送り火
Sanzo x Goku + …?  >>Sweet



 

 ――トン、トン。
 小さなノックの音がして、ベッドに寝そべって絵本を読んでいた悟空は頭を上げた。ぱたん、と本を閉じる。三蔵が説教に寺院を出て既に半日が経ち、暇が苦痛になりはじめたところだったのだ。
「三蔵……?」
 呼びかけて、そういえば三蔵は、今日は遅くなると言っていたなと思い出す。それに三蔵なら何も言わずに扉を開け、おかえりも言う間もなくずかずかと入り込んでくるのだ。
(……じゃあ、誰だろ?)
 ノックを無視するわけにもいかないのでおもむろに立ち上がり、戸惑いながらゆっくりと扉を開けた。
「はぁい。誰……ですか……?」
 寺院の奴らにはできるだけ丁寧に答えろ。
 そう言われていたのを思い出し、慌てて語尾をつけくわえる。ところが、その悟空の目前に飛び込んできたのは――確かに、法衣姿の男ではあったが……。
「あの、こちらに玄奘三蔵法師はおいでですか?」
 柔らかい声。後ろで清楚に束ねられた銀色の髪。微笑をにじませた表情は穏やかで――とても綺麗で。悟空が男の人を綺麗だと思ったのはこれで二度目だった。一度目は自分に手を差し伸べた金髪の男である。この訪問者がその男に似ているような気がして悟空は一瞬躊躇した。
「あ、えと……」
 見れば見るほど逆。まったく逆。全然違うし全然似ていない。笑い方も立ち振る舞いも、それから声も髪も全然違うのに。
(……似てる)
 何が似てるんだろう、と悟空は思った。
「あ、私は玄奘三蔵の知り合いなのですが」
 しどろもどろになる悟空に自分の素性を怪しんだのかと思ったらしいその人は、微笑を浮かべたまま少し首を傾ける。そんな仕草を三蔵はしない。それなのにどうしてかその人の雰囲気に三蔵を感じてしまうのだ。
(服のせい――かな)
 悟空は不躾な視線を相手に沿わせた。今目の前でにこやかな微笑を浮かべているその人は、「三蔵」とまったく同じ服を着ているのだ。悟空はその訪問者が言うところの「玄奘三蔵」が着ている法衣を良く知っていた。だからこの寺院で彼以外その法衣を着ている僧というのも見たことがない。
「あ、三蔵はいないけど。今、仕事で外に出てるんだ」
「……そうですか」
 いつのまにか友達のような口調になってしまった悟空に、さして気にもとめていないのかその訪問者は小さく溜息をついた。傍目から見ても落胆しているのが取るように分かる。その様子に、そうだ、と悟空は小さくつぶやいた。
「中で待ってたら? もう少ししたら帰ってくるかも」
「え? いいんですか?」
「ホントはダメって言われてるんだけど」
 猫や犬を拾ってきて寝室に入れるな、と眉を吊り上げる三蔵を悟空は思い出した。だけどこの人は三蔵に会いに来たお客様だから、拾ってきたわけじゃないからいいよな、と悟空は自答した。 
「うん、いいよ。入って」
 そう言って扉を開けてやる。本当は、三蔵は自分と悟空以外の人が寝室に入るのをひどく嫌うのだが、悟空は何かその訪問者に『帰れ』と言い難いなにかがあるような気がしてならなかった。
「じゃあ、失礼します」
 礼儀正しい声が聞こえて、ぱたんと扉が閉まる。そこに座ってと手で椅子を示して悟空は思いついたように台所へ走った。そして数分も立たずしてコーヒーの香りのするカップを二つ携えて戻ってくる。
「あ……コーヒーなんだけど、飲める?」
「構いませんよ。いただきます」
 それにホッとしたように悟空は頬をゆるめた。三蔵の部屋以外でコーヒーを見たことがなかったから、僧はコーヒーを飲んではいけないのかと心配したのだ。
(それともこの人がも三蔵みたく「特別」なのかな?)
 悟空はまたぼんやりとそう思いながら、その人がコーヒーを一口二口含むのを見ていた。その視線に今度は訪問者のほうが少しいぶかしげに悟空を見る。
「……? 何か?」
「あ、いや……」
 なんでもねえよといいかけて、悟空は気を変えた。
 ――たずねてみようか。
「なんかさ、三蔵に似てない?」
「私が、ですか?」
「うん。なんかこぉ、言葉じゃいいにくいんだけど」
「似てますかねえ……」
「態度とか言い方とかは全然違うんだけどさぁ、雰囲気っていうか……ああっ! もうわかんねえっ !」
 頭をがしがしかきながら、悟空は天井を見上げて怒鳴った。言葉にならない。うまく言葉にできない。
(できないんだけど……何か、似てるんだよなぁ)
 悟空の様子を見ていたその人は、ふっと微笑んで今度は悟空に尋ね返した。
「あなたが悟空さんですか?」
 その問いに悟空の眼がまるくなる。
「え……、俺のこと知ってんの?」
「ええ。というよりあの子の周りのことは何でも知ってますよ」
 ……あの子って誰?
 それを見つけるのにしばらく時間を要した悟空は、確かめるようにその人を見上げた。
「あのさ。……あの子って、三蔵?」
「ああ、そうですね。もう『子』なんて年じゃなくなりましたか」
 気が付いたようにまた首をかしげた。その仕草さえ妙にその人には似合っていて、悟空は見とれてしまいそうになる。悟空はコーヒーをかたりと置き、咳き込むように尋ねた。
「三蔵の子どもの頃のこと知ってるの?」
「よく知ってますよ。私はあの子が小さかったときから見ていましたから」
「ね、どんなだった? 三蔵のちっちゃい頃」
「そうですねえ……」
 そこまで言うとその人は少し遠い眼をして、それから口にいくらかコーヒーを含んで口を開いた。
「優しい子でしたね。誰よりも穏やかで優しく、温かい子でした」
 分かるでしょう?とその男は悟空を見て同意を求めるようににこりと笑った。優しい。――うん、そうかもしれないと悟空は思った。意地悪で冷たくて人のことなんか全然考えてない人だけど。
「……うん。優しいね」
 三蔵のことを考えると優しい気持ちになれる。優しいというのがどういうことか、悟空にはよく判らない。けれど甘い』のだけが『優しい』のではないと思う。だって自分はこんな気持ちを三蔵以外の誰にも感じたことはないから。そんな悟空の返事にさらに笑みを深めて、それから少しそれを削ぎ落として訪問者は言葉を紡いだ。
