一日遅れのクリスマス
Sanzo x Goku >>Very Sweet, X’mas only



 

――ひやり。
 額に感じた冷たい感触に、うっすらと悟空は目を開いた。まず瞳に映ったのは見慣れた寝室の天井。だがそれもゆらゆらと揺れていて落ち着きがない。
 ――え、地震……?
 不思議に思いながらぼうっとした頭でそれを見つめていると、ぼやけた視界を誰かが覗き込んだ。
「おい、大丈夫か?」
 聞きなれた自分より低い声。紫暗の瞳。まばゆいほどの金色。……言うまでもなく。
「さんぞぉ……?」
 思わず名前を呼ぶが、なぜか息が苦しくて言葉が途切れ途切れになってしまう。
 ――おかしいなぁ、と悟空は思った。
(まだ夜じゃないのに、どうして三蔵が帰ってきてるんだろう)
 部屋の中をぐるりと見回すと、いつもと変わらない寝室の様子が見て取れた。重たそうなカーテン、ナイトテーブルに置かれた灰皿、部屋を温めるために締め切ってある窓……
 そしてふと、悟空は自分がいる場所に気付いた。ふかふかの毛布に綺麗なシーツ。……ベッド?
 ――あれ……?
「何で俺、寝てるの?」
 言葉に出して問えば、三蔵はあっけに取られたような、少し苦々しい顔をした。
「お前な……」
「倒れたんですよ」
 口を開いた三蔵を遮ったのは、部屋の向こうから現れた碧眼の青年だった。手に鍋のようなものを携えている。その姿を見とめて悟空は嬉しそうな顔をした。
「あ。八戒!」
 元気な声で呼んだつもりなのだが、その声にさえ何となく力がない。というより力を込めることができないのだ。それでも起き上がろうとすると、隣にいた三蔵が慌てたように悟空を寝かしつけた。
「いいから寝てろ!」
 珍しい三蔵の様子を見て、頭の上をハテナマークで一杯にした悟空に八戒は苦笑した。鍋を三蔵に手渡しながら額のタオルを取って綺麗な手を額に当てた。
「うーん。まだちょっと熱がありますね。ダメですよ、三蔵。ちゃんと悟空の体調くらい把握しておいてくれないと。」
「たいちょう?」
「知るか! 元はといえばそいつが何も言わないのが悪いんだ」
 ふいっと顔を背けてしまった三蔵に困って、悟空は八戒を見る。「なにがあったの?」と言いたげな視線。何が起こったのか当の本人が分からないでは仕方がない。
 八戒は苦笑いを堪えることもなく、まあ僕も三蔵に聞いたんですがね、とおもむろに話し始めた。

 いつものように執務室で仕事をしていた三蔵は、僧正に呼ばれて一時間ほど部屋を空けることになった。勿論僧正は悟空を快くは思っていないから、必然的に悟空を置いていく形になる。だがそれはごく普通に、日常的にあることだし、いつも「バカ猿」と呼んでいる彼がそんな状態であるとは三蔵も気付かなかったのだ。
『行ってらっしゃい!』
 その笑顔に安心して、三蔵は部屋を出て行った。
 ――ところが、である。
『悟空ッ!?』
 執務室の扉を開けて帰って来た三蔵が見たものは、抱えた絵本をばら撒いて床に倒れている悟空の姿だった。額に手を当てると妙に熱い。とりあえず寝室まで運んで寝かせると、ちょうどその時八戒が悟空を訪れてやってきた。

「まあ、あの時は僕も驚きましたが」
 あんなに三蔵が慌てたのを見たのは、僕も初めてですよ。
 そう言って「ねえ?」と三蔵に言葉を振ると、三蔵はそれを無視して背を向け、手渡された鍋の中身を器に入れ替えている。
「えっと、つまり……。俺、風邪引いてたの?」
「どうやらそのようですね」
 八戒は苦笑しながら悟空の額のタオルを取り替えてやった。そうか風邪引いてたのか、などと今更のように言う悟空に三蔵は溜息をついた。八戒はタオルを替えるついでにもう一度額に手を当て、安心したような笑みを漏らした。
「大分熱も下がったみたいですね。じゃあ僕はこの辺りで」
「え? もう帰るの?」
 悟空は少し淋しそうな顔をした。八戒はその頭を優しく撫でて微笑んだ。
「ええ。でもまた来ますよ」
 着て来たコートを着込んで扉のところまで歩いていった八戒は、ふと気付いたように部屋を振り返った。
「ああ、そうでした」
 そして手元に下げていた袋から少し大きめな箱をとりだしてナイトテーブルに置く。
「これは?」
「僕からのプレゼントですよ。うっかり忘れるとこrでした。……それでは、またお会いしましょう」
 そう言って八戒は部屋を出て行った。

