Wanderin’ destiny
Sanzo x Goku >>Dark



 
「寒……」
 悟空はそう呟くとぶるりと体を震わせた。冬の冷気は外套から肌へと差し込み、じわりじわりと体温を奪っていく。もう氷点下は超えてしまっただろうか。
 悟空はふと空を見上げた。真っ暗な空だ。夜も更けた月の無い空。自分達を照らすものは何も無い。導くものは何も無い。そう思うと余計に寒く思えて、悟空は両手で自分の体をかき抱いた。
「おい、遅れてんじゃねーよ」
 数歩先から聞きなれた声がする。闇の中で慣れた目を凝らすと三蔵が煙草を咥えて不機嫌そうに立ち止まっている。自分が遅れていることが気に食わないらしい。外気は随分と寒いはずなのに、三蔵は法衣の上にわずか一枚を羽織っただけで悟空などよりよっぽど平然とした顔をしている。
「だって寒ィんだもん。……寒くねえの、三蔵?」
「慣れた」
「んなアッサリ言われても……」
 無愛想な短い言葉に、がくっと転びそうになるのを堪える。それでも先へ先へと進まず、自分を待って居てくれるあたりが彼なりの優しさなのかもしれない。ここで彼を見失ってしまったら、二度と見つけられない気がするから。
「――まぁだ着かねえの? 寺院」 
「てめえがさっさと歩きゃあっという間に着くだろ」
 そう呟いてやっと近くに来た悟空を置いてまた先へと三蔵は進む。寒いのと疲れてしまったのとでヘトヘトになっている悟空は口を尖らせてその背中にぼやいた。
「元はと言えば三蔵が今日中に帰ろうなんて言い出すからじゃんか」
「……文句なら、さんざ俺達を引っ張りまわしやがった向こうの坊主に言え」
「――ちぇ。そーゆーの、セキニンテンカってゆーんだぜ」 
 悟空はぼそりと言う。
 今日は月に一度、地方を回って説教をする日。珍しく悟空も同行を赦され、遠い地方へ行くため、寺院を出たのは昨日の正午。昨晩、地方の小さな寺院へ着いてからというもの、三蔵はほとんど寝る暇もなく、自分の顔を拝みさえすればご利益があると勘違いしているような、そんな坊主や住民の相手をしていたのだ。それに付き合っていた悟空も疲労の限度を超えている。どうせならもう一晩泊まっていけば良かったのに――と悟空は頬を膨らませた。こんなに寒い中、真っ暗な闇を手探りで帰らなくても。あーぁ、と悟空は息をつく。ふわ、と白い息が宙を舞った。
「寒い寒い寒い寒い寒いーッ!」
「うるせぇ、黙れッ!」
 悟空の喚きに三蔵の怒声が飛んだ。けれど三蔵にしてみたところで外套にふわりと落ちる金糸も影を落とす肌も、いつもよりずっと白い。吐く息だって、もちろん。
「ホラ、さっさと歩け。でなきゃ何時まで経っても寺院に着けんぞ」
「――ちぇ」
 悟空はもう一度舌打ちをした。……が、今度は幾ばくかの反省の意味もこもっている。三蔵だって寒いのだ。真っ白な頬をして真っ白な指をして。あの金色の髪だって驚くくらい冷たくなっているのだろう。そう思うと我侭を言った自分が情けなくなった。ついてきたいと言ったのは自分なのに。
悟空はふと何かを思いついたように走り出した。そしてやはり自分の数歩先を歩いていた人物まで追いつくと、そのフードの裾に、そっと手を忍ばせた。
「……ッ? 何しやがんだ、この猿ッ!」
 驚いた三蔵が慌てて腕を振る。その先にはしっかりと握られた悟空の手が。何を考えたのか悟空は突然三蔵の手を握りしめたのだった。
「離せ、冷てえだろうがッ――」
「……こーすりゃ少しは暖かくなるかと思ったんだけど」
 ぴたりと三蔵の動きが止まった。つられて金糸も遅れて揺れる。その目が見開かれた。
「でも――あんま、暖かくねえかな」
 視線を逸らして悟空は言う。その顔が泣きそうに歪んでへへ、と笑った。それでも手のひらは離さない。思ったよりも、ずっとずっと冷たかったから。闇の中、一人きりで歩くのは厭だから。同じ冷たさの手のひらだけれど。
「……冷てえだろうが」
 三蔵は同じ言葉を繰り返した。だが、その手のひらに、わずかに力がこめられるのを悟空は感じた。
「――莫迦猿が」
 悟空は見た。
その口元が、緩やかに上がるのを。