「悟空さんは、あの子の笑ったところを見たことありますか?」
 その言葉にほんの少しだけ悲しみのようなものを感じて悟空は顔を上げた。笑っては、いるのだけれど。喉の奥で詰まってしまうような声音に、悟空は気付いた。
(……泣いてるの?)
 いや、涙はないけれど。 
「……時々」
 何て言ったらいいのか分からなくて、悟空は言葉をぽろりとこぼした。それに覆いかぶせるように慌てて言葉を吐く。
「可笑しい時には全然笑わないのにさ。時々、笑うんだ。
 でもすっごく綺麗なんだ。ふうっと笑ってさあ……。こう、何て言うのかな。すごくホッとして、それから俺のほうが嬉しくなっちゃうような笑い方なんだ。……そういうときの三蔵ってすごく好き」
 そう言うと悟空はそれを思い出したかのようにふわっと笑った。その笑みもひどく他人を幸せにするものであるが、本人は気付かない。訪問者はそんな悟空の笑顔を見て、また悲しげに笑った。
「そうですか……」
 一息を吐いて、間をもたせるようにコーヒーを飲む。つられて悟空も含んだ。ひどく苦い味だと思った。 
「私は……」
 カップの向こうから声が聞こえた。気が付いて悟空はカップを下ろす。口の中に苦い味が残った。
「私は、見ることが出来ませんでした」
 まるで告白のようだと悟空は思った。時折寺院に連れてこられる罪人のようだ。罪を犯した人は神の前ですべてを告白すると言う。この訪問者は、神か罪人かと言われれば神に近いような――そんな気はするけれど。けれど喉の奥から搾り出すような声は、いつか聞いた罪人の声そのままだと思った。
「いつもつらそうな顔をしていましたから。最期まで――笑わせてあげることが、できなかった」
 訪問者は少しうつむいて泣いているようにも見えた。けれど声は透き通っているので泣いてはいないのだと知る。そうしていると、彼はまるで罪人のようにも見えた。誰も彼を罪人などと思ってはいないのに、何かの罪を贖わねばならないと心に決めている――そんな気がした。悟空は自分のカップに手を添えたまま、しばらくその人を見つめていた。それからおもむろにそれをテーブルに置くと、静かな声で言った。自分でも驚くほど落ち着いていた。
「大丈夫だよ」
 静まり返った部屋に自分の声が響く。それを悟空はまるで自分ではないように遠くに聞こえたように思った。
 ……どうして、こんなに静かなんだろう。
 どうして自分はこんなに落ち着いてるんだろう。
 いつもは三蔵に怒鳴られるくらいうるさい、はずなのに。
「え……?」
 かすれた声でその人が顔を上げる。ああそうか、と悟空は気付いた。――この人を哀しませたくないんだ。
「三蔵ってさ、すごく冷たくって、笑ってるのか怒ってるのか分からないときもあるんだ。だから俺も、三蔵が俺を好きなのかどうかはわかんない」
 静かに言葉を紡ぐと、逆に色々な感情が流れ込んでくるのがわかった。自分が三蔵を好きなこと。それから、この人も……きっと三蔵が好きなのだということ。でもね、と悟空は言葉を続けた。
「俺が三蔵を好き、っていうのはちゃんと伝わってるみたいなんだ」
 そっと手を胸に当ててみる。暖かい。それから――優しい気持ち。この気持ちは三蔵だけに感じるもので、三蔵にもちゃんと届いてるから。だから自分はやっぱり優しい気持ちになれるのだ。
「だから、あんたが三蔵のこと好きっていうのも、ちゃんと伝わってると思うよ」
 三蔵は無愛想だからわからないけれど、でも他人の気持ちや想いを簡単に投げ捨てたりはしないことを悟空は知っている。八戒や悟浄のときもそうだった。八戒が残した想いを、透き通った声でお経を読んで浄化していった。三蔵は『後腐れしたら面倒だ』と言うけれど、それがおそらく三蔵の優しさなのだと悟空は思っている。
 誰だって、後悔しながら生きたくはないから。
「そう……ですね」
 ぱんぱんに膨らんだ風船に針を刺すと割れてしまう。けれどゆっくりと空気を抜きながら風船の口を開いてやると、しぼむように中の空気を吐きだす。まるでその風船のように、悟空はその訪問者の悲しみがほどけていくのが分かった。……よかった、と悟空は笑った。つられたように、にこりとその人に一番合う笑みが浮かんだ。晴れやかな笑顔だった。
「あなたが……悟空さんがなぜあの子の傍にいるか、分かったような気がしますよ」
 なにかがふっきれたような声が、青空に打ち上げた白い球のように明朗に部屋に響いた。悟空は笑顔を返して、最期のコーヒーを飲み干す。隣でおもむろに立ち上がる気配がした。
「え……? もう帰るの?」
 法衣姿の訪問者は肯定を示す笑みを浮かべて小さく頭を下げた。
「ええ。コーヒー、ありがとうございました」
「でも、三蔵もうちょっとしたら帰ってくるよ?」
 外を見る。夕焼けだ。確か日没までには帰ってくると言っていた。必死に見上げる悟空にその人はいたずらっ子のような無邪気な瞳で言う。
「本当は、会えないんですよ」 
「え?」
「会っちゃいけないんです」
 特別に来ちゃったんですけど。
 悪びれのないその人の様子に、悟空はハテナマークで頭がいっぱいになる。その人は扉に手をかけると、
「それじゃ、失礼しますよ」
「あ、あの……ッ!」
 銀色の髪を揺らして、扉の向こうに消えようとするその人を捕まえるように悟空は立ち上がって手をのばした。すかっと間の抜けた感覚を指に感じた。
 ……あれ、と手にした違和感を不思議がりつつも、悟空は夕焼けの廊下に消えようとしているその人に、大声で尋ねた。
「ねえ! 名前、なんていうの!?」
「私ですか?」
 少し離れたところで、その人は少し笑って答えた。
「……あの子と同じ名前ですよ」
 そう言うと、まるで夕焼けに溶けるように手を振ってその人は扉を閉めた。慌てて悟空は扉を開けてその人を探そうとしたが、もう廊下にはいなかった。気配すらなかった。穏やかな橙色の光が窓から透けて目に入る。
「同じ名前……?」
 呆然と悟空は呟いた。
 

