越しに青い空を見る。
 雲にも天候にも邪魔されないこの場所からは、いつも空は青く、気高い。
 それは門の中にいるときも同じなのだが、こうして草に寝そべって見上げる空は、また格別だった。
「・・・ああ。空が落っこちてきそうだ」
 捲簾が子どものような反応を返す。
「この空なら『かげおくり』が出来ますねぇ・・・」
「・・・かげおくり??」
 寝そべったままの天蓬の言葉に飛びつくように悟空は起き上がった。
 基本的におもしろそうなことは大好きなのだ。
 悟空に続くように、よいしょと言いながら起き上がると、天蓬は白衣を軽くはたいて立ち上がる。
「影を空に送る遊びですよ。・・・ま、一種の目の錯覚ですけどね」
「へぇ、面白そうじゃねぇか」
 と、捲簾も話に加わる。
 そうなるとどうしても自分だけ取り残された形になって、金蝉はまだどこか気だるさを残す足を引きずりつつ立ち上がった。
「こうして立って、じっと影を見つめるんです。それから、十数えてください」
 その言葉に、捲簾が野次を飛ばす。
「数?ハッ、チビ猿に数なんざ数えられるのか?」
「数えられるよっ!!こないだ天ちゃんに教えてもらったもん!!」
 ぷいっと口を尖らせる悟空。それを証明するかのように、いの一番に数え始める。
「いーち、にーい、さぁーん・・・」
 捲簾と天蓬も苦笑しつつ、それに加わった。
「しーぃ、ごーぉ、ろーく・・・」
 無愛想な顔でため息などをついていた金蝉は、はぁ、と諦めのそれを吐き出すと、いやいやながらといったふうに、その声に己の声を重ねた。
「七、八、九・・・」
 
「じゅう!!!」
 ・・・じゃあ、そのまんま空を見上げてください。
 天蓬の声に、3人は空を仰いだ。
 蒼い蒼い空。
 その蒼さの中に、さっきじっと見つめた、4人の影がくっきりと白く映っていた。
「わぁ・・・・」
「ね、不思議でしょう?」
 空に映った記念写真。悟空の歓声に、天蓬が笑顔で答える。
「まぁ、確かに綺麗だわな。っつかこーしてみると、悟空ってやっぱ小っちぇえな〜♪」
「う、うるさいッ!!!」
 捲簾の言葉に、悟空はぶんと腕を振り上げる。
 そして空を見上げたまま無愛想な顔を浮かべた金蝉に、
「なぁ、金蝉。外出てよかっただろ??」
「・・・フン。まぁな」 
「それにしても広い空ですよねぇ」 
「何かこーしてっとさ、俺らしかいねぇみたいじゃん?」
「あ、いえるいえる!!」
 4人の明るい声が響く。

+++

 目に焼きつくような青さに滲む、かげおくり。
 決してそれを忘れまいと思った。
 ・・・いつかまた、この空でかげおくりしたいな、と俺が言うと、
 そうですねぇ、と天ちゃんが笑った。
 お前が大人しくしてたらな、と捲兄ちゃんが言った。
 金蝉は、二度と来るもんかって言ったけど、ホントはちょっとだけ嬉しそうだったの、俺は知ってる。
 
 ・・・それから、俺は。

 4人で映ったあの空を、
 決して忘れまいと思った。

 +++

 ひゅう、と冷たい風が吹き込んだ。

 血の匂いが満ちていた。
 悟空は手のひらにこびりつくように付いたそれを、拭うこともせずにじっと見つめていた。
 歯の奥はガチガチと震えているのに、瞳はまるで何かを責めるように揺るぎない。
 否、揺るぎないというよりそれは、何も見えないガラス玉の様相に似ていた。
 自分ではしっかりと手の平を見ているはずなのに、心はそれを見ていない。
 ずっとずっと遠くの・・・何かを見ようとしている。そんな感じだ。
 指先にまで伝わった震えを抑えようと、ぎゅっと悟空は自分の体を抱きしめた。
 体温はあるのに、ガタガタと震えは収まらない。余計に酷くなる気がして、悟空は立ち上がった。
 ぱしゃん、と足元で立つ音。
 見れば、紅。真っ赤な池。・・・・・・血。
「・・・・・・・・・ッ・・・・・・・・・」
 そのおびただしい量の液体は辿れば間違いなく見覚えのある体へと繋がっていて、伏せたままにでも分かるその姿に、もはや生気はない。
 ・・・生きていない。死んでいる。もう、立ち上がらない。
 そんなことは、とうに分かっていた。
 冷えていく体を抱きしめていたのは、自分だから。

『悟空・・・・・・ッ・・・・・・』
 どうしてあの人は、傷を帯びながら自分を呼んだのだろう。 
 そして俺が無事なことを確認して、それから・・・
『バカ猿が。』
 どうしてうっすらと笑顔を浮かべたのだろう。

