だから僕は君と出会う
Sanzo x Goku >>Sweet



 

 ぱち、と目が覚めた。
 真夜中に広がる静かな闇。
 ほんの少し体を動かすと、そこが車のシートの上であることが分かった。居心地悪く体を起こしながら、三蔵は少しずつ頭が覚醒されるのを待った。
 明らかに部屋の中とは違う種類の風が木々をざわめかせながら流れていく。空を見上げると月が浮かんでいて、もう傾きかけたそれに三蔵は大体の時間を知る。
 ……まだか。
 小さく思うと、もう一度目を閉じようと体をシートに沈めた。野宿などよくあることだ。街までたどり着けなかったとき、あるいは宿が取れなかったときはこうして車で男4人が眠らなければならない。はっきり言って三蔵には耐えがたいことであるが睡眠を妨げられるほうが嫌なので大人しく眠るしかない。
 だが時折その「睡眠を妨げる」何者かが現れるのだ。時にそれは紅孩児の刺客であったり野生の動物であったり飼いならしている元気な小猿であったりする。前者二つから身と睡眠を守るため、あるいはそれによって機嫌の悪くなる三蔵から己を守るため「交代で見張りをしましょう」を八戒が言い出したのはいつのことだったか。
 今ではそれはすっかり当たり前のことになっていて八戒、悟浄、悟空、三蔵の順に見張りをする。その時間も間隔も曖昧だが、たいてい八戒が長く悟空が短い。三蔵は悟空の次だから悟空がある程度の時間見張りをして三蔵を起こしに来るのを待てばいい。
 待てばいい、のだが。
 ――やっぱり行くか……。
 三蔵は溜息を一つつくと、体を起こした。なかなか起こしに来ない悟空に三蔵の方がイラついて、見に行ってみれば寝ていたなどよくあることだ。そんなふうなのだから二人一組で見張りをすればいいのだが、三蔵は悟空が自分以外と二人で真夜中にいることを赦さない。だからといって「自分が」とは三蔵のプライド上言えるはずもない。それを言外に感じ取っている八戒が極めて三蔵のことを考慮して考えた見張りの順なのだが、見張りが眠ってしまっては意味がない。結局三蔵はいつも大分早くから見張りをすることになる。今回とて、例外ではない。
三蔵はジープから降りてジープの乗員を確認した。やはり悟空だけがいない。見回すと、少しはなれたところに焚き火らしい灯りが見えた。


