※NOVEL「荒野に立つ者」設定 江流×悟空です。









 共に居ることに、どんな意味があるのだろう。

 そう問うと、彼はいつも少しだけ笑う。
「そうだね」
 琥珀色をずっとずっと薄めたような目で、見えないはずの俺を見て。
「君は、どう思う?」
 いつだってそう尋ねる。

 共に居ること。
 同じ宿を取り、
 同じ歩幅で歩き、
 同じ物を食べて、
 ――同じ床で眠る。
 同じぬくもり。
 ぬくもり――というものを、彼に触れて初めて俺は知った。
 ごく自然に彼は俺と同じ部屋に宿をとり、
 同じ寝台で眠った。
 まるでそうするのがアタリマエで、そうしないのが不自然だ、とでも言うように。
 それまで他人と枕を並べて眠る習慣が――遊女とすら無かった俺にとって、それは苦痛にしか過ぎなかったが、次第に慣れた。
 同じリズムの、呼吸。 
 俺の横で彼がすうすうと寝息を立て始めた時には、どれだけ危機感の無い人間なんだ、と思ったものだが。

「江流」
 呼ばれて、俺は視線を隣へ移す。
 寝着を纏った小柄な体は寝台に寝そべり、半分ほどをシーツに埋め、もう半分が俺を見ている。
 その体は余りにも華奢で、その双肩にかかる重みを感じさせない。
 サイドテーブルには、彼がいつも纏っている法衣と、経文がふたつ。
 それが五つ総て揃って仕舞えば天地さえ新たに生まれるという、途方も無い力を持つ経文なのだというのが、俺の知ってる最低限度の知識だ。
 昔、その力を利用して世界を意のままにしようとした者達がいるのだという。その討伐に向かったのが、経文の所有者である三蔵法師。
 それが、伝承歌で伝えられる『三蔵法師』と『経文』だ。
 真実か否かは史実に譲るにせよ、それがふたつとも俺の前にあるのは確かなことだった。
 彼が『三蔵法師』であるなんて、俺にはまだ信じられないことなのだけれども。
「君もいつか――思うのかな」
 不意に彼が呟くので、つられたように、何を、と俺は聞き返した。
 幼い口調は、彼の年齢を曖昧にする。
 今更、それを聞くのはとても恐ろしいことのように思えた。
 彼と共に居るようになって五年、俺の背丈は伸びたけれど、彼は一向に歳を重ねる気配がなかった。
 俺がようやく二十を超えたから、並んでいると背の高い俺の方が年上に見えるかもしれない。
「その人と共に居たいって」
 そう呟いて彼は密やかに笑う。
「そう思う誰かが現れるのかな」

 前任の『三蔵法師』を俺は未だに良く知らない。
 ただ、ひとつの世界しか知らなかった彼に、多くの世界をもたらした男である、と俺は聞いている。
 その男のことを滅多に彼は話さない。話せない、のかもしれない。話す類の存在ではないのかもしれない。何となくだけれど、そう感じる時がある。
 自由でなかった彼に光というものをもたらした男であり――はっきりとは言わないけれど、彼から光を奪ったのも、恐らくはその男なのだと思う。
 そう思うたびに、ちりちりと心の奥が焦げるような気がする。
 俺の知らない彼。
 知らない部分。
 光と共に消えてしまった彼の一部。
 不意に。

 カッとこみ上げた感情が、彼の喉元に掌を翳させた。

 気配がわかるだろうに、彼は瞬きすらしない。 
 ひくり、と指先が痙攣するように、彼の白い顎に触れる。
 それでも微動だにしない。
 琥珀色をずっとずっと薄めたような色の
 目が
 見ている
 俺を
 見えていない筈の目が。
「――アンタは……っ」
 いたたまれなくなったのは俺の喉の奥だった。
「アンタはいつだって、ここにはいないくせに……っ」
 
 光を失った時に、
 彼は多分彼の一部を失ってしまったのだと思う。
 彼が彼の「三蔵」を喪ったときに、
 多分彼の殆どを喪ってしまったのだと思う。
 どれだけ側にいても近くにいても触れていても抱いていても、実感が無い。
 彼がここにいるという時間が無い。
 衝動的に彼の喉元に手をかけている今でさえも。

 彼が見ているのは本当に俺なのだろうか。
 それとも。

「そうだね」
 静かに彼が言って、俺はハッとした。
 暗闇。
 手の平。
 喉元の、温もり。
「ここには、今の俺しかいない」
 そっと掌が差し伸ばされる。
 ぴくり、と触れる俺の頬に。
 それを透明な液体が伝う。
 泣いているのだ――と知った。自分が。
「でもそれは、俺の意志だよ」
 優しく笑う。
 零れそうなくらいに大きな目で、本当に見えてないんだろうか、と思うくらいにまっすぐな視線で。
「あの時、『向こう側』に行けなかったのも俺で」
 ふ、と息が漏れる。
「今君にそばにいてほしいと思うのも、俺の意志なんだ」
 ささやく。
「江流」

 その名が、誰のものであったとしても、構わない。
 今のその名が俺のものなら構わない。
 俺を見ているなら、
 願わくば――
「……っ」 
 膝が崩れる。
 喉元に置いた手が、力を失って彼の埋まるシーツを掴む。
 言葉が零れた。
 無意識に。
「好きだ……」
 共に居ることの意味が、この感情なら、それでいい。
 言葉を伝えることは、俺だけにしか出来ないこと。
 これは俺だけの感情。
 俺だけの。
 俺だけが。
「好きだよ……」
 心臓から絞り出す。
 滅多に呼ばない名を、呼ぶ。
「悟空……」
 彼が小さく笑う。
 薄い琥珀色の瞳が、近づく気配がする。



 応えるようにおちてくるやさしい口付けも、
 この名前で呼ぶ、この瞬間の彼も、

 願わくば総てが俺だけのものであればいいのに。




「や」 やさしい