コトダマ



 ―――パシーンッ
 静かな寺院に、そろそろ耳慣れるようになった音が響く。
 ドシン、バタン。
 続いてけたたましい音が聞こえて、僧たちは眉をひそめた。
 厳粛が戒律の寺院で、これだけの音を立てる原因など初めからわかっている。
「まったく三蔵様は・・・」
「・・・騒がしいことですな、本当に・・・」
 各々に好きなことを口走って、とばっちりを食わないように、音が聞こえた部屋から遠ざかった。


「ほえ・・・」
 寝台から落ちてなお夢の中のような顔つきをしていた悟空は、ふと自分を見上げる存在に気付いて視線を上げた。
 ぼんやりとした意識の中に映るのは、見事な金色。
 窓の向こうから差す、太陽の光にも負けないくらいの―――
「いつまで寝てんだ、このバカ猿!!」
 負けないくらいの態度の大きさで、金髪の男が仁王立ちしていた。
 その手にはハリセン。
 先ほど、揺すっても起きない悟空に痺れを切らし、勢いよく音を立てたのは、まさにそれだった。
 そして悟空はといえば、
「あれぇ・・・さんぞ・・・?」
 どうやらまだ夢心地のようだ。
 枕なんぞを抱きしめつつ、半分目を閉じて今にも寝入ろうとしている。
 三蔵は震えるこめかみを押さえつつ、もう一つハリセンを振り下ろした。
 ―――パシーーンッ
「あうッ・・・」
 鈍い声をあげて、悟空は床に突っ伏した。
 三蔵は煙草を咥えつつ、時が経つのを待つ。
 やがて悟空はむくりと起き上がると一つ伸びをして、ぱちっと目を見開き、
「・・・あれ、三蔵。おはよう。」
 ・・・どうやらこの小猿、眠っている間のことはすべて忘れる脳構造になっているらしい。
 三蔵はしばしこめかみをひくつかせたあと、ため息をついて、吸いかけの煙草をもみ消した。
 そして悟空の外出着を放って、
「行くぞ。」
「へ・・・?どこに・・・?」
「・・・・・・・・・・。」
「三蔵?」
 悟空の問いに少し三蔵は顔を逸らし、寝室の扉を向いて、一つ舌打ちをした。
「街だ。服を買うから付いて来い。」
 そういい残すと、扉を開けてスタスタと歩いていってしまった。
 悟空は慌てて服を着替えると、また例の騒々しい声をあげて、
「三蔵っ、待てよぉッ!!」
 不機嫌な最高僧の後を追いかけたのだった。