 ――ぱたん。
 閉じられた扉の音に一瞬部屋の中が静まり返る。しばらくして、いつもと変わらない冷たい口調が部屋に響いた。
「ったく、俺に世話かけさすんじゃねぇっていつも言ってんだろーが」
 口調は冷たいが、声には暖かなものも混じっている。悟空はそれに気付いて頬を緩めた。
「……何だ?」
「ううん。何でもない」
 不機嫌な声が聞こえて悟空は慌てて首を振った。それでも緩みの取れない頬を、三蔵がぎゅいっとつねる。
「あてててて。何すんだよっ!」
 上目遣いに文句を言えば、
「フン。そんだけ元気があれば大丈夫か」
 とそんな言葉が返ってくる。そして何かをひょいと悟空の目の前に突き出した。
 ……匙だ。それも、お粥の乗せられた。
「……へ……?」
 まさか、と匙伝いに目を動かしてその持ち主を確認すれば、「まったく不本意だ」という顔をした三蔵がそれを突き出している。これは、つまり……
「食わせてくれるの?」
「〜〜うるせぇっ! 余計なことは言わずにさっさと食え!」
 乱暴な声と共にぷいっと顔を背ける三蔵。膝の上には、さっき八戒から手渡された鍋が乗っている。おそらく八戒が隣の炊事室で簡単に作ったものなのだろう、まだ熱いらしく白い湯気が上がっている。
「……ありがと。」
 小さな声でそう言うと、背けた三蔵の顔が一瞬赤くなったような気がした。
「いいからさっさと食え」
 悟空はその声に少し嬉しくなって、それをぱくっと食べた。完全に匙の上のそれがなくなるのを待って三蔵は鍋の中からまたお粥をすくう。
 その単調な動作を飽きもせず繰り返しながら、三蔵は先ほどのことを思い出していた。
 ドアの向こうに倒れている幼い体。――心臓が止まるかと思った。額は熱く、息も荒くて、……今の今までそれに気付かなかった自分をさんざん恨んだ。もしも、もしもだけれど、あのまま、この小さい命が自分の手の届かないところに行ってしまったら、自分はどうなるのだろうと考えていた。――結局それは杞憂にすぎなかったのだけれども。
 こうして自分の差し出す匙から美味しそうに粥を食べている彼を見ていると妙に安心してしまう。
(安心……?)
 あんしん。
 聞き慣れない言葉を頭の中で繰り返して、三蔵はやっとその意味が分かるような気がした。
 この煩くてやかましい小猿がいなくなってしまったら。……そう考える「誰か」が傍にいることが、つまりは『安心』なのだろう。
それは悔しいくらい、認めたくないことなのだけれど。
「ごちそうさまでした!」
 最後の一口を食べると悟空は嬉しそうに微笑んだ。そして視線を巡らせて、先ほど八戒が置いていった箱を見つけた。
「あれは?」
「さぁな」
 そう言いながら三蔵は鍋を置いてそれを手にとる。結ばれたリボンを不器用に解くと、中から綺麗に飾られたものが出てきた。
「「ケーキ……?」」
 悟空と三蔵の声が重なる。
 ケーキ。誕生日に食べるような丸いアレだ。そういえば、八戒はそれを『プレゼント』とか言っていたような気もする。悟空は、その大きなケーキの上にちょんと乗っているチョコレートの板を見つけた。何やら書いてあるのだが、横文字で悟空には読めない。
「何て書いてるの?」
 そう言って三蔵に示す。三蔵は目を細めてそれを読んだ。

「……Merry Christmas.」

「めりーくりすます……クリスマス!?」
 悟空は驚いた声を上げ、慌ててカレンダーを見た。
「十二月二十五日。そっか、クリスマスだったんだ」
「全然気が付かなかったな」
 三蔵は珍しく悟空に同意した。そもそも寺院は仏教だ。どれだけクリスマスが近付いても、騒がしくしたり祝ったりしないのは当たり前といえば当たり前である。文化の一つとして三蔵も知っていたけれど、育った環境が環境であるだけに気付かなかったのだ。ふと時計を見るとその十二月二十五日もあまり残っていなかった。慌てて寝室に悟空を運んできたのが正午過ぎだったから、それから四、五時間は経っている計算になる。
「そういえば三蔵、仕事はいいの?」
 言われて三蔵は改めてそれを思い出した。書類も印紙もすべて放り投げてきてしまったから、秘書代わりの僧はほとほと困っているはずだ。だが三蔵は、今はもうこの幼い体を置いて仕事に戻ろうとは思えなかった。
「構わん」
「ホントに?」
「あぁ」
 悟空の顔にぱぁっと嬉しそうな笑みが広がった。
「じゃあね、ケーキ食べよ! それから一緒に本読んで、それから……」
 そこまで言った時、ぐらりと悟空の体が揺れた。その体をタイミングよく三蔵が受け止める。熱は下がったとはいえ病み上がりなのだ。無理は禁物である。
「とりあえず寝ろ」
 三蔵がそう言うと、「えーっ」と悟空は頬をふくらませた。
「せっかく三蔵といられるのに……」
「次に起きたら一緒にケーキ食ってやるから」
「ホント? ホントだよ?」
 念を押す問いに三蔵がうなずくと、悟空は初めてほっとしたような顔をした。そして意外と素直に目を閉じる。
「あ、そうだ」 
 寝入るか寝入らないかの間合いで悟空はうっすらと目を開いて笑った。
「今日はありがと。三蔵。」
 そしてその小猿はすうと寝入ってしまった。

 ――結局は、やっぱり淋しかったのだろう。
『じゃあね、ケーキ食べよ! それから一緒に本読んで、それから……』
 あの笑顔が忘れられない。三蔵は穏やかな寝息を立てる悟空の髪に触れながら、それを思い出す。気付いてやれなくて悪かった、と心の中で謝った。自分は悟空ほど素直じゃないから。だからまだ口に出してはいえないのだけれど。でも、悟空が起きたら一緒にケーキを食べて、一緒に本を読んで、明日は……久しぶりに街にでも出てみるか、と思ってみる。
クリスマスは終わったが、たまに繰り出すのは悪くない。
三蔵は僅かに口元を緩めた。

 ――そうだ。
 一日遅れのクリスマスを、お前と過ごそう。


 (終)




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