As it is.
Sanzo x Goku >>Sweet


 

『またサボリですか?』
 木に背をもたせながら煙草をふかす光明三蔵法師に、俺は半分溜息をつきながら言った。いつもこの人はこうだ。説教をサボっては煙草を吸ったり折り紙を折ったり、挙句の果てには「掃除を手伝いますよ」と笑顔で言ったりする。義務だとか義理だとか、そういうものがこの人にはないのだろう。自分の心のなかでこれというものを固く持ち、それだけは譲らずに生きている。そういう生き方は嫌いじゃない。
『もう秋ですねえ』
『……質問と答えがまったく一致していないのは気のせいでしょうか?』
 気のせいですよ、と笑って言う。
『僧正様が怒りますよ』
『ははは。人間たまには怒ることも必要ですよ』
 そう言いながら、俺はこの人が怒るところなど見たことはない。そういえばどこかで読んだような気がする。本当に凄い人というのは頭が良い人でも何か優れた能力がある人でもなく、たとえどんなことが周りで起こっても「自分」を保っていられる人だと。自分を保っていられるならどんなことにも対処できる。そしてそれはどんな能力よりもはるかに上回る力と言えるのだと。
 ……そんな力が俺にもあったなら。いつでもどこでも笑える力があったなら。
『……大人、ですね』
『そう見えますか?』
『ええ。少なくとも俺には』
 自分こそまったく脈絡のないことを言っているのだが、どうやら三蔵法師には俺の考えていることなどあらかた分かるらしい。自嘲的に溜息をついて箒を動かし始めた俺に、お師匠さまはトントンと軽く灰を落としながら言った。
『そのままの貴方が一番ですよ』
 ……俺は何故かそのとき、喉の奥に鈍い痛みを感じていた。
 

「ぅん………………」
 頬に暖かな感触を覚えて、うっすらと悟空は目を開いた。まず飛び込んでくるのは光。閉め忘れた窓越しに、あふれるほどの太陽の光が瞼を突き刺す。
 ……朝?
 三蔵はもう仕事かな、などと思いつついつものように体を伸ばそうとして気付く。
「……あれ?」
 伸ばした手のひらの先に、さらりと優しい感触を感じたのだ。髪の毛。それも自分のものではない。
(……もしかして)
 がばっと悟空は体を起こした。
「さんぞ……」
 自分の声の中に、どこか唖然とした雰囲気が混ざっていることに気付く。
「……」
「……寝てる……」
 いつもだったら『うるさい』の一つも飛んでくるはずなのに今日はそれがない。そればかりか悟空の目から見てもハッキリと分かるほど深い睡眠のようだ。三蔵がここまで熟睡するのは珍しい。おーい、などと言いながら頬をぺちぺちと叩いてみるが反応はまったくない。よっぽど疲れているのだろうか。
(そういえば…………)
 悟空はふと思い出して自分の体を見た。ちゃんと寝着を着ている。少なくとも昨日は行為に及ばなかったという証だ。……あの三蔵がである。最近三蔵は寝室に帰ってくるのが遅く、大抵自分の方が早く寝ている。それでもいつの間にか布団の中にもぐりこんでいて、気がつくと三蔵に弄ばれている……ということも少なくない。その三蔵が何もせずに寝たとあらば昨夜は相当疲れていたのだろう。
「めずらしー……」
 正直に悟空は感想を言ってみた。それでも三蔵は目覚めない。いつもはなかなか触らせてもらえない金色の髪の毛に、悟空はそっと触ってみた。金色の糸が朝日に煌きながら宝石の砂のように自分の指を零れ落ちていく。その感覚に、ほう、と悟空は感嘆の息をついた。
 そしてふとあることを思いつく。
 悟空は未練がましく髪の毛を離すと三蔵が起きていないことを確認して体に手を滑らせた。そのまま自分より一回りほど大きい体に腕を回す。
ぎゅ、っと。抱きしめてみる。
「……起きるなよ」
 寝ていることを知っていて悟空は確認するように頬を肌にすり寄せる。反応しないのを見とめて悟空はほんの少し体を起こした。
 顔を三蔵の整ったそれに近づけた。
 ――ちゅ。
 唇を三蔵の頬に触れさせると、ほんの少し温もりが伝わった。あたたかい、けれど自分よりは幾らか低い体温。煙草の香りが鼻の先をかすめた。かぁっと顔が赤くなって、悟空は一度目を閉じると息をついた。
「……ズルイよなぁ、三蔵は」
 何を言ったらいいのか分からずに口を開くと、そんな言葉が出てきた。照れ隠しのように胸元に顔を埋めてみる。
「俺はこんなに三蔵が必要なのにな」
 こんなに必要で、こんなに愛しいのに。
 『好き』とか『愛してる』とか、自分が三蔵に持ってるのはそういう気持ちなんだと悟浄は言っていた。だがどれも今いち悟空にはピンとこない。どの言葉を聞いてもどこかなまぬるくて巧く表現できてない気がする。なにより、言葉にできるならとっくにしているだろうから。だからどの言葉より本当は『声』で届けるのが一番いい。けれど今だけは自分の口で言いたかった。自分の言葉で。今なら三蔵は聞いてないから、どんなことを言っても恥ずかしくない――はず、と悟空は思い、自分が先ほど三蔵にしたことを思い出して、すぐに顔を真っ赤にした。
――もとい。やっぱりちょっと恥ずかしい。
「それなのにさぁ……」
 それなのに三蔵はあんまりにも大人だから、『ズルイ』なんて思ってしまう。あんまりにも大人で自分は子どもだから。自分はどんなに頑張っても三蔵の心の中を覗くことができない。三蔵は自分の考えてることなんかお見通しなんだろうけど。
 ――だから余計に思ってしまう。
「ああもう、俺どうしてこんなにガキなのかなぁ……」
 大人になりたいと何度も願った。髪を伸ばしてみたり、夜遅くまで起きていてみたり、苦いのを我慢してコーヒーを飲んだりしてみた。だけどやっぱり三蔵は自分を『バカ猿』と言う。ハリセンで殴る。
「…………」
 いつまで経っても大人になれない。三蔵に追いつけない。一生懸命大人になる階段を上っているのに、三蔵はずっと先を余裕で進んでいる。自分は一段這い上がるだけで大変なのに。どんどん離れていく。置いていかれる。どんどん遠ざかって、いつかは自分は三蔵の手のひらさえ握れないくらい離れてしまうのかもしれない――
 そう思うと悔しい。切なくて堪らない。
 いつだって、一番愛しい人の傍にいたいのに。
 必要とされていたいのに。
 ……手を握れる距離でいたいのに。
 もし大人になれば――と悟空は思う。感情を抑えることができるのだろうか。たとえば三蔵のことを考えただけで跳ね上がりそうになる、どこか痛いくらい切なくなるこの心臓を、大人しくすることができるのだろうか。三蔵のようにいつも落ち着いていられるのだろうか。――もっともっと三蔵の傍にいられるのだろうか。こんなふうに、いつか離れていってしまうことに怖がらなくてもいいのだろうか。三蔵の傍にいてもつりあうような人になれるのだろうか。
「もっともっと、大人になりたい……」