 服。
 服。
 服。
 ・・・どこを見ても、色鮮やかな服が軒を並べている。
「そうですねぇ・・・お客様の場合、少しサイズが合いませんねぇ・・・」
 悟空は困った顔をした店員の目の前でドギマギしていた。
 こういうことは苦手だ。
 何しろ、三蔵の前でしか服を脱いだことがないというのに、いきなり見知らぬ人がくるくると服を脱がし始めるのだ。
 恥ずかしいわけではないが、どうしていいのか分からず困ってしまう。
「チビだからな。もう少し小さいモンはねぇのか?」
「これ以上小さいとなりますと、残念ですが子ども服になってしまうんですよ。」
 目の前では、三蔵が煙草を咥えて、可愛らしい女の店員と一緒に顔をしかめている。
 『服を買う』という言葉どおり、三蔵は寺院を出るなりまっすぐに服屋に向かった。
 手当たり次第といったふうに棚から幾つかを選ぶと、無造作に悟空に着せていく。
 ・・・もっとも、赤や緑の服を手に、あれがいいかこれがいいかと眉根を寄せる最高僧の姿には、何かとても違和感を感じざるをえないのだが。
 ちなみに今、悟空は上下の可愛らしいチャイナ服を着せられている。
 少しくすんだ感じの赤色に、黒い縁取り。冴えない色の中にある白い止め具がとても映えている。
 どれをとっても悟空が今まで着たこともないような色ばかりだ。似合うのか似合わないのか、その基準すらも悟空自身にはよく分かっていない。
 ―――が、傍から見ればそれは十分に可愛らしい格好だった。
「でもホラ、子どもはすぐに大きくなるっていいますし・・・大きめくらいでもいいと思いますよ」
「そんなモンか?」
 着たこともない服に身を包んで固まっている悟空をよそに、目の前で着々と話は進んでいく。
「それじゃあ、5着お買い上げになりますか?」
「ああ。今着ている物以外は包んでくれ。アレはそのまま着させるんでな」
「はい、分かりました。」
 悟空は新しい衣服に身を包んだまま、三蔵を見上げた。
 三蔵は懐から財布を取り出しつつ、その視線に気付いて軽く煙草を外す。
「どうした?」
「・・・ん。あのさ、これ着てていいの?」
「ああ。お前、ろくな服持ってねぇだろうか。」
 ろくな服、と言われて悟空は首をかしげた。
「今日着てたヤツは?・・・あれはろくな服じゃねぇの?」
「あれは俺の下がりだろうが。そうだな、ついでに処分してもらうか・・・」
 そう言うと三蔵は、悟空が店に来るまで着ていた古いシャツを手に取った。
 それは、三蔵が、着るもののなかった悟空に自分の着古しを貸していたもので、そうでなくともあまり街に出ない三蔵の持ち物であり、だいぶほつれたりしていたのだ。
 だが悟空は『処分』という言葉を聞いて、慌てて三蔵の法衣の裾を引っ張った。
「ダメッ!!」
「・・・あぁ?」
「それ捨てちゃダメ!!」
 そう言うと、悟空はあっという間に三蔵の手からそのシャツを奪っていってしまう。
 悟空の言動を予想していなかった三蔵は驚いて悟空を見た。
 金色と紫色の瞳が絡み合う。
「てめぇ・・・何のつもり・・・」
「ダメ!!これ、俺が貰ったんだろ? じゃあ、俺のだもん。」
 そう言って、ぎゅうっとシャツを握りしめる悟空。
 しばし視線を絡めた後、三蔵は降参してため息をついた。そして、二人の前でおろおろとしていた店員に金を払うと、
「・・・好きにしろ。」
 ぶっきらぼうにつぶやいて、商品を受け取るとスタスタ店を出てしまった。
 悟空はとりあえず捨てられなかったことにホッとしながら、その後を追いかけた。
 もちろんその手には、シャツを携えて。


「三蔵さぁ・・・」
 ぽつり、と悟空はつぶやいた。
 目の前には、すっかり食べ尽くした夕食の跡。
 服屋に始まり、靴屋、百貨店、家具屋・・・街中のあらゆる店を回った三蔵たちが、最後と称して訪れたのが、食堂だった。
 もう日も暮れかけている。これから寺院に帰ったら、おそらく着くのは夜更けになってしまうだろう。
 それでも窓の外の街はこれからが盛りとばかりに鮮やかに灯り、行き来する人の中にもそんな色が混じり始めている。
 最後のデザートと口に餡蜜を運びながら、ちょっとだけ視線を上げて三蔵を見た。
 今にも胸焼けしそうなそれを、たいして嫌そうな顔もせずに見ていた三蔵は、呼ばれたことにちょっと視線を落とした。
「・・・なんだ?」
「あのさ、何で今日、街に来たの?」
 甘い寒天をゴクンと飲み込んで、悟空は尋ねた。
 その問いに、なぜか三蔵は目を逸らしつつ、火のついていない煙草を弄んでいる。
「・・・だから、服買いに来たって言ったじゃねぇか。」
「う〜・・・言ったけど・・・」
 だけど、それはそうなのだけれど。
 おそらくこれは、悟空だけが気付く違和感だ。
 何かが―――確かにいつもの三蔵と何かが違うのだ。
 だいたい服を買いに来るなど、三蔵一人だけで事足りる。
 今まで絵本や玩具なども、説教があるたびに買って帰ってきたし、服にしてみたところで、わざわざ悟空が寺院の外にでるほどのものでもない。
 というのも、三蔵は悟空が寺院外に出ることを酷く嫌うのだ。
 それを三蔵は「目を離すと何かをしでかすか分からない」と眉根を寄せるが、それが真意であるかどうかは定かでない。
「来たくなかったか?」
「違うよっ。そんなんじゃなくて・・・」
 三蔵と一緒にいられることが嬉しい悟空が、まさか来たくないと思うわけもない。
 だが、やはり違和感は拭えない。
 なんなのだろう、と悟空は思った。
 いつもと同じ煙草。
 いつもと同じ法衣。
 いつもと同じ草履に、
 いつもと同じ無愛想な顔。
 ・・・それでも、何かが違う。
「・・・ん〜・・・」
 少し難しいことを考えたせいか、それともいっぱいになったお腹のせいなのか、悟空は眠たそうな声をあげた。
 実際瞼は今にも閉じようとしている。
 それを感じ取った三蔵は、悟空を軽く引き寄せつつ尋ねた。
「眠たいか?」
「う・・・ん・・・」
 座った椅子の上から三蔵にもたれかかりつつ、悟空はやはり気だるそうな声で答えた。
 三蔵は愛しいものでも撫でるような仕草でその髪を撫で、瞼にそっと触れた。
「少し寝ろ。後で行きたい場所があるから」
「ん〜・・・」
 悟空は心地よい喧騒に包まれながら、意識を溶かしていった。

