これも一つの夏祭り。
Sanzo x Goku >>Very Sweet



 

 長安のとある寺院。
 近寄りがたい雰囲気を放っている門を抜ければ、広い池の傍に幾層にも荘厳な建物が並んでいる。一度入ると、詳しくないものは必ず迷ってしまうと言われている廊下では、口を噤むことを修行とする幾人かの若い僧が、目と目で会話をしながら通り過ぎていく。言葉を紡げばそれは罪となり何日間か暗い独房での修行をしなければならなくなる。もっとも例外として高い位をもつ僧と――この少年が挙げられるが。
 ぱたぱたぱた……
 廊下から響いてくるやかましい足音に、最高僧の肩書きを持つ金髪の男は顔をしかめつつ頭を上げた。誰かなど問わなくてもわかる。こう毎日毎日騒がしく出向かれては。三蔵は溜息を一つつくと戸口の前に立ち、懐に手を入れる。いざ。
「さんぞ……っ」
「こんのバカ猿ッ!」
 スパアアアンッ、と高らかな音が鳴った。フルスイングで鳴らしたハリセンを再び懐にしまい、三蔵は慈悲もなく床に転がったうずくまったままの小動物を見下ろした。
「なにすんだよぉ〜」
 頭に手をあててぴこぴこと震えながら、その小猿はじっと上目遣いに三蔵を見上げた。
「それはこっちの台詞だ。廊下は走るなと言ってるだろうが!」
「うみゅ〜」
 容赦のないハリセンに次ぎ、容赦のない言葉をあびせられた悟空は半泣きで頭を撫でた。
「今日は誰ともぶつかんなかったんだからいいじゃん!」
 そういう問題じゃねぇんだよ、と三蔵は溜息をついた。先日、今日のように廊下を走っていてうっかり寺院の大僧正とぶつかってしまったのだ。
 ……ぶつかるというよりあれは激突だ。
 三蔵はそう思っている。
 何はともあれ、悟空曰く「ぶつかって」壁とキスせざるをえなくなった大僧正様が意識を取り戻すまで、ずっと悟空は三蔵の服の影に隠れていなくてはならなかった。それでも大した罰も咎めもなかったのは「三蔵法師」の肩書きのおかげだろう。
『まったく三蔵様のお稚児だということだけで……』
 陰口を叩く僧たちの言葉に三蔵の眉間の皺が増えたことは言うまでもない。 
「とにかく走んな。約束しろ。いいな?」
「……ん」
 なんだかんだ言っても、悟空は「約束」という言葉に弱い。それが例えほんの一、二分の「約束」であったとしてもだ。
 ……で?と三蔵は煙草に火をつけた。ジリジリという音がして柔らかな紫煙が漂う。
「何の用だ」
 硯に置いた筆を動かし始めながら、ぶっきらぼうに三蔵は尋ねた。煙草に筆。なんとも合わない構図である。何はともあれ話を聞いてもらえると分かった悟空はぱあっと顔を輝かせると、ぱたぱたと三蔵の元に駆け寄り机から背伸びするように叫んだ。
「お祭りがあるんだって! なあ、遊びに行こ?」
「……あぁ? 祭り?」
「そ〜そ〜、夏祭りっ! そこの通りでやるんだって。なあ、行こう?」
「却下だな」
 その言葉に、悟空がぷっと頬を膨らませる。
「行きたい! 行きたい行きたいッ! 行きた〜……」
「うるせぇッ!」
 スパアアアアンッ。
 駄々をこねる悟空の頭上で本日二度目のハリセンが高らかに鳴った。うぅ、と恨めしそうな目で悟空は三蔵を見た。
 そんな目をされても、と三蔵は内心思いつつ溜息をついた。そもそも三蔵は祭りが嫌いだ。人は多いし酔っ払いも少なくない。意味もなく人がゴチャゴチャと集まる場所というのはいるだけで反吐が出る。その上この騒ぎだ。今日は寺院を出ないことに越したことはないと思っていたのだが――。
「行きたいよぉ……」
 こともあろうかこの小猿はやかましいところが大好きなのである。三蔵にしてみればまったく「分かりたくもない」嗜好である。
 とにかく、と三蔵は息を吐いた。机の上にはこれから夜まではゆうにかかりそうな仕事が山積みされているのだ。
「俺は無理だ。そんなに行きたいんなら……」
 一人で行って来い。
 そう言おうとした三蔵は、ふと悟空の容貌に目を留めて口をつぐむ。
潤んだ金色の目。
 日焼けのあまりない綺麗な肌。
 手入れの行き届いた長い髪。
 ――はっきり言って、稚児趣味の酔っ払いのいいカモである。
「……?」
 自分をじっと見つめる三蔵を不思議に思ったのか、悟空は首をかしげた。その姿さえ可愛い。三蔵が今年で二十二だから計算上五歳年下の悟空は一七歳ということになる。だが容貌や仕草を一見しただけでは十三、四歳もいいところ。加えて中身の年齢は――と三蔵は考え始めてすぐ頭を押さえて思考を止めた。……考えるだに恐ろしい。
「いや、何でもない。一人で出歩くんじゃねえぞ」
「わかってるよ! だって一人で行っても何にも食えないしさぁ」
 だから一緒に行こうよ、と服の裾を引っ張る悟空。違う意味で分かっている気もするが、それをこの小猿に理解させようと思っても無理だと三蔵は悟り、こめかみを軽く押さえた。
 三蔵はふと五年前の自分を思い出してみる。だがどう思い出してみても、あのころの自分と目の前にいるこの小猿とか同じ年の生き物には思えない。
 はあ、と三蔵は溜息をついた。
 ……比べた自分が馬鹿だった。
 三蔵はもはや吸い慣れて何年になる煙草を灰皿に押し付け、眼鏡越しに悟空を見ると低い声で、
「……分かった」
「え?」
「ただし仕事を片付けてからだ。それまで向こうの部屋で待ってろ」
 向こうの部屋とはもう一つ三蔵にあてがわれた寝室兼個室だ。もっとも今では悟空も生活しているので個室とはいえないだろうが。
「え? 連れてってくれるの?」
「ああ。これが終わったらな」
 そうして指した仕事の量は、どんなに単純構造の悟空の目から見ても、すぐに終わるものではなさそうだった。

