Trick or trat ?



 人間、何をやっても上手くいかない日というのはあるものだ。

  朝、どしゃ降りの雨で目覚め、
 袂を探れば煙草は切れていて、
 寺院近くの煙草屋まで買いに遣れば、雨で湿気て火がつかず、
 思わず苛々して飼い猿と口喧嘩になり、
 挙句の果てに、その猿と口を利かぬこと約半日。――ともなれば。

 いくら馴染みの顔が訪れたとはいえ、その相手に少しばかりの八つ当たりもしたくなるのが当然というものである。

 三蔵は火のつかない煙草を咥えたまま、器用に舌打ちをした。
 執務室の中では、最近ちょくちょく目にするようになった顔が二つ、一つは苦笑気味の顔を浮かべて、もう一つは恐怖に歪んだ顔をして並んでいる。
 三蔵は、その怯えた顔に向かって打ち込んだ銃弾が、自分の向かいの壁にめり込んでいるのを確認して、もう一つ舌打ちをすると、ようやく手のひらの中の黒光りのする愛銃を手放した。
 それを確認するや否や、ずっと恐怖に顔をゆがめていた悟浄は、ようやく自由になった唇を震わせて叫んだ。
「ッぶねえじゃねえかよ、クソ坊主! 俺を殺す気か、あぁっ?」
「当たり前じゃねーか。てめえが可笑しなことを言うからだろ。世のためにならん害虫を殺して何が悪い?」
「じゃあ、てめえは世のためになってんのかよ?」
「まぁまぁまぁ、二人とも」
 いつものように、掴み合いの喧嘩になりかけたところで、八戒がやんわりを二人の間に入った。
 いつもはここで三蔵が口を閉じ、悟浄も後々の保身のことを考えて舌を仕舞うのだが、どうやら今日はよっぽど腹が立っているらしく、二人の熱は冷めないようだ。
 三蔵は悟浄に鋭い視線を合わせたまま、
「なってんだろうが。口やかましいゴキブリを退治してるんだから」
「やかましいやかましい言うけどな、俺はただ猿はどうしたんだって聞いただけじゃねえか」
「だからあいつは寝室だ。さっきからそう言ってる」
「じゃねーだろ。今日に限って姿が見えねえから――それとも何か? てめえがまた何かやらかしたのか――」
 ガウンッ
 銃声が再び執務室を満たした。
 あらら、と八戒は姿勢を崩さずにため息をついた。
 今度こそ三蔵の放った銃弾は悟浄の頬を掠めたらしく、右の頬に赤い線がつうっと一筋引かれた。
 そこから、じんわりと血がにじみ始める。
 悟浄はぎぎいっとばかりに顔を動かして傷を確かめると、今度こそ黙って一歩下がった。
 三蔵は相変わらず不機嫌な色の瞳のまま、一つ息を吐くと、銃を机の上に放り出した。
 その机の上には、本人も言っている通り、煙草が死んでいるらしく、いつものように山のように積み上げられてはいない。
 それが逆に三蔵の苛立ちを示しているように思えて――八戒は少し眉を顰めた。
 ――まったく、悟浄も余計なことを。
 三蔵が機嫌が悪い事くらい、幾ら出会って一年たらずの八戒たちでさえ、判らないはずはない。
 それも、そのほんの一年足らずの経験によれば、三蔵がここまで機嫌を悪くするのは、煙草が切れているときか、もしくは――悟空絡みだ。
 三蔵に頼まれていた仕事を終えて来てみれば、煙草は使え無いというし、悟空はいない。
 となれば、機嫌が悪いのも必至とさっさと帰れば善いものを。
 ――ホント、損な性格ですよね。
 八戒は固まったままの同居人をちらりと見やりながら、未だ不機嫌なオーラを漂わせている三蔵に、できるだけ穏便に声をかけた。
「本当に――悟空はどうしたんですか、三蔵?」
