チョーカー


 


 いつものように執務室で仕事をしていた三蔵が血を吐いて倒れ、慌てたように医者が呼ばれた。
 それから俺や八戒や悟浄が三蔵の枕元に呼ばれて、荒い息をつく三蔵の瞳から光が失せるまで。
 その吐息が、その温もりが消えるまで、
 二日とかからなかった。

 三蔵が死んだ。

 俺の目の前で、三蔵は死んで行った。
 その吐息が失せる瞬間を、俺は見ていた。
 手のひらから力の抜ける瞬間を、
 その瞳が、俺を見たまま、動きを止めた――その瞬間を。
 笑っていた。
 俺を見て、笑っていた。
 安らかな顔をしてた。
 俺たちが一緒だった時間て、どれくらいあったっけ。
 ――ああそうか、もう15年になるんだね。
 旅が終わってから、5年も経ったんだね。
 何だか今でも不思議。
 だって昨日はいつものようにハリセン振り上げて、俺を怒ってたのに。
 その前の日は一緒に街へ買い物に出かけて。
 もう、本当に動かない?
 実は動いて俺を莫迦にしたりしない?
 いつかの死んだフリみたく。
 「莫迦猿」って俺を殴って、その目で俺を見ないかな。
 ねえ、三蔵。
 
 ・・・ねえ、三蔵はいつから知ってたの?
 自分が病気だったってこと。
 もう先が短い身だったってこと。
 だって医者が言ってたもの。
 だいぶ痛みが酷かったと思いますよ、って。
 今まで生きてこれたなんて不思議だ、って。
 
 でも本当は気づいていた。
 真夜中、貴方が苦しんでいたこと。
 俺に気づかれないように、必死で、隠して。
 知ってるんだ。本当は。
 2ヶ月前の長い出張、あれは本当は、何処かに診療を受けに行ってたってこと。
 寺院つきの医者だと俺に判るから、だからわざわざ遠くまで行ったこと。
 出張から帰ってきた貴方に、煙草の匂いがしなかったから。
 ――そう、あのとき本当は判っていた。
 もう、三蔵は助からないんだってこと。
 あのとき「おかえり」って言った俺に貴方が見せた、
 あの優しい顔を見た時から。

 ねえ、だから気づかないふりをしたんだ。
 貴方の死期なんてちっとも知らないふりを。
 俺、上手かったでしょう?
 貴方の横で眠りながら、次の朝、貴方が起きるかどうか判らない、そんな不安を抱きながら、
 そのときのことを考えると喉がずくりと熱くなるから、
 だから何も見ないふりをして。
 貴方の温もりさえ、感じないふりをして。
 しっかりと瞳を閉じて、まぶたを閉じて。
 手を尽くしてどうにかなるものなら、俺は自分が死んだって構わなかった。
 それなのに、貴方の瞳が、貴方の肌が、それを赦さなかった。
 どうにもならないことなんて、貴方が大好きな煙草を吸わなくなって、ずっとずっと気づいてたんだ。
「――煙草、吸わないね」
「ああ?」
「最近、吸わないね」
「・・・・・・」
「どうして」
 貴方は紫の瞳を俺から逸らして、
「――不味いから」
 その目で小さな嘘を付く。
 そうして好きな煙草を我慢して、得られる時間なんてほんの少しなのに。 
 なら吸っちゃえばいいと思うのに。
 貴方は煙草に手を出す代わりに、暇があれば俺に口付けた。
 その口付けを、俺がどんな気持ちで受けたか判ってる?
 嬉しがるふりをして、機嫌がいいね、なんて言ってみて。
 心の中は、本当は、貴方の増えた笑顔が、凄く悲しかった。

 ねえ、俺を誉めてよ。
 上手く出来たな、って、頭撫でて笑って。  
 俺、何も知らないふり、頑張ったでしょう?
 良く出来たでしょう?
 だからほら、その口を開いて。
 ねえってば、俺の名前を呼んでよ。
 あの無愛想な声で。
 
 ザクリ、と俺は金色の束を切り取った。
 背後では、葬儀の用意で僧たちが慌しい。
 誰も俺に気づいて居ない。
 俺は三蔵の髪を切ったその小刀で、俺の髪も一束切った。
 そしてそれを、見えないようにそっと、三蔵の手元に添える。
 約束にもならないけれど。
 少しくらい、繋がって居られるように。
 貴方が俺を忘れても。
 きっと何か、いつかの道しるべになるように。
 俺も顔はなるべく見ないようにした。
 忘れておくよ、貴方の顔は。
 きっと次に会ったとき、
 貴方は俺を忘れてるだろうから。
 だからこれでおあいこ。
 ほら、これでお揃い。

