I WISH


 


 あるピアニストは、耳が聞こえなかった。
 それでも歌を作ることが出来た。
 ある画家は、色盲だった。
 それでも絵を描くことが出来た。

 ある戦士は、左腕と右目が無かった。
 それでも銃を持つことが出来た。
 
「……不思議な顔をしてンな」
 その軍服を着た偉そうな女は、目の前で突っ立った、同じ軍服姿の男に笑みを投げかけた。
 同じ軍服だが、二人の間には性別違いにも決定的な違いがあった。
 まず女にも男にも胸の辺りに沢山の勲章がついていたが、女のそれの方が多かった。
 次に女の軍服は着なれているものの汚れや破れなど一つもなかったが、男のそれにはあちこちに綻びの痕があった。
 女の髪は黒く長く、後頭の高い位置で結い上げられ、男の髪は金で短く、無造作であった。
 女が携えているのは煙草だったが、男が手を離さないのは片手で支える銃だった。本来ならば片肩にかけ、照準を合わせて敵に撃ち込む能力を持つそれは、敬礼と同じ時のように、銃口を上にまっすぐに立っていた。
 そして何より決定的に違っていたのは、女は両腕があったが、男の左腕の袖は持ち主を無くしてゆらゆらと揺れていたということだった。
「そりゃあ、するだろ」
 本来上官であるはずの女に、男はぞんざいな口調で聞いた。
 二人に共通しているのは、この乱暴な話し方と、紫の目である。この色はこの辺りには珍しい色だった。
「俺には先月の軍会議で除隊命令が出たはずだが」
「らしいな」
「その軍の最高指令者が俺に言うべき言葉じゃあないだろう」
 その言葉に女はクッと笑った。
 事実のところ、女は男が言うところの『最高指令者』という肩書きを持っているわけではない。
 彼と彼女の軍は、大して能力もない、しかし独占欲と支配欲だけは人一倍ある、ようするに凡庸なひとりの男によって統率されており、その男の配下であるのが彼女であった。
 だが、誰でもわかっていることだった。真実この軍を動かしているのが、彼女であることを。
「話は手っ取り早く済ませたいタチなんだ」
「偶然だが俺もそうだ」
「なら話は早い」 
  女は笑みを深める。
「軍に戻れ」
 その言葉に、男の方がくぅっと目を細めた。
「……どういうつもりだ」
「どうもこうも。言葉通りさ」
「戦えと?」
「ああ」
 軽く答えた女に、男はぎりっと手にした銃に力を込めた。
「俺に、戦えと?」
 眉間の皺が深くなる。
 男の周りの怒気がぶわっと広がり、その様子に女は小さく溜息をついた。
「……お前の言いたいことはよく分かるさ」
 その言葉に、しかし男の眼光は鋭くなるばかりだ。
「上官に騙され、知らないうちに囮にされ、隊長であるお前以外の全員の隊員が地雷による爆死――たまんねえよな」
「そんなことを言ってんじゃねえよ」
「……それも分かってるさ」
 総て見透かした口調でそう言うと、女は口元を歪めた。
「お前は完全主義者だからな」
 その一言で、男の怒気は、悪戯の発覚した子どものようにうろたえ、霧散した。
 小さくかぶりを振ると、空になった右袖が揺れた。
 女は自分と同じ色をした男の両瞳をじっと見つめ、その視線を女にとってはやや右――男にとっては左に移す。
「見えない片目で闘うのは、怖いか?」
 男はあたかも「そんなことはない」と言いたそうに口を開いたが、声を出すのも躊躇われるように眉間に皺を寄せ、言葉はやがて呑み込まれた。
 地雷の破片の直撃した右目。もはやぼんやりとした輪郭としか映さない右目。
 生きるか死ぬかの戦場で、左腕と右目を失った戦士の行く末など決まっている。
