晴渡る広い広い青空とキミと。


 からん、と音を立てそうな青空が広がっている。
 その青空の広さが悔しくて、何となく三蔵は煙草を咥えたまま空を見上げた。
 煙草の先から揺れる紫煙は一瞬その色を隠してくれるが、すぐに煙は溶けて、また青さが目にしみる。
 暑いというよりも眩しいくらいの太陽は、目を焦がしそうで嫌いだ。
 空も太陽もあまりに綺麗で、自分にざまあみろと言っているようで。
「――どしたの、三蔵」
 聞きなれた声に視線を落せば、自分の後ろをついてきた小猿が、ひょこんと自分を見上げている。突然立ち止まったせいだろうか。
 ぱちぱちと瞬く瞳は、見上げたばかりの太陽の色。額にかかる髪は、踏みしめる大地の色。
「どうもしてねえよ」
「じゃあ何で止まってんの」
「何だって善いだろうが」
 つっけんどんに言い放ち、ぎりと煙草を噛む。小猿はぐっと言葉を呑んだ。
 小猿は、名前を悟空という。
「空に、何かあんの?」
「何もねえよ」
「じゃあ何で見上げてんの」
 くいっと法衣の裾を引きながら尋ねる悟空に、三蔵は溜息交じりの声を上げた。
 道は、寺院から街へと出る一本道。昼過ぎという時間帯のせいか、人通りはなく、遠くに街の喧騒が見えるだけで。
 そんな場所で意味もなく空を見上げていれば、それは不審にも見えるかと、三蔵は頭のどこかで苦笑した。
「何もねえから、見てんだよ」
 鸚鵡返しのようにそう答えて、それがいかに理不尽な答えであったかに気付く。
「・・・よく、分かんねーんだけど」
「分かんなくて善い、猿なんざ」
「猿じゃねーもん!」
「そうだな、バカ猿だったな」
 そう言うと、何を、と悟空が幼く気色ばんだ声を上げる。
 そこでようやく視線を落としてやると、悟空の肩から一瞬力が抜けた。茶色の長い髪が、ゆらりと揺れる。
 街から吹き付ける風は暖かく、その髪をふわりと舞い上げて、また彼の肩に落す。
 それはまるで別の生きもののように動くのだ。
「・・・何?」 
 じっとそればかり見ていたのか、悟空は首を傾げて三蔵に問うた。
「何、見てんの」
「別に」
「見てるじゃんか」
「見てねえよ」
「見てるって」
 見てねえ、と三蔵は言いながら、ゆっくり視線を逸らした。
 余りにも――眩しいのだ。
 三蔵は眩しいものが嫌いだ。目が弱いせいもある。
 この地方では珍しい目の色素ということも由来するのか、三蔵は少し光に対して目が弱い。そんなに眩しくなくとも目がくらんだようになってしまう。おまけに弱視だ。眼鏡を掛けなくては仕事が出来ない。
 眩しいもの。
 太陽。
 青い空。
 金色の目をした小さな子ども。
「・・・見てねえよ」
 余りにも、余りにも眩しいものだから。
 いつか昔、誰よりも尊んだ光だから。
 そしてそれは、決して手に入らぬと分かってしまったものだから。
 ――だから太陽に手を伸ばすなど、莫迦なことはせぬと決めたのだ。
 あの銀色の光を失ってしまった時から。
「――うぜェ」
 三蔵は吐き捨てるように言うと、悟空を置いて一人で歩き始めた。
 悟空が背後で戸惑うような雰囲気をみせた。三蔵は気付いていながら、それを無視して進んでいく。
 人里はなれた牢獄の中で、たった独りで閉じ込められていた子ども。
 ずっとずっと呼び続けていたくせに、「あんた誰?」と無邪気な顔を傾げた子ども。
 あんなに暗い鉄格子の中で。
 たった独りで。
 太陽とも空ともかけ離れた場所で。
 なのにどうして、と三蔵は唇をかみしめる。

 彼はどうして、自分のように、歪んでいないのだろう。

 まるでまっすぐな目で。まるでまっすぐな言葉を。
 ついこの間まで鉄枷など嵌めていなかったかのような陽気さで。鉄格子の中にいたなど思わせないような明るさで。
 どんなに手を伸ばしても届かない、空の、雲の、その一番てっぺんに在るような――輝き。
「なあ」
 背後からいつもと変わらぬ声が飛んだ。
 三蔵は振り向く。――不機嫌な顔で。
「何だ」
「今、気付いたんだけどさ」
「・・・何を?」
 こうやって、と悟空は両手を軽く広げて見せる。
「太陽の光がいっぱいあたるとこだと、キラキラして見えンだな」
「・・・何が?」
 さっきから決定的な主語が抜け落ちている。
 三蔵はなかば苛ついて聞き返した。
 すると悟空は満面の笑みで、
「――三蔵」
 と言ってのけたものだから、さしもの三蔵も目を見開いた。
「・・・は?」
「何かさー、部屋の中だとキレーだな、くらいにしか思わないんだけど」
「・・・・・・あぁ?」
「光がいっぱい当たると、無茶苦茶キレー」
 無茶苦茶、がつくとつかないのとでは、何か決定的な違いでもあるのだろうか。
 そう考える前に、三蔵は綺麗と形容されるものが自分の髪であることに気付いて、驚いた。
「・・・綺麗か?」
「キレーだよ。キラキラしてる」 
 琥珀というには色が薄く、白というには色味の強い髪の色。
 三蔵はあまり好きでは無い。この髪のせいで、弟子の頃はよくからかわれたものだから。
「すっごいキラキラしててさー、」
 悟空はてへへ、と笑いながら何気なく言った。

「何か、太陽みたい」

 でも、太陽は三蔵みたく怒ったりしねーけど、と悟空はいたずらっぽく笑いながら付け加えた。
 三蔵は目を見開いたまま――呆然とした。
 そしてその表情はゆっくりと苦笑へ変わっていく。
 口一杯に、苦さと甘さが混じり合いながら広がっていった。
 目の沁みるような青い青い空。
 その中に浮かぶ太陽。
 その輝きはある者の目を焼き、そしてまた別の者の道を照らすのだろう。
 だが――おそらく、太陽自身には、己の輝きが分かることは、無いのだ。
 この小さく元気な生き物が、己の輝きを知らぬように。
「・・・日光にでも当たったか」
「ん?」
「暑すぎてアタマがボケたんじゃねえのかって言ってんだよ」
 からかいの言葉を吐くと、一瞬の間を置いてその言葉の意味を悟った悟空が「ボケてねえもん!」と頬を膨らませた。
 三蔵は軽く悟空の頭を叩き、脱げ掛けた帽子をかぶせてやると、口元を隠すように煙草を咥えた。
 ゆっくりと上がっていく口元を、隠すように。

 



 (終)





ぎゃあ〜甘い〜甘い〜(滅)
こんな甘いの半年ぶりです私。
余りの甘さにメルマガ発行にしようとも思ったんですが、今回はこちらで。
同タイトルの竜さんの絵日記より。竜さんに捧げます。(礼)


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