「・・・悟空」
 遠慮がちに呼びかける声がした。
 振り向くと、八戒と悟浄が立っている。
 俺はもう、すべきことを判っていた。
「行こうぜ、サル」
 だから彼らが伸ばした、手を取った。

 

 

 

 

 



 彼の髪から切り取った金色の糸の束は、八戒が編んでくれた。
「ちょっとチョーカーには短いですね」
 そう言って渡してくれた。
 首に当てる。本当だ。ちょっと足りない。
 俺はそれを腕に巻いた。
「なんだ、ぴったりじゃねえか」
 悟浄は煙草を咥えながら、その先を結んでくれた。
 金色の腕輪が、上手い具合に腕に収まった。
 まるで誂えたみたいに。

 しゃらん、とそれは揺れた。
「・・・ふわぁあ」
 俺は大きな欠伸をした。
 それを見取って、八戒が小さく笑う。
「眠いんだったら、お昼寝したらどうですか」
「いいよ。てゆーかこの時間から寝てたらクソ河童にからかわれるし」
 時計は午後2時。
 子どもの寝る時間ですらない。
 だが、昼食を終え、いいくらいに満腹感を感じた俺には、最高の睡眠時間帯である。
 八戒は夕食を終えた後片付けに勤しんでいる。
 俺は何もせず、ぼうっとしている。
 新聞もない。勿論郵便物は来ない。
 それでも初めは新聞を買っていたが、数十年もするうちに、配達員が気味悪がって近づかなくなった。
 それでいいと思う。
 別に誰と接しなくてもここでは生きていけるし、たまに街に下りれば、それで事足りる。
 時間は余るほどにあるのだ。
 悟浄はといえば、あれも彼の一つの趣味なのだろう、ナンパに忙しくしている頃だ。
 まだ家には帰ってこない。
 つまりは、暇。
「――暇・・・」 
 呟くと、静かな家に声が響いた。
 ふと、八戒が思いついたように言った。
「あ、暇ならお使い頼んでもいいですか?」
「お使い?」
「ええ。ホラ、そろそろカフス付け替えなくちゃいけないかなって思いまして」
 笑って八戒は、耳に付けた三つのカフスを示す。
 そのうちの二つにはヒビが入り、一つは半分壊れ掛けている。
 八戒のカフスは、俺の禁錮とは違って市販のものだから、同じ妖力制御装置でもずっと壊れやすいんだそうだ。
 俺の方はといえば、錆びる気配も見せない。綺麗なままだ。
 別にもう牛魔王の蘇生実験は終わったのだから、俺はともかく八戒は外しても良さそうなものだが、八戒はお守りのようにずっとカフスをつけている。
 戒め、なんだそうだ。八戒に言わせると。
 だから数十年に一度くらいは取り替えなくてはいけない。
「もう何個目になるかな」
「そうですねえ、」
 と八戒は、手元のテーブルの引き出しを開けた。
 其処には壊れてしまった時計と、使い古したカフスが入っている。
「1つ、2つ、3つ、・・・もう10個目くらいにはなりますねえ」
「・・・そっか。」
「――早いものですね」
 言葉を短く切った俺に、それがわざとだと気づいたのか、八戒が懐かしむように声を掛けた。
「あれからもう、500年が経つんですね」
 その声に、俺は自分の肩が震えるのが判った。
 そう。
 「彼」が死んでから、もう500年。
 彼の名前は――もう、忘れてしまった。
 顔もおぼろげにしか覚えていない。
 ただ、金色の、その糸と光と温もりを忘れないようにと造った腕輪が、しゃらしゃらと腕で揺れている。
 もうすっかり色あせてしまったけれど。
 だって貴方だって、きっと俺を覚えてはいないでしょう。
 だからね、忘れることにしたんだよ。
 何度だって出会える約束に、
 貴方を忘れることにしたんだよ。
「・・・お使い、行ってくる」
「あ、これ」
「――いいよ。そんくらいのお金、俺だって持ってる」
 俺はそう言うと、「いってらっしゃい」という八戒の暖かい声を背に、家を出た。