 せいぜい突撃部隊の戦闘に立って、決死隊の一員にでもなるか、あるいは軍を退いて戦士をやめるか。
 軍の上層は、軍裁判で彼に後者を命じた。上層でなくとも、彼はもう戦うようには思われない姿だった。
 それなのに闘えという。この女上司は。
 はッ、と女は短く呼気を吐いて言った。
「できないことはないだろ? 片目と片腕くらい」
 くらい、と簡単に言ってのける。
「……何がさせたいんだ」
「闘えと言ってる」
「だから、貴様は俺に――」
「『死ねと言いたいのか?』」
 ぐっと男は言葉に詰まった。
 図星だろう、と女は笑う。
「死にたいンなら死にゃあいいさ。殺したいなら殺しゃいい」
 煙草の煙がゆらりと部屋の空気を揺らした。
「てめえが本当に死んでも善いと思ってんなら別だがな」
「……」
「上層の奴等はそう思ってるぜ、好都合なことにな。何てったってお前は軍の機密を見た――なのに生き残った」
「だからこんな軍なんか」
「また今日も死ぬんだ、多くの奴等が。お国とこの大地と、自分の上官の命令だけを信じて、味方のトラップに掛かってな」
「……それが戦争、だろ。」
「生きてる奴が、生きてるまんま、何も知らずに死んでいくのさ。お前なんざ放っといても死なんだろうがな。」
 こっちだ、と男の耳の裏に言葉が蘇る。
 こっちだ、早くこっちへ、と隊員たちを呼ぶ。
 ある程度敵を引き寄せたら、近くの草むらに逃げ込めという命令を受けていた。そこで味方が返り討つから、と。
 あと二歩、あと三歩。
『隊長ッ!後ろから――っ』
『分かった、いいから早く来いッ! ……どうした、おい!』
『すみません、先ほど足を撃たれて……』
『馬鹿がッ! 肩を貸せ! 他の奴等はさっさと草むらに――ほらしっかりしろ!』
 かついだ隊員の重みが、今も右肩に残っているようだ。
 今は無き左腕にも。
『すみません、隊長――、すみません』
『いいわけなら後で聞いてやる。黙って走れ』
『あの、隊長、俺、おれ――』
『……いいから』
 敵はすぐ後ろに来ていた。
 その茶色の髪の隊員は、半泣きになりながら男に縋りついた。
 追いつかれるのが早いか、味方が飛び出してくるのが早いか。
 そう男の頭によぎった瞬間、数十メートル先で火柱が上がった。地を揺らす震動と衝撃と共に。
 ズドオオオオオオオン
『ぐアあああああああッ……』
 敵の攻撃ではない。
 地雷だ、と頭に浮かんだ。
 だが、なぜこんなところに。
 自分達はここに逃げ込むはずだ――敵が埋めた地雷など、先駆班が調査しているはずなのに。
 どうして、どうして。
 疑問が浮かぶより先に、近くで二、三と火柱が上がった。
 聞きなれた声が、悲鳴に変わっていく。
『グッ……』
 ズドオオオオオオオオンッ
『うアアアアッ……!!!』
 ズドオオオオオオオオンッ
 男は我に返って叫んだ。
『地雷だ! 進むなッ! 止まれええええええええっ!!!!』
 その声は爆音にかき消された。誰にも聞こえないようだった。
 二十人いた隊員の、一体誰が死んだのか、男には把握することも出来なかった。
 だが喉が痛くなるほどにに叫んだ。
『止まれええええええええええええッ!!』
 視界のあちこちで火柱が上がる。
 左で、右で、……手の届きそうな、すぐそこで。
 背後でも聞こえる。自分たちを追って来た敵達の。
 こんな場所に、こんなに多くの地雷が仕掛けられているわけがないのだ。
 そう思ったとき、ようやく男は、自分達が囮にされたのだと気付いた。
 騙されたのだ。
 軍に売られたのだ。自分達は。
 それはザッと血の気が引いて行くような脱力だった。
『隊長、これは……』
 肩により掛かったままの隊員もまた目の前の光景に呆然として呟いた。