 

「はぁあ……もう日が暮れちゃうよぉ」
 情けない声を上げて悟空は窓の外を見た。三蔵が「これが終わったら」と言って執務室から悟空を追い出して、ゆうに二時間は過ぎたはずだ。高かった太陽も次第に西へと引き寄せられ、わずかに残った輝きが藍色に染まり始めた空の端をかろうじて赤く染め残しているばかりである。
(これなら太陽が沈むのも時間の問題だよなあ……)
 悟空は独りごちてばふっと寝台に倒れこんだ。そしてそのまま天井を見上げる。
「……三蔵の意地悪」
 本当は三蔵が仕事で忙しくてお祭りなんていけないことも、三蔵が人ごみを嫌いなことも知ってるのだけれど。
 それでも。
「意地悪……」
 思わずつぶやいてしまうのが、おそらくは悟浄にガキ呼ばわりされて止まない所以であろう。あ〜あ、と悟空はもう一度声を上げると寝返りをうった。ふとそこに三蔵が脱ぎ捨てたままのシャツが目に入る。部屋着を片付ける暇もなく部屋を飛び出していったという感じだ。
(――珍し)
 悟空は起き上がるとそう思った。三蔵は綺麗好きだ。さすがは寺院で育っただけあってか「整理整頓」は口癖である。――その三蔵が服をほったらかしにするなんて。こんなことをしていたら、自分にだって怒るだろう。それほど急いで仕事に行ったということなのだろうか。
「仕事、忙しいんだなぁ……」
 悟空はさっきの発言がひどく恥ずかしく思えて、ぎゅっとその服を抱きしめた。少し恥ずかしいけれど三蔵に謝る代わりだ。だって本物の三蔵は俺が抱きついたら怒るし、ハリセンで殴るし――と悟空は溜息をついた。
「さっきはワガママ言ってゴメンな」
 シャツはほんの少しだけ煙草の香りがして、本当に三蔵に抱きしめられてるみたいだ、と悟空は思った。ふと思いついて、上着を脱いで服を羽織る。
 ほんのちょっとだけ。
 ほんのちょっとだけ、抱きしめられたい。
「早く終わんないかなあ……」
 そうして寝台に体をあずけるとシャツが肌に触れて心地いい。窓の向こうからはまどろみにも似た太陽の光が差し込んで、夕焼けは眠りを誘う。枕に顔をうずめた悟空は数分もせずに意識を眠りに溶かしていった。

 

 ――ガチャ。
「おい悟空……」
 いつもの無愛想な口調で部屋の小猿を呼ぼうとした三蔵は、中の様子に気付いて言葉を止めた。
 夕暮れの最後の光のさしこむ薄暗い部屋。
 予想に反した静かな反応。
 三蔵は自分の寝台でぐっすりと眠っているそれを見つけた。近寄れば悟空の羽織っている服が自分のシャツであると分かる。おおかた自分を待っている間に眠ってしまったのだろう。
「バカ猿が……」
 溜息と共にほんの少し頬を緩める。ん、と悟空がわずかに身動いた。
「……ん……さんぞぉ…………」
 小さな口から漏れた名前が自分であると知って三蔵は呆れたような、それでいて困ったような顔をした。それが、三蔵の悟空にみせる愛しさの表現なのだと知る人物は残念ながらまだいない。二日はかかる仕事を二、三時間であらかた片付けてきたのだから、三蔵自身もその理由くらいはわかってもよさそうなものなのに。いつのまにか自分のそばで馴染んでいるこの少年を、もはや手放す気がないことくらいは無意識のうちに自覚しているのだけれど。
 三蔵は起こすことをやめてふと外を見た。開け放たれた窓の向こうでは、落ちかける日を跳ね返すように高潮に達しかけている祭りの様子が伺える。ふと三蔵は何かをおもいついたような表情をすると、足早に部屋を出て行った。

 

(――甘い匂いがする……)
 眠りと目覚めの間で彷徨っていた悟空の意識を、ひどく甘い香りがひき起こした。ぼんやりとした意識の中で目を擦って体を起こす。
 ……ころん。
 その拍子に、枕元で何かが転がった気配がした。ずりおちたシャツを羽織りなおしてそれを見ると、
「りんご飴……?」
 甘い甘い香り。それは、まだ温かいりんご飴だった。覚醒し始めた意識で、それがどうしてここにあるんだろうと悟空は考える。
(えっと……えっと……あ、ひょっとして。)


「三蔵〜〜〜〜ッ!」
 ぱたぱたぱた……。
 おそらくは目的地となるであろう執務室で三蔵は近付いてくる声と足音に溜息をついた。筆を置いて、いつでもハリセンを取り出せるように懐に手を入れる。騒音はだんだんと近付いてきた。その騒音に、どうせ夜店巡りにねだられるのだろうと覚悟しながら、
 ――まあ、たまにはいいだろう。
 諦めたようにそう苦笑すると、三蔵はハリセンを握り締めた。
「三蔵! お祭りいこ……」
「走んなって言ってるのがわかんねぇのか!」
 ――スパアアアアンッ。

 三つの音……一部悲鳴が、夜の色に染まりかけた執務室に明るく響いた。


 (終)




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