 
 ふわり。
 ふわり、ふわり。
 ・・・ふわり。
 悟空は、頬に僅かに触れる感触に気付いて、ゆっくりと目を開いた。
 ぼんやりとした視界にまず映るのは―――闇。
 目を閉じているのか開けているのか分からないほどの闇と、それから・・・
 ―――ふわり。
 自分に向かって落ちてくる、薄紅色。
 とても小さく、とても軽やかに。
 頬に触れる正体がそれだと気付いた悟空は、パチリと目を開いて起き上がった。
「うわ・・・・・・・・・」
 そして思わず、ため息をついてしまう。

 つきのひかり。
 それにくるくるとまいながらじめんへとふれる、うすべにいろのもの。
 すかしてみえるのは、きんいろ。
 きんいろのいとがきらきらときらめきながら、ときおりそれはうすべにいろをかすめて、

「桜・・・」
 呆然と悟空はつぶやいた。
 まいおりる薄紅色。
 それは確かに、よく見れば桜の花びらだ。
 夜の闇に白く映えて、とても綺麗で―――
「起きたか?」
 悟空はその声に、先ほど見た金色の糸を思い出した。
 もたれたぬくもりから時々首筋に触れる、さらさらとした感触の金色。
 ・・・三蔵。
「うん。・・・これ、桜?」
「・・・ああ。遅咲きの桜だ」
 そう言って、三蔵は軽く木を仰ぐ。
 いつの間にか、悟空は食堂を出て、この少し大きめの広場のような場所に来ていた。眠っている間に三蔵が運んできたのだろうか。
 確かに数十本の桜に囲まれたその場所に咲いているのは、三蔵が見上げたそれ一本だけだ。
 満面に桜が咲いたなら、それはそれで華やかなのだろうが、闇に溶ける桜は一本でも美しかった。
「探したんだがな、ここいらでまだ咲いてるのはこれしかなかったんだ」 
 三蔵は静かにそう言う。煙草すらも咥えていない。
 桜の花びらは最後の花見客のためにひらひらと花びらを散らしながら、もうない明日の姿をほんのすこし憂いているようだ。
「綺麗・・・」
 悟空は、夜桜の美しさに言葉を零した。
 それを受けて、三蔵が軽く髪をかきあげる。それと同時にしっかりと悟空を引き寄せ、離すまいというふうに腕で抱える。 
「もう散るだろうからな。しっかり見とけ」
「うん」
 そのぬくもりに浸りながら、悟空の瞼の裏にはしっかりと桜が焼きついていく。
 ・・・ああ、と悟空は思った。
 昔にもこんなふうに、誰かと桜を見たことがあるような気がする。
 岩牢に閉じ込められる前―――500年前に、置いてきてしまった思い出。
 今はあの頃のそれを懐かしむことしか出来ないけれど。
「・・・どうした?」
 悟空の表情にわずかに浮かんだ郷愁に気付いたのか、三蔵はやや眉を寄せて尋ねた。
 なんでもない、と悟空は笑って答える。
 不意に・・・本当に、不意に思ったのだけれど。
 今が「あの頃」と呼ばれる日が来るのだ。いつか。
 昔を懐かしむように「今」を思い、今みたいに淋しいような、懐かしいような気分になる日が。