 そしておそらく亡くなったであろう、誰かの携えていた銃がガチャリと彼の目の前に飛来し、落ちた。
 総て同じ型の、見分けもつかないものであったが、慣れ親しんだ隊員の誰の持ち物であったのか、隊員には推し量ることが出来た。
『あ……ア……ジャッ……ク……』
 男が気付いた時には、仲間の死にパニックに陥った隊員は、既に一歩足を踏み出そうとしていた。
 まるでそこに敵がいるように、宙を両手で掻き回しながら。
『ア……嫌だ……いやだ……ジャック……ジャッ……』
『――や』
 男が押し留めようとした時は、遅かった。
 隊員が踏み出した足のその下で、確かにカチリという音を――地雷独特の音を――聞いた。
 茶色の短い髪が、スローモーションのようにふわりと動くのを、男は見た。
『やめろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!!!』
 その声は果たして彼に届いたのか否か、男には分からない。
 次の瞬間、目の前は身の竦むほどの閃光に襲われ、意識ははじけ飛んだ。
 気付けば軍内病院のベッドに横たわっていた。
 既に左腕は無かった。
 怒りも無かった。
 ただ脱力だけがあった。
「俺たちを、憎むか?」
 女は口元を歪めると、そう言い放った。
 男はゆっくりと首を横に振る。
 ――せめて、憎む力でもあれば。
 それなのに自分はまだ軍服を着ている。不思議なことに。
 ふと男は、目の前で散った隊員の、茶色の短髪を思い出した。
 どうしてあの爆音の中で、あんなにも、その色を覚えているのかは分からない。
 覚えてなどいないのかもしれない。
 隊員だというのに、名前を覚えるのが面倒だからと、誰の名前も顔も覚えていない。だから髪の色だけ印象に残っているのかもしれない。
  ……あるいは。
『戦争に、行くの?』
 そう言った時の、「彼」の悲しそうな目。
 絵を描くことが大好きなのに、色を知らない目。
 あと一年足らずで何も見えなくなるだろうと言われている目。
 その目に、この世には本当に様々な色があるのだと、教えたくて。
『俺のため? 俺の目……治すのに、いっぱいお金が掛かるから?』
 その通りだ、と頷くことは男には出来なかった。
 そう出来ないくらいに大切な存在だった。
 だからそっと首を横に振った。
『うぜェからな。こんな戦争なんざ、さっさと終わらせてやる』
『……無理だよ。皆言ってる。この戦争は負けるって。俺たちの負けだって』
『馬鹿、んなこと簡単に口にしてんじゃねえよ。公安にとっ捕まるぞ』
『でも』
『黙ってろ』
 そう言って茶色の髪をくしゃくしゃにしてやる。金色の瞳が揺れる。
『……死なないで』
 しなないで、と彼は繰り返し言った。
 そのたった五文字の言葉が、今も胸にある。
 茶髪の隊員が地雷を踏んだ時、不意に重なってしまったのは、「彼」の長めの茶色の髪だったのかもしれない。
 こんな戦争など早く終わらせたい。それが本音だ。それは一部隊の隊長になったときもそうだった。
 早く終わらせて、貰った金で、彼の目を。
 そう思いながら、軍服を纏い、彼が一番嫌っていた戦争に参加している。
 ――なんという皮肉だ。
 風の便りに聞けば、自国は酷く荒んでいるという。
 六歳の子どもが愛国心を示さなかったと言って殺され、六十を超えた老人が労役に参加しなかったと処刑される。
 戦況も明らかだ。自国に勝ち目が無いことは、誰よりも男自身が分かっている。
 国のためでは既に無いと思う。自分が戦うのは。勿論自分のためではなく、おそらく彼のためでもなく。
 
