SNOW
Sanzo x Goku >>Dark



 
 その小さな唇に己のそれを寄せた。静かな夜の空気がどよめいたようにゆらりと揺れる。悟空は小さく笑った。
「三蔵は夜だけ優しいね」
 俺は否定しない。何度も何度も角度を変えてその唇に触れる。悟空が眠る寝台に腰を掛け、その体を捻るようにして押し倒すと、茶色の髪が揺れるのが見えた。唇を交わしたままで手のひらを広げてその髪を掻き抱く。
 ふ、と笑う雰囲気が在った。
 どうしたのかと思って唇を離せば金色の瞳がゆらりと闇に映った。暗がりは――気が狂いそうだ。
「三蔵、子どもみたい」
「ガキはてめえだろ」
「だって子どもみたいに凄く――乱暴」
「……黙ってろ」
「でも髪がぐしゃぐしゃになっちゃうんだけど」
「それがどうした」
「明日、直すの大変なんだけど」
「――構うか」
 小さく呟いて、俺は唇を交わして絡ませた。舌で口腔をなぶりながら、気付くとまた茶色の髪をまさぐる自分に気付く。
 ……構うものか、と俺は心の中で繰り返した。
 茶色の柔らかな髪。薄く色づいた頬。どうしてこんな体からあれだけの力が生み出されるのだろうと思ってしまう華奢な体。この腕の力を抜いたら、すぐにでもふわふわと消えてしまいそうな気がして。
 ――そうだ。
 俺は口付けながら心の奥で問う。
 こうして縛りつけてでもおかないと、お前はすぐに離れてしまうだろう?
「三蔵って、」
 声にふと視線を上げる。息が少し荒くなった口元を見つめると、言葉が零れてきた。
「三蔵って、やっぱり子どもみたい」
 可笑しそうに笑う。
「……てめえにゃ言われたくねえな」
「酷いこと言ってる」
「そりゃどっちだ」
「俺は正論だからね」
 直ぐに髪を掴むし、どこだって口付けるし。
 そう続けて、ふふっと悟空は笑った。
 ――正論なのだろうか。
 口付ける。それだけでは足りなくなる。
 全部、全部を。
 この体ごと全部を抱き締めたくなる。
 掴んで絡ませて口付けて噛んで。
 他の誰にも触らせたくない。他の誰にも取られたくない。
 歪んだ独占欲には気付いている。
 その、いびつな形には。
「――悪いか」
 言うと、悟空は笑みを浮かべた。
「……全然。」

 だって自分だけのものであれば善いから。  
 
 舌を絡ませる。口付けが深く深くなっていく。わずかに吐息と声が漏れる。そして侵食していく。侵食されていく。まるで一つに溶けてしまえるような、そんな錯覚が愛しい。
「……三蔵、」
 声に目を開く。
 唇が離れる。
「――好きだよ」 
 その笑顔に、俺はまた髪を引き寄せて弄った。


 


 寒い暗い夜はいやだ 女々しい物思いにふける
 たばこの灯りは 眠れぬこころ照らす

 ゆらりと紫煙が揺れた。それは左右にゆっくりとうねりながら重力に逆らい、吸い込まれるように天井に消えた。
「――っ」
 俺は吐息だけの溜息を吐き出した。まだそれほども吸っていない煙草を唇から放すと灰を落とす。紫煙がまたもどかしく揺れた。
「チッ……」
 誰ともなしに舌を打ち、灰皿におしつけるように煙草を消した。火はあっけなく消え、紅くくすぶる光が少しの間灯ったかと思うと、ざりっと灰を押しつぶす感触が指に伝わった。それがなぜか妙に癪に障って、俺は何度も煙草を灰皿へと押し付けた。

 本当にひとりになったことないからね
 自分の強さも知らない

 一人。
 俺は、いつだって独りだった。
『強く――強くおありなさい、玄奘三蔵』
 独りになれば強くなれるのだろうか。
 誰かといると弱くなるのだろうか。
 ひとり。
 一人でいたときは、独りだなんて思わなかったのに。
 誰かといることに慣れてしまった体が、知らず知らずにもういない「誰か」を求めている。
 強くなんてない。
 俺は、
「――強くなんかねえんだ。」
 強くあれば、守れたのだろうか。

