子守唄が聞こえる前に。
Sanzo x Goku >>Very Sweet, Diary



「――眠い」
「じゃあ寝ろ」
「眠れない」
「……じゃあ起きてろ」
「――眠い」
 先ほどからずっとそんな会話が続いている。三蔵はぴきりとこめかみに青筋を立てると、読んでいた新聞をぎゅぎゅいと握り、かれこれ十度目の「眠い」で勢いよくそれを悟空の頭へ振り落とした。
 スパァアアンッ、と綺麗な音がする。
「いってぇ……何すんだよっ」
「いい加減大人しく寝やがれ! ……ったくおちおち新聞も読めやしねえ」
「だって眠れないんだってば」
「……眠いんだろーが」
「眠いけど、眠れないんだもん」
 三蔵の寝台の中でシーツに包まった悟空は、拗ねたようにぷうっと頬を膨らませた。三蔵はクシャクシャに丸まった新聞を仕方なくサイドテーブルに置くと、大きく息を吐き出した。新聞を読むためにかけていた眼鏡をかしゃりと外す。
「……どうした」
「何でもないもん」
「……じゃあどうして眠れねえんだ」
「むー……だってさ」
「だって、何だ?」
 三蔵の言葉に悟空はぷいっと顔を背けたまま、
「……何でもない」
 とぼそりと言った。三蔵はもう一度大きく息を吐く。
 自分が物事に敏感であるという自覚はないが、少なくとも飼い猿のことに関して言えば、隠し事をしているときくらいすぐに判るのだ。とりあえず悟空が寝台を離れないでは三蔵も寝る場所が無い。さてどうしたものかと三蔵は寝台に腰掛けた。
「……何かあったのか」
「別に」
「何拗ねてんだ」
「拗ねてねーよっ」
「……拗ねてんじゃねーか……」
 呆れたように息をつくと、悟空の頬が一層膨らんだ。
「だって、」
 そのまま責めるように、じっと三蔵の瞳を見上げる。
「……だって起きたら、三蔵どこにもいないんだもん」
 だから、今日は寝ない。
 子どものような言葉に、やっぱりそのことかと三蔵は息をついた。たいしたことではない。ただ今朝は急に早朝の説教の依頼が入ったのだ。置き手紙をする暇もなかった。勿論悟空はすやすやと寝入っていて、起こすのも気が引けたのでそのまま部屋を出たのだ。そして説教を終えて昼過ぎに寝室へと戻ってみれば。拗ねたような怒ったような顔で悟空がふて腐れていたのだった。
 思い出してみれば、何も言わずに半日以上部屋を開けたのは初めてかもしれない。二週間近く寺院を開けたこともあるが、そのときは何かしら言い残していた。
 三蔵はまだ頬を膨らませたままの悟空の髪を不器用にもそっと撫でてやりながら、さてどうしたものかと思う。拗ねた子どもというのは一番厄介だ。ハリセンで殴っても駄目。怒ってみても駄目。とりあえず自分の方がキレても拗ね比べで悟空に勝てるわけはなく。最終的には、
「……悪かったって言ってんだろうが」
 そんな愛想の無い言葉で三蔵なりに下手に出てみる。十分態度は傲慢だが。
「別に謝って欲しいわけじゃないもん」
「……じゃあどーすりゃ気が済むんだ」
「…………気が済むとか済まないとか、そういうことじゃないもん」
 悟空は視線を逸らす。
「だって、」
「何だ」
「起きたら、三蔵いなくて」
「……だから、」
「どこにも三蔵いなくて」
「悪かったって――」
 三蔵は気付いた。悟空の逸らした目が不安げに揺らいでいるのを。
「……だって、三蔵、どこにもいないから。」
 謝って欲しいわけではない。ただ、悔しいのだ。当たり前だと思っていたことを。目が醒めれば手の届くところに三蔵が居るのだと、そう思っていた自分のことを。そんなことはないのだと打ちのめされた気がして。
 そんな悟空の気持ちを悟って三蔵は息を吐き出した。
「……勝手に逆恨みすんじゃねーよ」
「だって、」
「だってじゃねえ」
「仕事部屋にも居ないしっ」
「だからってどーして俺がいなくなんなきゃなんねーんだ」
「だってッ……」
 手でそっと髪をすいてやる。悟空の目が驚いたように三蔵を見た。
「勝手に勘違いしてんじゃねーよ、莫迦が」
 その言葉に苦笑が滲む。
 何度同じことを思ったことだろう。自分がどこかへ行くたび。寺院を出て彼から離れるたび。外で遊んでくるからと、言って出かけるその背を見送るたび。
 再び彼が自分の傍に戻るのだろうかと、背筋が震える思いがした。
 だが、そうだ。そんなことは言ってやるものか。教えてやるものか。――知られてたまるか。
「……歌」
「あぁ?」
「歌、歌ってよ」
「――何で俺が、」
「コモリウタ。……この間、八戒は歌ってくれたよ」
「……っ……」
 そうだ。知られてたまるか。
 この胸の奥に溜まる、滓のような歪んだ想いを。
「――たら、」
「え?」
「歌ったら――寝るか?」
「……え?」
「だから、」
 三蔵は視線を逸らして眉を寄せた。
「子守唄、歌ったら寝るかっつってんだ」
 悟空の目が丸くなった。
「……歌ってくれるの」
「厭なら寝ろ」
 ぱぁっと顔が明るくなる。
「ううんっ! いい、ね、歌って!」
 悟空は三蔵を引きずるように自分の隣に寝かせると歌をせがんだ。この寝台は俺のなんだがな、と三蔵の脳裏に一瞬そんなことが掠めたが、何はともあれ寝転がって腕を立てると真横にある悟空を見る。ふと――その唇が近くにあることに気付いた。
 何気なく、一瞬だけ口付けた。
「……さ、さんぞ……っ……」
「えーと、歌、だな」
「ななななな何をっ!」
「……おい、悟空」
「なななななな何っ!?」
 そうだ、駄目なのだ。傍にいなくては駄目なのだ。
 ――ほんの小さな口付けすらも愛おしい程に。
「歌、な……」
「……うん?」
「経じゃあ駄目だよな?」
 口付けすらも、狂おしいほどに。
「……駄目。」
「くっそ……」
 いつも傍にあるこのぬくもりを。


 (終)




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