 何のために軍服を纏い、誰のために銃を握るのか。

「死にたくねえなら、殺すしか無いんだ」
 一度軍服を着てしまった体だから。
 女は短くなった煙草を咥えてぼそりと言った。
「それとも俺を殺すか?」
 銃を握る男の手に力が篭る。
 女は至極真剣な眼差しと、それとまるで対比的な穏やかな顔立ちで、強張った男の銃を取り、銃口を自分に向けた。
「殺せるか?――お前に?」
 ぎりっとその銃口を額に当てて見せる女。
 男は銃を握る手に汗が浮かんだのを感じた。
 そのとき男は不意に――本当に不意になのだけれど、昔どこかで読んだ三流小説の一説を思い出した。
 
 ひとよ、おまえは、誰かを殺してまでもそのねがいをかなえたいのか?
 それならば既にお前は、ひとであることをやめなくてはならない。
 
「――殺しても」
 男は口を開いた。
 女の眉がぴくりと動く。
「殺しても、守りたいものがある」 
 ぐ、と引き金に指を掛けて力を込める。

 殺してでも。
 誰を殺してでも。 
 味方を裏切ってでも。
 味方を裏切ることを黙認してでも。
 それでも、あの金色の目に、一度でいいから、色を見せてやりたい。
 死なないで、と潤むあの目に、世界にはどんなに色が溢れているか、見せてやりたい。
 いつも愁う表情ばかりの彼に、とびっきりの笑顔を。
 たとえ。
 たとえひとを、やめるとしても。
 俺には叶えたいものがある。
 願いがある。

「俺には、てめえを殺してでも、やらなきゃならんことがあるんだ」
 女の口元が、ゆるりと上がった。
 
 ガチリ、と、特有の音が部屋に響いた。

 女は銃口から手を離した。
 男は銃を肩に掛けると、まっすぐに指を伸ばし、敬礼した。
 女が一つ瞬きをする。
 二人の視線が合った。
 男の目が、かすかに細くなった。
 女は再び笑んだ。
「第一前線戦線指令本部副長の名において、副官直属部隊隊長の任を命ずる」
 男の敬礼の手は、指ひとつ動くこともない。
「任務は副官のみの命ずるところのものとする。いかなる理由であろうとも遂行拒否は赦されない。またこの任務および部隊は極秘のものであるとせよ」
 ピンと張り詰めた声が、空気を震わせる。
「まずは第一任務の遂行を任ずる。――任務は、」
 女は片目を細めて見せた。
 「戦争を――この軍を、壊せ」
 以上だ、と女は告げた。
 男は息も吐かずにいるようだった。
 また二人の視線が絡んだ。
 まるで無感情に絡み合った。
 男は眉ひとつ動かさない。女も笑んだ表情をぴくりとも動かさない。
 歪みを生み出すほどの静寂が、一瞬部屋の中に満ちる。 
 男が低い声を吐き出すまで。
「了解した」
 


 数ヵ月後、ひとつの戦争が終わった。
 それは長い年月を必要以上に費やした悲劇の、あっけない幕切れであった。
 勝利軍は、自軍の捕虜の救出と、相手軍の重要人物の身柄を拘束するため、敗北した軍の指令本部に乗り込み、そして唖然とした。
 軍の主だった人物はひとりを除く全員が既に何らかの理由、何者かの手によって殺され、指令本部は最早もぬけの殻であった。
 死体が多く転がっていたが、誰もその数をかぞえる趣味の持ち主はいなかった。
 勝利軍の上層部は、原因はおそらく内部崩壊だろうと位置付け、それで戦争は終わった。勝ったのだから、それでよかったのだ。
 だが、不審に思った軍部のひとりが、内密にデータと死体を突き合わせ、奇妙なことに気付いた。
 唯一生きていたひとり、指令本部の副長の直属部隊の重なり合った死体を調査していたときのことだ。
「死体が足らない……?」
 報告書は念の為彼の上司へと提出されたが、戦後の混乱の中で、そんな些細なことはやがて揉み消され、闇の中へと消えた。
 副本部長への尋問も行われたが、結局何も分からなかった。
 そして戦争は記述に残り、時代と共に記憶は薄れて行った。
 見つからなかったのは、片目片腕の戦士の死体。
 彼の行方は、誰も知らない。



 (終)






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