「……あ、流れ星」
 ふと悟空は声を上げた。
 視線に留まった流れ星。
 あっという間に地平線へと滑り落ち、視界には映らなくなった。手で繋がった三蔵はつられて立ち止まると煙草を咥えなおして空を仰いだ。
「新月だからな」
「……しんげつ」
「月の始まりだ。月が出ない夜のことだ」
「――ふうん」
 悟空は納得したように頷いた。
「その分、星が見えやすいんだろ」
 三蔵は付け加えて呟く。
 悟空も空を仰いだ。途端、それまでは余り意識にしなかった満天の星が目にくっきりと映る。
「うっわ……」
 思わず声が漏れた。
「すっげー星の数……幾つくらいあるんだろ。捕まえられないかな、一個くらい」
「出来ると思うんならやってみろ」
「ぶー。やらないよ、ガキじゃないもん」
 拗ねたように腕に腕を絡ませてみせる。いつもはここでハリセンが飛んでくるのに、今日に限ってはそれがない。おかしいなと思いつつ、都合がいいので、まぁいいかと流してみる。たまにはこんな夜があったって。そういう想いが口を軽くする。
「なぁ、流れ星が願い事叶えてくれるって本当かな?」
「嘘に決まってんだろ、そんなこと」
「三蔵って夢ねーよなぁ」
「……違ぇよ」
 ふう、と三蔵が煙を吐き出す。
「願うだけで叶っちまうような願い事なんざ、流れ星に願わんでも出来るだろ」 
「……なるほど。そういう見方もあるか」
 そうでなきゃ、叶わないと判ってる願いごとだろうな。
 三蔵は付け加えた。悟空は三蔵の腕に頬を付けたまま、そっと空を見上げてみる。あの星の幾千幾万の星に、それぞれ一つの願い事があるとしたら。――たとえば、その中に、一つくらい自分の願い事を叶えてくれる夢もあるかもしれない。そう思って人は願いに縋るのだろうか。いや、そうではなく、きっと願うことそれ自体が、
「願うことが大切なんだよ、きっと」
 そう言うと三蔵が珍しく意外な表情で悟空を見た。
「……どういうことだ?」
「だからね、叶っても叶わなくても、どうでもいいんじゃない、そんなこと。」
 願うことが大切なの。
 その言葉に、三蔵は益々不思議そうな顔をする。悟空は苦笑をした。
「たとえばね、俺が何か願いごとするとするじゃない。たとえば――『ずっと三蔵と一緒にいたい』とかね」
「――っ、莫迦か、てめえは」
 そう言う三蔵の顔は少し赤い。悟空は続けた。
「んでさ、その願いごとを、流れ星にしたとする。でも本当は叶うか叶わないかじゃないんだよ。願うこと。願って、それを三蔵が聞いてるってことが――俺には大切なわけ」
「……何が言いてえんだ」
「わっかんないかなぁ」
「――わかんねえよ」
 拗ねたように三蔵が言う。だからさぁ、と悟空は三蔵の数歩先を走った。
「三蔵が好きだから、それでいいんだよ」
 だから願うだけでいいの。
 悟空は繰り返した。
 願い事は、自分への告白。誰かへの告白。
 想いを告げる為の、一つの手段。
 それが届けばいい。誰かが聞いてくれさえすればいい。
 願わくば、届いて欲しい、誰かに。
 そうでなくとも自分に。
「……莫迦か」
「莫迦だけど、バカじゃないもん」
「何だそりゃ」
 三蔵はふう、と大きく息をついた。悟空は外套をしっかり掴んで三蔵を見上げた。
「――なあ、三蔵は流れ星に何を願う?」
 ぴたり、と三蔵の動きが止まる。だが、意外に悟空を見た瞳は、呆れたそれではなかった。
「言うと意味がねえんだろ、そういうのは」
「そうなの?」
「そういうモンだろ」
 そう言うと三蔵は煙草の灰を風に流した。
月のない星空は暗く自分達を見下ろしている。
「……だから、言わねえ」
 三蔵は煙草を咥えると、星を見上げた。悟空も見上げてみるが、勿論星空はそんなことを教えてはくれない。
「――さっさと行くぞ、莫迦言ってないで」 
 三蔵はすたすたと歩き始めた。手を繋がれたまま、慌てて悟空も追いかける。冷たい冷たいその背中。暖かくなった手のひら。
後ろからでは判らない、願い事。
「……うん!」
 それでもそれが自分と同じ物であればと、悟空は願った。


 


