星が見ていた夜に。



 

 七つの夕をまたぐとき、
 僕は君に会える。


 夕闇に、ネオンの光が溶け始めた。
 日曜日の絶え間ない騒がしさが街を包み、ゆっくりと熱を帯び始める。
 そうでなくとも昼間の気だるさの残る空には、ネオンの影に星達が輝き始め、濃紺の衣を纏って、夜はまだかと騒いでいる。
「――チッ」
 三蔵は舌打ちをして、きっちりと結ばれたネクタイをくつろげた。
 手元には使い込まれた鞄。
 眼鏡を外すと、胸元のポケットに突っ込んだ。
 そうすると、それまで彼を包んでいたエリート然とした雰囲気が少しだけ和らいで、街になじむものになる。
 だが、三蔵は別に街で遊ぶためにわざわざこんな所まで来たわけではなかった。
 若くして司法試験に合格し、弁護士としての道を歩みつつある三蔵にとって、依頼以外でこんな場所に用などはない。
 そもそも三蔵は人ごみが嫌いなのだ。
 しかも今日は夏祭りでもあるらしい。街はいつもよりもわずかに喧しく、それが三蔵の眉の皺数を増やしている。
「あら、お兄さん、そんな難しい顔をして。私と遊ばない?」
 通りすがりの水商売らしい女が、三蔵に声をかける。
 視線をやることすら鬱陶しい三蔵は、手をあげて女の接近を拒絶すると、目的地に向かって足を進めた。
 後ろで女の罵声が聞こえる。
 それすらも鬱陶しい。
 三蔵はおもむろに腕時計を確認した。午後7時15分前。
 依頼人から受けた依頼は、午後7時にとあるバーに決まってやってくる男に話を聞くことだった。
 半月後に行われる裁判のための、簡単な聞き込みである。
 三角関係がもつれた挙句の殺人事件――よくある話だ。
 とどのつまりは、殺された女のもう一人の相手が、これから話を聞きに行く男であるらしい。
 もちろん依頼を受けたのは、殺した男の方である。
 事実は然としてあるわけだから、あとはどれだけ罪を軽くできるか――それが殺人事件において、殺人者を担当した際の極意である。
 無期懲役に持ち込めたら、まあ合格というところである。
 今日の聞き込みも、大した話にはならないだろう――というのが三蔵の見解だ。
 三蔵は神経質そうに再び腕時計を確認した。2,3分しか経っていない。
 ポケットの中から煙草を取り出すと、火を付ける。
 参考人の中には目の前で煙草を吸うことを嫌う者もいて、だから会う前に煙草を吸っておくのが、三蔵なりの礼儀であった。
 目的のバーはもう目の前である。これなら煙草の一本くらい大丈夫だろう。
 三蔵はわずかに街の喧騒を離れると、静かに煙草を吸おうと裏路地に入った。
 ――と。

「――あてッ」
 ドスン。

 煙草を咥えた三蔵の前に、何かが落ちてきた。
 何か。
 いや、正確に言えば、
「――ったぁ・・・」
 それは生き物のようだった。
 上手い具合にダンボールに飛び込んだその「生き物」は、ちょっと顔を歪めて体を丸めている。
 ――子どもだった。
 一瞬の出来事に、思わず三蔵も動きを止めてしまう。
 その子どもはようやく起き上がると、ぴょこんとダンボールに腰掛け、辺りをきょろきょろと見回した。 
 12,3歳くらいだろうか。
 三蔵はあっけにとられている。
 子どもの視線が、三蔵のそれとぶつかった。
「――あ。」
 目が丸くなる。金色の透き通った目だ。
 子どもは浴衣のような物を着ていた。質も状態もいいものらしく、浴衣ながらに何処となく高級さが漂っている。
 何処かの金持ちの子どもが、夏祭りで親とはぐれでもしたのだろうか。
 そう考えた三蔵は、はたと重大なことに気付く。

 コイツ、さっき『落ちて』来なかったか・・・?