 すぅ。
「…………」
 三蔵は自分の胸の中で安らかな寝息を立てている小猿を起こさないように、そっと体を起こした。布団をかけなおしてやると、悟空の口元に嬉しそうな笑みが浮かんだ。どんな夢を見ているのだろうか。
『もっともっと、大人になりたい……』
 先ほど呟いた悟空の言葉を三蔵は思い出した。実は三蔵は初めから起きていた。当然言葉も聞こえていた。狸寝入りなど自分でも自分らしくないと思うが、それでも滅多に聞けない悟空の言葉はやけに胸に染みた。
 そして頬に触れた柔らかい唇の感触。
 思わず引き寄せそうになってしまった手を押し止めるのは大変だった。公務に出ると告げた正午を過ぎようとしていたが行く気にはならない。くずれた法衣を直しながら今度は自分が悟空の髪にさらりと触れる。いつもそうしているうちに時間が過ぎてしまい、結果帰るのが遅くなってしまうのだが。ん……と小さく身じろぎながら、それでも目覚める気配を見せない小さな体。
「てめえは大人にはなれねえよ」
 大人になりたいと、そう思っているうちは子どもなのだ。背伸びして手を伸ばして請うように『大人』というものを欲しがっているうちは。勿論三蔵も自分が大人だとは思わない。自分が大人なんだと自覚してしまえば、それはやはり子どもじみたことになってしまうから。
 ――それでもやっぱり、俺もガキなんだろう。
 心のどこかでそう思いながら、三蔵は悟空を見た。
 いつも振り回されてしまう。
冷静でいられなくなる。
 傍にいないと不安になる。
 ――そう思っているのは、悟空だけではない。
 いつでも笑っていられる力。自分は未だにそれを手に入れてはない。いない、けれど………………
「お前はそのままが一番なんだよ」
 ……大人じゃなくていい。
 こうして悟空に振り回されて、振り回して、そうして生きるのも――嫌いじゃないから。
 こっそり呟くと何故か三蔵の方が恥ずかしくなった。顔を見られないように胸に抱きしめて瞳を閉じた。三蔵より少しだけ高い体温は、寒くなり始めた周りの空気の中で、ひどく暖かくて心地よかった。 




 (終)




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