 その声に、一瞬鬱陶しそうに自分を見るが、まっすぐに見つめてやると、すぐに視線を逸らした。 
「どうもしてねえよ」
「・・・にしては静かですけど」
 苛立ちの溢れた声に、八戒が冷静に返す。
 三蔵はますます八戒の視線から逃れるように、咥えたままの煙草に火をつけようと無駄な足掻きをしてみるが、その動作を逃避と取れない八戒ではない。
 苛つく。噛み付く。突き詰めれば目を逸らす。
 ――嘘ついてる子どもじゃないんですから。
 八戒は苦笑をかみ殺しつつ、そう思った。
 三蔵が悟空にこと関して言えば、悟空自身でさえ知ったら驚くほどに子どもじみてしまうことを、八戒も、おそらくは悟浄も知っている。
 そこで、からかうのが悟浄、静観するのが八戒――まぁこの辺りは二人の人柄を表している行動だと言っても過言では無いだろう。
「――寝室で拗ねてんだろ」
 それこそ拗ねたような声で、三蔵がぼそりと言った。
「拗ねるって・・・喧嘩でもしたんですか?」
 僅かに三蔵の顔が歪む。
 どうやら図星というところだろう。
 チッ、と三蔵は諦めたように一つ舌打ちをした。
「朝っぱらから食い物で遊びやがってな。叱ったんだ」
「・・・食べ物で、遊んだぁ?」
 ギン、と三蔵の鋭い視線が返って来て、まさか悟空が、という言葉を悟浄は慌てて飲み込んだ。
 その代わりに八戒の口が開く。
「食べ物って・・・悟空にとって玩具じゃあないですよね?」
「俺に聞かれても困る」
「目の前に食べ物が在ったら、悟空なら、多分、食べるでしょうし・・・」
 三蔵の言葉をさらりと無視して、八戒は少し考え込むような仕草をする。
 五百年という長い間牢に閉じ込められていたせいか、あるいは元々悟空の胃袋が大きいのか、とりあえずあの小さな体で、悟空は八戒や悟浄の軽く3,4倍は食べる。
 本人いわく、『腹が減る』から食べるのだそうである。
 ・・・まぁ、至極当然の答えであるが。
 その悟空が、食べ物を玩具にして遊んでいた――というのが、八戒と悟浄には想像出来ないのだ。
 それがたとえケーキの上についている造り物の玩具の飾りであっても、間違い無く彼は口に入れるだろうのに。
「食べ物って・・・何ですか?」 
 敢えて、といったふうに八戒が尋ねると、三蔵はついに火の付かなかった煙草をぐりぐりと灰皿に押し付けながら、
「南瓜だ」
 と、それだけを答えた。
「へ・・・? カボチャ・・・?」
「カボチャって、あの、・・・普通のカボチャですよね?」
「普通じゃねえ南瓜ってどんなだ」
 珍しい三蔵の突っ込みにも、「ですよねえ」と八戒は腑に落ちない声で答えた。
 それを見とったのか、三蔵は思い出すように軽く眉を寄せて、 
「南瓜に落書きしたり穴開けたりな。・・・俺が見た時はくりぬいてやがった」
 カボチャに穴開けくりぬいて。
 ――はて、と八戒は思った。
 どこかで聞いたことが――いやむしろ、読んだことがある気がする。
 というよりも、最近どこかで話したような。
 そこまで考えた時、はたと八戒は気付いた。
「ったくお陰で床はドロドロに汚れっちまって掃除が――」
「三蔵!!」
 いきなりの八戒の声に、悟浄だけでなく、三蔵までもが飛び上がった。
「・・・ど、どうした八戒」
「悟浄は黙ってて。・・・ええと、三蔵、今日、何日でしたっけ」
「今日か? ・・・10月31日だが?」
 それを聞いた八戒の顔に、「やっぱり」という表情が浮かんだ。