 涙は出たか?出なかったか? 覚えてなどいない。
 哀しいときは泣くべきだとか、哀しすぎると涙が出ないとか言うけれど、本当に哀しいときは、哀しいということすら認識できないのだと知った。
 まず、嘘だと思った。あるいは夢だと。
 だけど流れゆく血は生々しく、失せていく体温は儚く。それでも金色は眩しくて、哀しい。
 ガクリ、と悟空は膝をついた。
 何かに手を伸ばすようにうつぶせになった、金蝉の姿。
 その姿に、思わず手を伸ばす。
「こんぜ・・・・・・・」
 そしてその土気色の手のひらに、ビクリと体を震わせた。
 冷たい、冷たい手。こんなに冷たい手をしていただろうか。もっと温かくはなかっただろうか。
「あ・・・・・・・・ア・・・・・・・・・・・」
 声が上ずる。
 同じ事を、さっきから繰り返してばかりなのは、頭のどこかでは分かっていた。
 だが何度繰り返しても、信じることなんてできないのだ。
 ・・・その愛しい体が、二度と動くはずのないものだとは。
「・・・・あ・・・・・・・・・・・・・・・」
 分からない。分からない。分からない。
 何を考えていいのか分からない。
 何をすればいいのか分からない。
 どこに行けばいいのか分からない。
 ・・・自分が本当に生きているのかどうかも、分からない。
 ただ真っ白な意識の中に、手のひらから滑り落ちていく何かを感じていた。
 愛しいものを失う喪失感。この腕の中で、微笑みながら滑り落ちた命。
 歯の奥が、またガチガチと鳴り始めた。
 まだこれは嘘だと信じたいのに。いつかは目覚める夢だと信じたいのに。
 そうは思わせてくれない現実が目の前にあって、真っ白になっていく自分がいる。

「ああ、アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!!!!!!!」

パキン、と小さい音を立てて、枷と金鈷が弾けとんだ。

「・・・生まれたな。」
 観音は感情のない声で呟いた。 
 それは誰にも届かない。誰にも聞こえない。
 ・・・正気を失った、悟空ですら。
「次郎神」
「はっ」
「・・・行くぞ」

 切り裂いても切り裂いても足りなかった。
 血の匂いが分からなくなるくらい、血まみれになりたかった。
 とうに死んでいるはずの、誰のものかも分からない体をズタズタに引き裂いた。
「ガァッ・・・ああああっ、うアアアッ!!!」
 ブン、と腕を振る。血のほとばしりが指を伝い、床に落ちる。
 真っ赤な、真っ赤な。
 ・・・否。色など既に分からない。
「はァッ・・・はあ・・・ぁッ・・・・はぁッ・・・・」
 息が切れて、悟空は肩で喘いだ。
 何かをじっと睨みつけるように視線を固定したまま、ゆっくりと足を踏み出す。
 時折足元で、物体と化した肉片が進路を阻む。つまづいて、転びそうになる。
 よろよろとおぼつかない足取りで、何かを求めるように歩き続けた。
 
 バンッ・・・

 止める者もいない扉を開ける。
 血で淀んだ空気が一瞬外へ抜けるような気がして、次の瞬間悟空はその場に崩れ落ちた。
「・・・・・・・ぁ・・・・・・・・・・」
 見たのだ。
 空を。
 ・・・真っ青な空を。

『この空なら『かげおくり』が出来ますねぇ・・・』
 それは、誰の言葉だったろうか。

「・・・・ァ・・・ア・・・アア・・・・・・・・・・・」
 低いうめき声が、悟空の口から溢れ出した。

『へぇ、面白そうじゃねぇか』
 ・・・誰の、言葉だったろうか。
 確かにさっきまで覚えていたのに。
 聞き覚えは確かにある。でも何処で聞いた声なのか、いつ聞いた言葉なのか、どうしても思い出せないのだ。
 まるで記憶の一部がはぜ割れてしまったように。

「ぃや・・・・ぁ・・・・ア・・・・・・・やァッ・・・・・・!!!」 
 うめきが、次第に悲鳴に変わっていく。
 思い出せない。思い出せない。誰、何処で、いつ?
 正気と共にバラバラになった記憶の中に、確かになくしてはいけないものがあったはずなのに。
 それは・・・
 誰?

『なぁ、外出てよかっただろ??』
『・・・フン。まぁな』
 そう言って、それでもちょっと嬉しそうに俺を見たのは・・・
 誰?

 ・・・ぽたり。

 感情の失せたはずの、正気の掻き消えたはずの瞳から、一筋の涙がこぼれた。
 記憶はない。
 分からない。
 ただ、何故か酷くその青空が懐かしい気がした。
 何も思い出せない、壊れた記憶の底に、確かに懐かしい何かを感じた。
「・・・・・・・・・ぁ・・・・・・・・・・・・・アぁ・・・・・・・・」
 呼ぼうとする。決して忘れてはならない人の名前を。
 けれど言葉が出ない。思い出せない。その人を呼べない。
 ・・・誰?

「・・・ぃち、にい・・・」

 不意に、数を数え始めた。酷く掠れた声だった。そうすることで、忘れた何かを見つけようとしているようにも見えた。
 獣の言葉しか出ない声が、喉につっかかるように苛んだ。
 涙はやまなかった。青空が何度も滲んだ。声が震えた。
 足元をじっと見つめる。
「ごーぉ、ろーく・・・」
 耳元で誰かの笑い声がする。とても楽しそうで、明るくて。
 それをたしなめる無愛想な声と、茶化す声と、苦笑するような声が聞こえる。
「はーち、くーう、」
 ・・・せぇの。
 そんな声が、聞こえた気がした。

「じゅう!!」

 ひとりの声が、響いた。・・・けれど、悟空の耳には4人の声が聞こえていた。
 ―――誰かの声が。
 空を見上げた。
 ・・・真っ青な空だった。 
 
『・・・バカ猿が』
 そんな声が、聞こえた気がした。
 

 何も見えない瞳で、悟空はじっと空を見つめていた。
 涙は止まらなかった。
 泣きじゃくることもせずに、ただ涙だけを流していた。
 何をなくしたかも分からないのに、なぜか涙があふれて仕方なかった。

 そして、その滲んだ金色の瞳には、
 きっとあの日の4人の影が鮮やかに映っているのだった。


 


 (終)






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