 ばっと上を見上げる。何処かの建物の二階辺りから落ちてきたのかと思ったのだ。
 だが予想に反して、辺りに『落ちて』来れそうな場所はない。
 そもそも裏路地を含めこの界隈には、いくら『夏祭り』といったところで、子どもが遊べるような場所はなければ、入れる場所もない。
 だとすれば、この子どもは――?
「なぁ、」
 起き上がった子どもが、無遠慮に三蔵の服の裾を掴むと、無邪気な声で呼びかけた。
 三蔵ははっとする。
「・・・あぁ?」
「なぁ、此処どこだよ?」
 三蔵は思わず子どもの視線に合わせるために腰をかがめると、
「何処って・・・お前、迷子か?」
「マイゴ?何だよソレ。しらね―けど、早く帰んなくちゃ八戒に怒られるんだよ」
「・・・ハッカイ?」
 それこそ何だと尋ねようとして、三蔵は一番重要なことを聞きそびれていたことに気付く。
「――お前、誰だ?」

 その子どもの名前は悟空といった。
 三蔵は、腹が減ったとわめく悟空を片手に、仕方なくアイスクリームに入った。
 とりあえず何でもいいということだったので、バニラのアイスを五本(すべて悟空が食べるらしい)頼むと、店内に落ち着いた。
 落ち着かないのは、悟空だ。
「っわ、すっげ・・・何だよ、アレ。ほら、今あの男の人が手に持ってるやつ。」
「――?ライターか?」
「へぇ・・・らいたぁって言うのか。わ、また!見たか?何もねーところから火が起きたぞ。」
 ライター一本にきゃあきゃあと騒ぐ悟空に三蔵はため息をつく。
 ライターを見たこともないとは、よっぽど金持ちの箱入り息子なのだろうか。
 三蔵は自分のそれを取り出してやると、 
「これだろ?持ってても普通だ」
「三蔵も火を起こせるのか?」
「――当たり前だ」
 そうして何度かライターから火を作ってやると、悟空は物珍しそうにそれを見ている。
 そうしているうちにアイスクリームが来た。
 三蔵はまだライターで遊んでいる悟空に、アイスクリームを差し出してやる。
「てめぇの分だ」
「・・・?ナニ、これ。」
「――ナニって・・・・・・」
 三蔵は呆然とした。
 今の時代に、よもやアイスクリームを知らない子どもがいるなど思わない。
 ただの子どもではなさそうである。
 三蔵は一つ息をつくと、呼吸を整えて切り出した。
「お前――悟空と言ったか。何処から来たんだ?」
 その言葉に、悟空はアイスクリームから顔を上げる。
 頬にバニラの欠片をくっ付けたまま辺りを見回して、通りへ続くウィンドウを示すと、

「――ソラ。」
 
 と、そう言った。
 三蔵はその言葉の真意をはかりかねて、眉をひそめる。
「・・・?どういうことだ?」
「そのまんまだよ。俺ね、落っこちちゃったんだ」
 ちょっと決まり悪そうにアイスに目を落とすと、再びそれをほおばる。
 三蔵は何も言えずにそれを見ている。
「今日はさ、1年に1度の日なんだって。1年に1度だけ、好きな人に会える日なんだって。八戒が言ってた」
 あ、八戒っていうのは、小さいころから俺の身の回りのことしてくれる人なんだけどね。
 悟空はそう付け足す。どうやら世話役のようなものらしい。
「俺も大好きな日だった。金蝉が来てくれると凄く楽しいし、俺も金蝉のこと大好きだし!」
 次元を超えた話である。
 この少年が金持ちの息子だとすると、コンゼンというのは婚約者か何かなのだろうか――と考えて、三蔵は思考を放棄した。
 一々頭を動かしていては、この少年の話には付いていけない。
 そもそも酷く現実離れのした話だ。
「いろんなこと知ってるし、もっと会いたいって思った。――でも、」
 ふと悟空の顔が歪んだ。アイスのスプーンを、カタリとテーブルに置く。
 三蔵は頬杖から頭を上げた。
「――でも、会えなくなっちゃった。」
 そう言って、淋しそうに悟空は笑う。
「会えなくなった?・・・どうして?」
「わかんない。ある年にね、『来年も来るから』って言ったきり、――待っても来なくなっちゃった」
 悟空はそう言うと、うっすらと涙を浮かべた。
 さっきまでの笑顔がくしゃりと歪んで、ぽとりぽとりと大粒の涙が零れ落ちる。
 慌てたのは三蔵の方だ。
「――ど、どうした?」
「ん・・・ごめ、何でもない」
 そう言って、悟空は浴衣で無造作に涙を拭う。
 再び顔を上げたときには、目の周りが少し赤くなっていた。
「んでね、毎年毎年――この日が来るのが嫌で、どうにかして逃げようと思ってて、」
 年月が経つ。
 同じ日が来る。
 あの人が来ないのは分かっているのに――待ち続けてしまう。
 そんな自分が、嫌で。
「今日も朝から八戒に言われて、それで俺、逃げてたら足、滑らしちゃって。」 
 口元で笑う。
「――ココに落ちちゃったみたい」
 涙の痕が、痛々しい。
 三蔵は、何故か自分の心がズキリと痛むのがわかった。
 他人の心情に同調してしまうなど初めてのことだった。
 ――弁護士に私情は不必要だ。
 そう思ってきた自分に、そんな感情が残っているなど思わなかった。
 それも、こんな街の片隅でであった、正体不明の少年に。
「・・・アイス、食わねぇのか?」
 口を開けば、そんな無愛想な言葉が出てきた。
 悟空用にと頼んだアイスは、残り二つが少し溶けかけで残っている。
「――あ、」 
「食わねぇなら食うぞ」
 そう言って、その一つを三蔵は手にとった。
 悟空が片割れを手にする。
 三蔵はアイスを口に入れながら、
「・・・後で祭りに出てみるか?」
「え?」
「――帰りたくねぇんだろ?」
 そう言うと、悟空は満面の笑みを浮かべて頷いた。
「うんッ!!」
 その笑みに、三蔵は少し口元を上げた。