 あのときどうしてうそをつかなかったのだろう
 偽りばかりで暮らしてたはずなのに

「……悟空」
 何度も目覚めて、何度もその名前を呼んだ。返事はない。あの茶色の髪も金の瞳も二度と触れることは出来ない。不意に吐き気が込み上げて、流し台まで駆け寄って吐いた。もう何日も何も食べていないのに、胃液だけが分泌されて不思議だ。
「悟空、」
 あいつはどうして嘘を付かなかったのだろう。
 ひとつ嘘を付けば、死ななくて済んだのに。
 自分と経文とどちらが大切かと尋ねられた時、どうして自分だと答えなかったのだろう。
 選ばせてやるとあの女は言った。
『経文とお前の命――選ばせてやるよ、悟空。』
 総てを手に入れることは出来ないから。
 手に入れるためには犠牲が必要だと。
 大地の精霊である悟空の命と引き換えならば、経文を返してやると。
 そして悟空は俺を振り向いた。
 よかったな、と笑った。
『これで三蔵、経文返して貰えるな。』
 悟空が嘘を付けるほど器用な人間でないとわかっていた。そして悟空は誰よりも俺が経文を取り返したがっていたことを知っていた。悟空が小さい頃、俺が何度も寝物語に聞かせた話を悟空は覚えていた。
 悟空は微笑んだまま金鈷に手を掛け、俺は悟空の言った言葉の意味に気付いて手を伸ばした。
 見慣れた笑顔に手を伸ばした。
 けれどその手は届かなかった。

 雪に言葉はない 手紙も届けられない
 だれもノックしない すべては息を潜める

 死にも等しい沈黙が耳に痛い。
 悟空が嫌いだった雪が、外ではびゅうびゅうと吹いている。それが窓に当たり時折激しい音を立て、悟空の声のようだと馬鹿なことを思う。
 ここに来る者は誰もいない。悟浄も八戒もこの街を離れた。悟空を思い出すから嫌だと言って。俺は閉鎖的な空間で閉鎖的な仕事をこなし、夜が来れば寝て朝が来れば起きる。そんな馬鹿らしいほど当たり前のつまらない日々を送っている。まるで無感情に。
 俺の肩の経文は増えた。だが俺の口数は減った。
 傍にあったはずの喧しい生き物は、もういないのだ。

 君とのことを思い出すときはいつも
 ドアというドアを閉められたよう

 悟空が雪を恐れていた理由が今の俺にはわかる気がした。
 真っ白な世界。誰もいない世界。たった独りで息が詰まるような密室。扉を総て閉じてただ窓の外をゆらりと落ちる雪を見ていると、そのうちその雪の中に混じって俺も溶けてしまえるような気分になる。朝が来れば溶けて消える雪だるまのように。雪となって落ちて溶けて。そしてお前のいる場所に行きたい。
「……悟空」

 手放した鳥は 
 二度とは帰ってこない

 ぼうっと闇を見つめた瞳から何かが手のひらに零れ落ちた。ゆっくりと目を開けたが何もぼやけて見えなかった。窓の外に降る白い雪が小さくも大きくも見えた。ふと――そのうちの一つが形を成した。俺は目を見張った。
「……悟空」
 悟空が笑っていた。窓の外で。あの日と同じ服を着て、あの日と同じ笑顔で。俺は窓に手の平を当てた。消えないように、消えてしまわないようにもっと傍に寄りたかった。だが窓は雪で閉まって思うように開かない。悟空は少し困った顔をして、それから俺に手を差し伸べるとはっきりと言った。
『行こう、――三蔵。』
 ああ、わかっている。
 わかっているとも。
 もう離すまいと決めたんだ。
 お前を一度喪ったあの時に、
 次こそは離すまいと決めたんだ。
 俺はいつも懐に携えていた銃を握ると、銃口をこめかみへと押し付けて、ゆっくりと引き金を引いた。
 ガウンッ、と響く音を遠くに聞いた。

  踊れ 雪よ やまないで今は
  溜め息を 優しく吸いこんで
 つもれ この世の悲しみを全部
  深く 深く埋めてしまえ


 (終)


BGM:「SNOW」@B'z

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