 そのとき、誰が傍にいるのだろう。

 あるいは、ひとりでいるのかもしれない。
 ひとりでこんなふうに夜桜を見上げながら、あの頃はよかったな、なんて―――
「悟空?」
 気付くと三蔵の顔がすぐ近くにあった。
 意識を飛ばした悟空を心配してか、そっと頬に手が触れられる。 
 悟空がじっと瞳を見つめると、三蔵はそれに気付いて、軽く唇を寄せた。
 長い長い人生の、たった一瞬。
 その一瞬の中で交わされる口付けの中に、確かに永遠を感じてしまう自分がいる。
 いろんなことが頭を流れて、まるで押し流されるように口付けにすべてを洗い流されて、
「ん・・・・・」
 唇を離したときには、もう悟空は何も考えてはいなかった。
 三蔵はいつもそうだ、と悟空は思う。
 悟空だって悩むときがある。迷うときがある。落ち込んでしまうときだって。
 そんなとき、三蔵は決して言葉で癒さない。
 もちろん、言葉は大切だ。誰かへ何かを伝える手段であり、想いだ。
 だが、それは時として人を傷つける。間違った方向へと人を運んでしまう。
 言霊という言葉を、以前悟空は三蔵に教えてもらった。
 一つ一つの言葉には、想いがこもるのだという。
 それは呪文だ。
 たとえば名前は人を断定する。人を「名前」に束縛する呪文である。
 だからこそ―――三蔵は滅多に話さないのだ。
 言葉で始まったいさかいは、言葉で解決するだろう。
 あるいは言葉から来た悩みなら、言葉によってとけるかもしれない。
 しかし、そうではないものが、この世界には多すぎるのだ。
 ・・・たとえばさっきの悟空のように。
「・・・今日さ、なんで街に来たの?」
 悟空は昼間と同じ問いを繰り出した。
 けれど三蔵は昼間のように目を逸らすことなく、ただわずかに桜に目をやって、
「てめぇ、街に行きたいって言ってたじゃねぇか」
「・・・え・・・?」
 三蔵の言葉に、しばし悟空は目を丸くした。
 ―――街に行きたい。
 確かに言った。言ったけれど・・・でもあれは・・・
「三蔵! アレ聞いてたの??」
「・・・お前の声はやかましいんだよ」
 その言葉に、悟空は絶句した。

 先週のことだ。
 めでたく16歳の誕生日を迎えた悟空は、遊びに来た悟浄と八戒と、そして仕事片手の三蔵とともに、小さな誕生日会を開いた。 
 もちろん、三蔵の執務室で、である。
 月初めであるせいか三蔵は忙しく、酒を飲むこともしないで筆を動かしていたのだ。
 八戒のケーキも美味しく、悟浄とのじゃれあいも楽しかったのだけれど、やはり悟空にはそれがつまらなかった。
 だから八戒に、「今度街に行ってみましょうか」といわれたときも、迷うことなく、
「うん!俺、三蔵と一緒に街に遊びに行きたい!!」
 と言ったのだった。
 そのときも三蔵は一心不乱に仕事をしていた。
 まさか―――あのとき、その言葉を聞いていたなんて。

「三蔵・・・」
 悟空は唖然とした口を閉じることなく、つぶやいた。
 バカ面、と三蔵は小さく嘆息する。
「祝ってやれなかったからな。・・・桜がまだ咲いていて良かった」
 そのとき、悟空は始めて気付いた。
 ―――つまり、今日全てが『誕生日』だったのだ。
 街を歩く。
 三蔵と一緒にいる。
 そして、桜を見る。
 ・・・この、どうしようもなく不器用で無愛想な人が、自分のために考えてくれた『誕生日』。
 それが嬉しくなくて、なんであろう。
 『服を買う』は、三蔵なりに考えた言い訳だったのだろう。あるいは、実際買った服すらも『誕生日』の一つだったのかもしれない。
 ―――違和感。
 まるで三蔵が自分に何かを隠しているような、変な感覚。
 それはこれだったのだ。
 悟空は何を言っていいか分からずに、少し頬を染めたまま口を開くと、
「・・・・・ありがと。」
 そんな言葉が零れてきた。
 ありきたりで、陳腐な言葉。
 ―――けれど言葉はやはり呪文だ、と悟空は思った。
 こんなに簡単で、こんなに単純な言葉でも、想いが伝わるのだ。
 言霊という、不思議な呪文で。


 帰ろうか、と三蔵が言った。
 風は冷たくなりかけていた。
 もうほとんど散ってしまった桜を見ながら、俺は手に握ったままのシャツを思い出した。
 ―――これ、三蔵のだから、捨てたくなかったんだよ。
 だって三蔵がくれた、ものだから。 
 そう言うと、三蔵はふいっとそっぽを向いて、
 煙草で顔を隠しながら、
 バカ猿が、と言った。


 あなたがくれたものは、すべてぼくのなかでぬくもりになる。
 ことばも、そのぶきようなおもいも、そしてたばこにかくしたえがおも。
 ぜんぶぜんぶあったかくなって、
 ああ、
 だからぼくは、しんじられるのです。
 たとえいまが「あのころ」とよばれるひがきても、
 きっとあなたは、そばにいるのだろうと。


 (終)






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