 あれからずっと、俺は悟浄と八戒と一緒に住んでいる。
 俺たちは老いなかった。
 人間の血が混じっているはずの悟浄も、老いなかった。
 どうしてだろう、といつか尋ねると、お前と同じになったんだ、と悟浄は笑った。
 人間の部分を捨てたのだと、そうすることで俺や八戒と生きると決めたのだと、後から知った。
 彼らの優しさの中で、俺はこの500年を生きてきた。
 彼らは俺を愛してくれた。彼らなりのやり方で。
 だけどゴメン、八戒、悟浄。
 どうしてだか判らないけれど、俺は彼を忘れられない。
 名前も、顔も忘れてしまっても――どうしても。
 この腕輪が500年の時を越えてなお千切れもせずに俺に触れているように、
 俺は、彼の存在を、彼が存在したことを、忘れられない。
 昔、俺は500年の後に彼と出会った。
 そしてまた、あれから500年が過ぎた。
 ――500年が経ったのだ。
 
「おじちゃん、コレちょうだい」
「はいよ、まいどあり」
 俺はカフスの入った紙袋を手に、林檎を一つ、指差した。
 買い物は終わった。
 林檎にむしゃぶりつこうとして、何故かそうしてはいけない気がして、俺は貰った袋にそれを納めた。
 八戒や悟浄と食べよう。小さい林檎だけれど。
 俺の腕で、しゃらりと腕輪が揺れた。
 それを目に止めたのか、露天商の男が声をかけてきた。
「おう、お嬢ちゃん、そんな薄汚ねえ腕輪はやめて、どうだい、こっちの流行り物なんか」
 そうして、見るからに若者が好きそうな洒落た装飾具を示す。
 背が低いからか、髪を伸ばしているからか、俺は女に見られることも度々あったのだ。
 俺はちらりとそれらに目を走らせる。 
 綺麗な腕輪だ。――だけど、欲しくは無い。
「やめとくよ」
「つれないなあ、ちょっと外して、こっちを付けてみたらどうだい?」
「・・・いや、」
 俺は小さく笑う。
「外れないんだ、コレ」
 そうして腕輪を揺らした。

 貴方は何処にいるのだろう。
 何処かにいるのだろうか。 
 どこか普通の家に生まれ、
 普通の生活を送り、
 俺のことなんて欠片も忘れたまま、
 何処かで死んでいくのだろうか。
 ――そうしたら、俺は、
 そうだ、それでも俺には待ち続けることしか出来ない。
 あの日、あのとき俺に手を差し伸べた、綺麗な綺麗な――
 不意に、傍を通っていた通行人にドン、とぶつかって、俺は少しよろめいた。
 抱えた荷物の中から、林檎が一つ、転がっていった。
 通行人を縫うように、俺はそれを追いかける。
 人々の足元に転がったそれに、手を伸ばす。
 そのとき、自分より少し大きめの手が、自分より早くそれを拾い上げた。
 誰かが拾ってくれたらしい。
 その誰かは、俺に向かってそれを差し出した。
「あ、ありがとう――」
 礼を言いかけた俺の口を、光景が塞いだ。
 金色の糸。
 無愛想な表情の男。
 青い空。
 さらりと、それが風に揺れた。
 その瞳が俺を見ていた。
 彼は金色の髪をして、眉の間に皺を寄せて。
 俺は息が止まるのが判った。
 もう、人ごみの声は、何もかも聞えなくなった。

 ああ、間違ってた。 
 莫迦みたいだ、俺。
 莫迦みたいに、
 ――覚えてた。
 貴方が傍にいる感覚を、
 其処にいる感覚を、
 莫迦みたいに、覚えてた。
 指先から、頭の先までが、ちりちりと焦がれるほどの感覚を。
 心の底から見えない何かが溶け出すような、そんな熱い感覚を。
 どんなに時が過ぎても。
 貴方と言う人が転生しても。
 ・・・忘れてなんか、なかった。

「――おい」
 男の口から言葉がつむがれる。
 その眉が、その口元が、俺を見るときだけの仕草に動く。
 変わっていない。変わるわけがない。500年やそこらで。
 変わるものか、その瞳の強さが。
「・・・俺を、」 
 さあ、俺を。
「俺を呼んでたのは、」
 俺を、思い出して。
「――お前か?」
 
 しゃらん、と音を立てて、ゆっくりとそれは外れた。


(終)



昔書いた三蔵死ネタをりにゅーあるしてみました。(すな)
髪で作った腕輪と言うのは別話にも登場させましたが、お気に入りなので遣いまわしました。
苦情はメルかビビエスでどぞ。(びくびく)


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