 空から落ちてきた少年が、
 嘘を付いているか本当のことを言っているかなんて、そんなことは問題ではなく。
 わずかに見出した、夜の星の一煌きにも似た瞳に、
 きっと俺自身が、何かを求めてしまったせいで。

「うわ・・・すっげぇ眩しいッ・・・」
「祭りも佳境だな」
 思い思いの感想を述べて、三蔵と悟空は街を歩く。
 いつもよりも騒がしい男女の隙間を縫うその姿は、あまりに不釣合いにも思える。
 スーツ姿の男と、浴衣姿の少年。
 悟空は決してはぐれぬようにと、しっかりと三蔵の手のひらを握っている。
「――痛ぇ」
「え?」
「手だ。もうちょっと力抜け」
「・・・あ、うん。」
 悟空が気付いたように、ぱっと三蔵の手を離した。
 するりと手のひらに感じる空虚感。
「離せとは言ってねぇだろ」 
「――あ」
 三蔵は悟空の手をグイと掴むと、再び歩きはじめた。
「なぁなぁ、アレ何?」
「あぁ?・・・自動車だ。車だ。」
「じゃあアレは?ホラ、あそこに立ってる紅いの。」
「・・・ポスト。」
「口があけっぱなしだけど大丈夫かな?」
「――大丈夫だろ。」
 そんな会話を繰り返しながら、歩いていく。
 次第に繋いだ手が馴染んでいく。
 しばらく歩いたところで――不意に街が途切れた。

 四角い夜空が、見下ろしていた。

 クイ。
 悟空に引かれて、三蔵は立ち止まる。
「どうした、ごく――」
 悟空を振り返って、三蔵は絶句した。
 悟空は三蔵の手のひらを握り締めたまま、その空を穴が空くように見つめながら――

 泣いていた。

「・・・あの、光ってるヤツ」
 そう言って、悟空は空に浮かぶ星のひとつを示す。
「――あそこに、昔金蝉がいたんだ」
 その星は、星群の岸にあって、チラチラと瞬きながら輝いている。
 それが何であるかということに気付いて、三蔵は思わず口に乗せた。
「――彦星?」
 悟空を見る。
 まだ泣いていた。
「俺はこっち。ほら、あの辺りに住んでるの。今は――俺がいないから、光ってないけど」
 そう言って、今度は彦星の向かい側を示す。
 ――向かい側。
 その間にある、たくさんの星のきらめき。
 今の季節、まるでそれは川のようなうねりとなって――

「天の川か・・・」

 三蔵は呆然と呟いた。
 確かに悟空が示したあたりは、伝承神話によると、「織姫星」がある辺りの位置である。
 夏の第三角を作るはずの一角が綺麗に消え、確かに違和感を覚える様相となっている。
 だがそんなSFじみたことをすんなりと信じられるほど、三蔵の頭脳は高尚な構造をしていない。
 問いただそうとした三蔵は、ハッとした。

『――ソラ。』
『1年に1度だけ、好きな人に会える日なんだって。』
『ココに落ちちゃったみたい。』
『あそこに、昔金蝉が住んでたんだ。』

「――お前は・・・」
 声に悟空が振り返る。
 泣き腫らした目で、三蔵を見る。
 それでも綺麗な金色の瞳で。
「だから、言ったじゃん」
 俺、ソラから来たんだって。
 そう言うと、悟空はわずかに笑う。
「織姫――って言うんだっけ。俺のこと。俺、女じゃねぇのにな」
 自嘲のような笑みだ。
 酷く似合わない。
「――本当は、誰かに会いたくて、俺を迎えに来てほしくて、」
 ずっとずっと待っていた。
 来る日も来る日も待っていた。
 何も考えられなくなるくらい、待っていた。
「俺の、名前を、――忘れないうちに、」