 すやすや。
「起きろ!」
 スパァアアアンッ。
 あまりに予想通りであった小猿の様子に、三蔵は半ばヤケになってハリセンを振り下ろした。森中に響き渡るような心地よい音が炸裂する。その音に反応するように、目の前で居心地よさそうにうずくまって眠っていた悟空が目をこすりながら体を起こした。一応服を身につけているが、眠っていたせいで大分乱れている。思わず三蔵は目を逸らしながら怒声をあげた。
「何寝てんだ、バカ猿」
「あ? さんぞ……?」
 ようやく人物の存在を確認したのか、悟空はふわあと欠伸をしながら体を伸ばした。そして服が乱れていることに気付くと無造作にそれを直した。
「どう寝たらそんなふうに乱れるんだ」
「だって寝にくいじゃんか」
 どうやら肩の角やらマントやらが邪魔で外して寝ていたようであるが、それでは見張りどころかいきなり襲ってきた敵にあっさりさらわれかねない格好である。というよりそれでは見張りの意味がまったくもって存在しない。三蔵は大きく溜息をつくとハリセンを足元において身近な石に腰を下ろした。そして懐から煙草を取り出して火をつける。
 焚き火は浩々と場を照らし、それはお互いを不思議な存在に思わせる。交代だ、と言外に告げたつもりでいた三蔵は身を寄せてきた悟空に驚いた。
 何のつもりだ。
 そう問おうとした三蔵に妙に静かな声で悟空は言った。
「夢……見てた」
 悟空は頭を三蔵の腕に預け、じっと火を見ている。三蔵は文句を言いかけた口を閉じ、視線を少し逸らして煙草を吸った。何も言わない数秒の空白。ぱちっと焚き火の弾ける音が真夜中の闇に溶けた。
「誰も迎えに来なくってさ、つまんなくて、めちゃくちゃ退屈だった」
 三蔵が迎えに行く前の五行山でのことだろう。昔はその夢が原因で泣く小猿をよく慰めたものだが、この旅を始めてからは話すら聞くことはなかった。本人も久しぶりのことなのだろうか。昔のようにすぐ泣いてしまうような雰囲気はないが、この焚き火のせいか、その言葉はひどく現実感を持ったように三蔵は感じた。
 たとえばここがその牢獄であるように。 
 悟空もそうなのだろう。膝をぎゅっと抱えながらぽつりぽつりと言葉を紡ぐ。
「なぁ、もし三蔵が五行山に来なかったら、俺って今でもあの中にいるのかな?」
 悲壮感はない。だがどこか助けを求めるような声音。
 三蔵はふと思う。……「もし」?
 何も言わない三蔵に、悟空は元々何も期待していないのか更に言葉を続けた。
「それ考えるとさ、俺がここにいるのってすげー不思議」
 もし三蔵が五行山に来なかったら。
 もし声が届かなかったら。
 もし三蔵以外の誰かが悟空に先に手を差し伸べていたら。
 もしあの鎖が外れなかったら。
 もし三蔵が悟空を助けずにどこかへ行ってしまったら。
 『もし』は考えると始まらない。そんなことくらい悟空にも分かっていた。けれど不思議なものだと瞳を閉じる。
「もしももしもって考え始めると、こーやって悟浄とか八戒とかと四人で旅してるのもすごく不思議」
 たとえば、だけれど。もし八戒の恋人がさらわれなくて、もし悟浄が八戒を見つけなかったら今の自分たちはありえない。そんなに具体的なものでなくてもいい。悟空も三蔵も悟浄も八戒も、もしこの世に喜んで迎えられた命ではなかったとしても、それがなければこうして旅をすることも存在しなくなる。
 不思議だよなぁと悟空は続けた。
 三蔵は短くなった煙草を焚き火に放り投げながらぼんやりと考えていた。
 過去を考えれば考えるほど、現実というものは不思議だ。必要ないような血まみれの過去や、忘れたいほどの痛い思い出があったとしても、それが存在しなければ今の自分は存在しないのだ。それは三蔵自身に当てはめてみれば痛いほど良く分かる。
 もしも。
 あの日、妖怪が金山寺を襲わなかったら。
 光明三蔵法師が殺されなかったら。
 自分はこの小猿と出逢えなかったかもしれない。この手のかかる必要以上に元気で淋しがりやの小猿と。
 過去を簡単に捨てることができないのは、現実があるからだと三蔵は思っている。だからどんな過去があろうとも、人間は生きていける。どんなにつらい過去であろうとも、未来に幸せになれるならそれは決して無駄なことではないとわかるから。
「そうだな」
 誰ともなしに三蔵は小さく呟いた。悟空は火を見つめたままだ。
 結局、不必要なことなど何一つないのだろう――と三蔵は思う。今の自分があるためには、たった一つの言葉さえ不可欠なのだ。たとえば今こうして二人で身を寄せて焚き火を見ていることが、未来の自分を作っているのかもしれない。
 ……運命。人はその偶然の結び付きを、何万分の一という確率の偶然をそう名付けた。
だが、と三蔵は思う。もし何もかもが起こらず、自分は修行僧として金山寺にいたとして、あの声に気付かないでいただろうか。悟空は自分を呼ばないだろうか。「三蔵」でない自分に悟空はついてこなかっただろうか。
 ……いや。
「うるせえんだよ」
 無愛想に、けれど悟空にだけはわかる優しさで三蔵は言葉を吐いた。その声に反応して、ぴくりと悟空が三蔵を見上げる。
「……三蔵?」
 きょとんとした澄んだ目。あの時と同じ、自分を見上げる目。それを見ていると、ぼんやりと掴みかけていた何かが急速に形をなしていくように三蔵は思った。
 ――ああ、そうだ。
 気付かないとか気付くとか。行くとか来ないとか。呼ぶとか呼ばないとか――そんなものじゃない。
「お前はうるさいから、どこにいようが聞こえるんだ」
 一見脈絡のない言葉の裏に、悟空は心が温かくなっていくのを感じた。声。口から耳へと聞こえるものでなく、直接心の中へと吹き込む風にも似た温もり。
「お前が呼べば聞こえる。それだけだろ」
 そう、それだけなのだ。三蔵は目を細めた。たとえ出逢わない運命だったとしても出逢う運命だったとしても。自分たちはそれに導かれたわけではない。ましてや何万分の一の当たりくじを引いたわけでもなければ、運がよかったわけでもない。
 ただ、
 ――お前の声が、うるさかったから。
 ただ、それだけ。
 だから自分は悟空を探して、悟空は自分を見上げて、だから自分たちは今ここにこうしている。運命だの『もしも』の仮定だの、そんなことは幾ら考えても答えなんて出ない。どんなに考えようと、今ここに、悟空の傍にいることは、どうしても拒否しがたいことだから。
「おい、悟空?」
 応えなくなった悟空に不安を抱いて三蔵はその姿を見下ろす。
 ――すやすや。
 今度は三蔵にもたれかかったまま、悟空は気持ちよさそうに目を閉じて眠っていた。もう一度起こそうかとハリセンに伸ばした手を少し考えて引っ込める。
(――まぁ、いいか)
 三蔵は煙草のケースに手を伸ばすと、一本取り出して火をつけた。ふわりと白い煙が夜空に漂う。その煙に隠れた三蔵の表情には、小さな笑みが浮かんでいた。



 (終)




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