「寒……」
 悟空はそう呟くと、ぶるりと体を震わせた。冬の冷気は肌へ触れて、じわりじわりと体温を奪っていく。もう氷点下は超えてしまっただろうか。悟空はふと空を見上げた。
「綺麗ぇ……」
 そっと空に向かって手を伸ばす。外套も着ていない肌は、外気に触れるとすぐに冷える。それにも構わずに手を伸ばすと、それでも足りずに悟空は背伸びをした。
 届かない。
 それが判ってようやく背伸びをやめる。
「ねえ、綺麗だね、三蔵」
 悟空はそう言うと、足元の草むらに腰を下ろした。そして冷えた地面も構わずにそのまま横になる。凍りつきそうな冷たさが直接背中へ伝わった。悟空はただ空を見ている。ざわりと風が吹いた。それにつられて悟空の足元に生えた草も揺れる。
「しんげつ、だからだよね」
 そう言うと悟空はくすりと笑った。
「月の無い夜は星が綺麗なんだよね――三蔵」
 空に視線を留めたまま、悟空はくすくすと笑うと空に向かって手を伸ばした。
 辺りに人影は無い。
 遠くに街が見える。
 いつか、悟空が三蔵と一緒に説教しに行った、あの街だ。
「……あ。流れ星」
 悟空の瞳が何かを追う。そして無邪気に笑った。
「ね、今何か願い事した?」
 そう言って空に笑い掛ける。俺はね、と悟空は続けた。
「俺は、三蔵と居られたらなぁって――願ったよ」
 昔とは微妙に違う願い事。
 『ずっと』の抜けた、願い事。
「ねえ、三蔵。憶えてる?」
 悟空は呼びかける。
 誰も居ない虚空に。
 誰かがいたはずの隣に。
『ずっと三蔵と居られますように』
「……俺は憶えてるよ」
 そう、何だって憶えてる。

 今日みたいに寒い日のこと。
 二人で手を繋いだこと。
 貴方が少し笑ったこと。
 とても嬉しかったこと。

 今日みたいに寒い日のこと。
 貴方は逝ってしまったこと。
 その紫の瞳を細めて。
 金の髪を鬱陶しげにかき上げて。
 最後に俺を引き寄せて。
 似合わない笑顔で、逝ってしまったこと。

「――どうして、俺の願い事は叶わなかったのかなあ」
 ずっと居られたら。
 ずっと貴方と居られたら。
 本当にそれだけだったのに。
 他に願い事なんて無かったのに。
「何で俺を置いて逝っちゃったのかなぁ……」
 何があったって要らない。
 三蔵が居ないと意味がない。
 意味が、ないんだ。
「……嘘付きッ……」
 悟空は初めて呪いのような言葉を呟いた。
 くしゃりと顔が歪む。
「ずっと一緒に見ようって言ったのに。……嘘付き」 
 いつまでも、いつまでも、ずっと。
 約束なんてしていない。それでもその手のひらの温もりは決して失せるものではないと信じていたのに。
幾度も唇を這わせた指も爪を立てた背中も。
 そっか、と悟空は小さく呟いた。
「だから三蔵は、何も願わなかったんだね」
 声が掠れるのが判った。
「……願い事、叶わないって判ってたから」
 いつから叶わないって判ってたの?
 どうして俺には教えてくれなかったの?
 空に伸ばした手をゆっくりと下ろす。
「ねえ、三蔵は何を願ったの? もういいでしょう、教えてよ」 
 悟空は目を閉じる。
 ねえ、教えて。言葉に出さなくったっていい。俺にだけ判ればいい。だから『声』で教えてよ。いつもみたいに教えてよ。
 ……けれど悟空の耳には心臓の痛くなるような静寂しか聞えない。悟空は口元に笑みを浮かべた。
 目の前がゆらりと滲む。
 その向こうに、きらりきらりと、
「満天の星だよ、三蔵。」
 悟空は嬉しそうに言う。 
 ――真っ暗な、星さえ出て居ない空。
 悟空の目にはそれが満天の星空に見えているのだ。
 いつか見たまばゆいほどの空に。
「星がねえ、キラキラしててとっても綺麗なんだよ。三蔵の髪みたい」
 届きはしないだろうかと指を広げる。つうっと熱い物が頬を伝って耳の近くまで滑り落ちる。冷たい地面のせいか、冷えた頭がぼうっとした。
「いっぱいいっぱいあるよ。数えてみようか。ほら、一、二……」
 悟空の瞳は遠くを見ている。
 空に無い星を数えている。
 いつかの満天の星を。
 いつか見た、傍にいた誰かへの想いを。 
 ――真っ暗な、真っ暗な静寂が、ただ。
「……あ。」
 悟空はふと声を上げた。
 真っ暗な空からは、雲の重みに耐え切れず、ふわりふわりと雪が舞い降り始めた。
 それが悟空の頬に触れ、ゆるりと溶ける。
 手のひらでゆっくりそれを受け取る。
 悟空は笑った。
「……流れ星、つかまぁえた」
 穏やかに。
 

 その翌朝、雪が積もった。
 その冬一番の雪だった。
 積もった雪にまぎれて、一人の少年が眠るように目を閉じていた。
 ――幸せそうな笑みを浮かべて。


 (終)




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