『あぁ?名前がほしい?』
『だってさ。"織姫"って、俺女でもねーのに嫌なんだもん』
『我侭言ってんじゃねぇよ。ったく・・・』
『・・・・・・・・・・・うん。』
『――チッ。しょうがねぇな。俺が付けてやるよ』
『え?ホント??』
『後で文句は言うなよ?』
『言わない!絶対言わない!!』

 貴方が付けた俺の名前を、
 俺が忘れないうちに、
 貴方しか呼ばない俺の名前を、
 俺すら呼ばなくなる前に。
『・・・じゃあ、一回で覚えろよ?』
 ――誰かに、

「悟空」

 誰かに、呼んでもらいたくて。
 忘れてほしくなくて。
「――悟空」
 ――忘れたくなくて。 
「・・・悟空」
「ん」
「悟空」
「――うん」
「悟空」
「・・・・・・・・・三蔵ッ――」
 悟空は間違うことなく、三蔵にしがみついた。
 
 どうか、誰かに。

 誰かに呼んでほしくて、誰かを探していたのかもしれない。
 待つことにくたびれてしまった俺は、
 ――それでも、誰かに俺の名前を。

 月が昇る。
 夜が更ける。
 悟空は顔を上げた。
「・・・八戒が、俺を探してる」
「――そうか」
「だから、もういかなきゃ」
「・・・あぁ。」
 悟空が一歩下がる。
 その姿に、一瞬月の光があたる。 
 視線がぶつかった。
 悟空は愛しげに三蔵を見つめると、不意に、その唇に自分のそれを寄せた。
「・・・・ッ・・・・」 
 一瞬三蔵の動きが止まる。
 ――が。
「ふ・・・っ・・・ん・・・さんぞ・・・!・・ん・・・」
「――黙っとけ」
 三蔵は、悟空の柔らかい唇に強く絡ませると、そのまま濃密な口付けへと持っていく。
 
 今更、離したくないなんて誰が言えよう。
 遠い空から落ちてきた、会えない恋人を想って泣く幼い少年に、
 出会ったばかりの、まるで絵本の中から飛び出してきたかのような少年に。
 どうして自分は、こんなにも、

「――会いに来い」
「・・・三蔵?」
「1年に1度、会いに来い」
「――え・・・」
「待つんじゃなくて、お前が会いに来い。」
「・・・さんぞ・・・?」
「今度は俺が待っててやるから」

「――お前を呼んでやるから。」 

 こんなにも、この少年を想っているのだろう。

「――うん。」

 悟空は最後に笑うと、まるで夜空に溶けるように消えてしまった。
 忘れようがない微笑だった。

 

 

「――先生、アンタ玄奘先生だろう?」
 どれくらい立ち尽くしていたのだろう。
 三蔵は自分を呼ぶ不躾な声に、我に返った。
 振り向くと、紅い髪をした男が、片眉を上げて自分を見ている。
 ――この男は知っている。
 今夜、三蔵が聞き込みをするはずの男――
 と、三蔵は慌てて時計を覗き込んだ。
 悟空を見つけたのが7時15分前。それから大分長いこと彼と過ごしていたから、待ち合わせ時間はとうに過ぎているはずだ。
 だが、時計を見た三蔵は硬直した。

 時計は、ちょうど7時を指していた。

「助かった。ちょっと遅れちまってな。アンタは時間に正確だって事務所のモンが言ってたから、もう帰っちまったかと思った」
 男はあからさまに軽そうな口を叩くと、ふぅと息をついた。
 三蔵は身動きが取れずに、
「・・・あ、あぁ」 
 と小さく呟いた。
「バーで待ってるって話だったんだがな。ちょっとヤボ用が出来ちまって。」
 そう言いながら、煙草を咥えてバーへと足を向ける男。
 三蔵はようやく自分が弁護士であることを思い出していた。
 そのことに戸惑いを覚えながら、男の後を追う。
 ――まるで、
 まるで、会えない一晩の夜を千年の時と勘違いしてしまうほどに彦星を愛した、
 織姫のようだった。
 三蔵は頭を振る。
 鞄に添えた手に力を込める。
「アンタは?時間を忘れてたんじゃねーだろうなァ?」
 男のからかう声がする。
 三蔵の脳裏には、別の声が。
『俺の、名前を、――忘れないうちに、』
 ――そうだな、1年に1度だけだから。
「・・・忘れるわけがねぇだろう」
 そう言うと、三蔵はわずかに口元を緩めた。

 1年に1度の7月7日。
 七つの夕をまたいだとき、
 ――きっと僕は、君と会える。

 


 (終)






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