 三蔵が帰ってきたのは、悟空が部屋に入ってすぐのことだった。訪れたその人のことを一通り話すと、三蔵は気がついたように暦を数えた。
「そうか……お盆だったか……」
 それからいきなり部屋を出ようとするので悟空が慌てると、少し笑って悟空を待ってくれた。

――シュッ
 乾いた音が星のさざめく夜空に響く。三蔵はマッチの先にほんの少し灯った火を重ねられた木切れに近づけた。あらかじめ乾かして燃えやすくなっていた木は瞬く間に火を飲み込んで、自分自身も火と化していく。悟空は魔法でも見るようにじっとそれを見ていた。
 静かな寺院の庭。連れ出された場所はここだった。石と砂利で作られた庭の一部に焚き火のような小さな火が灯る。そのうちうっすらと白い煙が夜空へ向かっていく。まるで天へ続く道のように。 
「送り火だ」
 煙草も咥えない三蔵の口から言葉が紡がれた。
「送り火?」
「盆が終わる頃に、先祖の霊や魂を送るためにこうやって道をつくってやるんだ。そうすれば迷わずに帰ることができる」
 盆の間はこっちに帰って来てるからな。                                          
 その言葉に、へえと悟空は声を漏らして空を見上げた。その視線が一瞬揺らぐように止まる。白く作られた道に『あの人』が見えたような気がした。
「あ……っ!」 
 にこりと微笑んで手を振って帰っていく。悟空もつられて手を振った。
 ――ありがとうございました。
 なぜか悟空には彼がそう言っているように見えた。すぐにその姿は白い煙にまぎれてとけてしまう。……数秒もたたない出来事だった。
「? ……どうした?」
「……なんでもない」
 首を横に振って悟空は三蔵に笑いかけた。
 ……そうか。三蔵に会いに来てたんだ。
 悟空はひどくすがすがしい気分になって思いっきり息を吸い込んだ。ついでに煙まで吸ってしまってげほげほと咳き込む。
「何やってんだ、バカ猿」
「えへへ……」
 悪態と共にぽんぽんと頭を叩かれる。体を摺り寄せると腕が背中から回った。悟空は心地よい温もりを感じたまま空を見上げた。木はまだ燃えていて、白い道はもう少しだけ消えそうになかった。



 (終)




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