「三蔵、今日は、ハロウィンなんですよ」

 思った通り、三蔵の顔に浮かんだのは?マークだった。
「波浪・・・雲・・・?」
「ハロウィンですよ。西洋の・・・まあ、お祭りみたいなモンなんです」
「それが悟空の南瓜と関係があるのか?」
「大有りなんです」
 と八戒は苦笑を浮かべた。
「ハロウィンの祭りでは、南瓜に穴を開けて、中身をくりぬいて、中に蝋燭をともしたりして悪魔払いをするんですよ」
「その祭り・・・まさか、黒い布を被ったりしねえだろうな?」
「あら、三蔵、知ってるんじゃないですか」
 言うと、ちげーよ、と三蔵は息を付いた。
「寺院で使う黒い布をサルがボロボロに引き裂いて被ってたからな――その所為か」
「・・・ああ、なるほど」
 納得したように八戒は言った。
 悟浄は、これか?と言わんばかりに、部屋の隅に在った、ぼろぼろの布を指で抓む。
 三蔵はそれには目にもくれず、「それより気になったことなんだが」と八戒に切り出した。
「何でしょう?」
「――どうしてサルがそんなこと知ってやがる?」
 俺は教えたことは無いんだが。
 予想された質問に、今度こそ八戒は満面の笑みを浮かべた。 
「・・・多分、この間、僕が教えたからでしょうね」
 ぴき、と三蔵の血管が切れる音がした。

 

 

 

 

「ったくどいつもこいつも・・・」
 三蔵は、ようやく火のついた煙草を咥え、新聞を片手に息をついた。
 先ほど、八戒と悟浄を執務室から追い出したところだ。
 どうやら今日は本当に上手くいかない日らしい。
 とはいえようやく晴れ始めた空には、暮れ掛けた紅さが滲んでいる。
 その紅さをぼんやりと見つめながら、三蔵は先ほどの八戒の言葉を思い返していた。 
(僕がね、教えたんです。・・・三蔵と一緒にお祭りがしたいって言うから――ほら、秋祭りの時は、貴方が忙しくてお祭りなんて行けなかったでしょう?)
 悟空がちょくちょく悟浄の家に遊びに行っていることは知っていたが、そんな話が進んでいたなんて。
 ――いや、むしろ。
(寂しかったんだと思いますよ、悟空も) 
 そんなことを、考えていただなんて。
 正直、ズドンと腹に来る衝撃が在った。
 どうして言わないんだ、と少し腹も立ったが――多分、その原因は自分にあるのだろう。
 自分の雰囲気や態度が、知らず知らずに言葉を塞いでいるのだろう。
 ただ悔しかったのだ。
 自分の前では吐けない弱音を、八戒の前で吐けることが。
(ハロウィンは、仮装して、家々を歩き回るお祭りなんです。「お菓子くれなきゃいたずらするぞ」ってね) 
 その言葉が、何を意味していたのか。
 ――そう、三蔵は知っている。
 八戒が悟空を引き取りたがっていること。
 寺院の僧たちは、皆悟空を煩がっていること。
 ――そんな声を一蹴してでも悟空を寺院に閉じ込めているのは、紛れも無く自分であること。
 そうだ。 
 自分は別に、稚児にするだとか、あるいは好きだとか慈愛だとか、そういう気持ちで彼を傍に置いているわけではない。
 
 必要だから、欲しいのだ。

 物欲的な意味ではない。性欲的な意味でもない。
 それは居なくなってから判る。
 居ない時にしか判らないから、厄介なのだろう。
 傍に居るとやかましい。
 しかし居ないと苛々する。
 今だって、数百メートルも離れた場所にいるわけでもない。
 それでも手の届くところに、視界の中にあの存在が居ないというだけで、まるで背筋が寒くなるような、虚脱感を覚えてしまうのだ。
 それはおそらく、他の誰にも感じない想いだ。
 
 トン、トン。

 執務室の扉を叩く音がした。
 八戒や悟浄ではない。叩く高さが違う。
 扉を叩いているのが誰なのか――それが三蔵には判りすぎるほど判っている。
 だから煙草を手に取って。
 声が聞えるのを待った。

「・・・お菓子くれなきゃ、いたずらするぞ。」

 拗ねたような顔が覗いた。
 三蔵の口元が緩やかに上がる。
 ああ、そうだ。

「出来るもんならしてみやがれ」

 必要だから、欲しいのだ。 
 

 

 空はゆっくりと紅さを薄らがせながら、満天の星を浮かべ、夜を迎えようとしていた。


 

 

 


 (終)






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