ZERO



 

「――おい、坊主」
 ぺし、と軽く頬を叩かれる感触に、キラはハッとした。
 ぼうっとしていた意識を慌てて引き戻す。
 いつの間にか、目の前には、金髪を揺らめかせた男が自分を覗き込んでいた。
 キラは再び我に返った。
 ここは――コックピットでは、無い。
 白い天井が目に入ったのだ。
 だが、先ほどまで戦闘に挑んでいた体は、未だ軽く痙攣し、手のひらの先を震わせている。
 それを隠す為に、キラはぐっと手のひらを握った。
「・・・フラガ、大尉」
「ようやく正気に戻ったな? まぁったく俺様に世話かけやがって」
 片眉をあげ、フラガ大尉が笑う。
 みると、フラガもまだ戦闘服のままである。――無論、自分も。
「ここは――」
「俺の部屋だよ」
「え・・・あの、ストライクは――?」
「整備中。お前がずっとぼうっとしてて使え物になりゃしねえって、軍曹にぼやかれてな」
「・・・はぁ」
「一般客室へ連れていっても良かったんだが、お前は話し掛けてもウンともスンとも答えないしよ」
「・・・すみません」
 素直にキラは謝った。
 コックピットを降りてから、ここまで来るまでの記憶が、まるで無い。
 おそらくは、困りながらもフラガ大尉がここまで連れてきてくれたのだろう。
 キラを見て、フラガは笑ったまま片眉をあげた。
「気にするな。誰でも初めのころはそうさ。・・・ああ、そのベッドの上にでも腰掛けて置くといい」
「・・・あ、すみません」
 示されたベッドに、腰を下ろす。
 宇宙空間特有の弱重力のせいで、ふわりと体が浮く。これを、キラは余り好きでない。
 ゆっくりと、キラは部屋を見回した。これといった装飾品も無い、殺風景な部屋である。
 それも当然なのかもしれない。アークエンジェルは戦闘船なのだから。
 あるのはベッド、それから仮眠用の寝袋、テーブルが一つ、扉を一つ隔てたところにあるのはバスルームだろうか。
 一般の兵籍と違うところと言えば、そのバスルームが孤立してついているくらいなものだ。
 キラ達一般の乗客にしても、ベッド以外はすべて共有である。
 フラガは戦闘服の首の部分だけを緩めると、バスルームの方へ向かった。
「シャワー、先に浴びるが、善いな?」
「・・・あ、はい」
「お前も戦闘服くらい脱いでおけ。苦しいだろうが」
「・・・・・・あ、はい」
 単調な返事を繰り返し、キラはわたわたと戦闘服を脱ぎ始めた。
 どうも、ぼうっとしていけない。これは自分の癖なのかもしれないとキラは思った。
 ぼうっとするというより・・・トロいのかな、僕って。
 情けない言葉を思いながら、ふとバスルームを見やると、フラガ大尉が口元を緩めてこちらを見ている。
「・・・何ですか」
「――いや。じゃ、先に入って来るから」
 そういうと、不思議な笑みを浮かべたまま、フラガはバスルームへと消えて行った。
 キラは首を傾げると、ベッドに腰を下ろした。

 

 

 


「シャワーありがとうございました・・・・・・って、大尉・・・?」
「おー、出たか。そーか、よしよしこっち来い」
 キラは、バスルームから出るなりフラガの姿を目にして、一瞬足を止めた。
 自分と同じく、バスローブ姿のフラガ。
 ベッドに腰掛け、珍しく寛いだ様子である。
 ・・・まあ、それは善いだろう、とキラは思った。
 先ほど、戦闘配備が解除されたばかりである。アルテミスへ着くまでは、とりあえず戦闘は無いと見て良いだろうから。
 ・・・・・・それは、善いのだが。
「大尉――何、飲んでんですか?」
「これかぁ?・・・見て判んねーのかよ、ビールだよ、ビ・ー・ル」
 そう言って、片手に掲げたボトルには、確かに「麦酒」と書かれている。
「・・・や、別にそれは見れば判りますけど」
「じゃ、善いだろ別に。ホラ、こっち来い、こっち」
「・・・はぁ・・・」
 酔っている。
 完全に酔っている。
 ふと足元を見ると、同じようなボトルが二つ、おそらくは空になって転がっている。
 キラは仕方なく、それらを避けながらフラガ大尉のもとへと近寄った。
 数歩歩いただけで、すぐに酒のきつい匂いがした。
「あのー・・・」
「何だ」
「ここ、戦闘船ですよね」
「それがどうかしたか?」
「・・・お酒、飲んでも善いんですか?」
 素朴な疑問を口にする。
 いざ戦闘となったときに、酒で酔いつぶれている兵など使い物にならないのではないか。
「あー、善いの、俺は」
「・・・はあ」
「すぐ酔いが醒めるから」
 嘘だ、絶対嘘だ。
 とキラは心の中で繰り返した。
 そして思わずザフト軍に祈る。
 どうか、今戦いをしかけてきませんように――
「ほら、来いったら」
「・・・っわッ――」
 フラガに腕を引かれて、キラの体が飛ぶ。
 比較的軽い体は、ぱふん、と音を立ててベッドに沈み込んだ。
「へへへー。まずは戦友どうし、乾杯といこうじゃないか」
「・・・はぁ・・・って、ええっ!?」
 キラの体が浮く。
 それでも腕をしっかりとホールドされているせいで、結局元のところに、ぱふんと戻ってきた。
「ぼぼぼぼぼぼ僕、お酒なんて飲めないですよっ!」
「あぁん? 俺の酒が飲めねえってのかぁ?」
「だぁから、ちょっと、大尉!!」
 酒癖が悪い。それも相当に悪い。
 フラガはいつもの精悍な表情を緩め、口元に笑みを浮かべて、髪を掻き上げた。
 濡れた金色の髪が、掻き上げた形に、残る。
 キラは一瞬それに見蕩れた。
「――どうした」
「・・・や、何でもないです――」
「じゃなくて。さっきの戦闘だよ」
 びくり、とキラの肩が震えた。
 そう言うと、フラガはボトルから、また一口ビールを飲んだ。
「・・・ま、お前の戦闘をいつも見てるわけじゃあないが、あそこまで囲まれる前に、逃げられたはずだろう?」
 キラはフラガを見る。
 背筋が震えた。
 酔ってなどいない。
 目が醒めた色をしている。
 唇が震えた。
「・・・ちょっと、動揺、して」
「動揺?」
「その――ザフト軍の、」
 声まで震えている。
 軍部のことはよく知らない。
 けれど、あのメビウスゼロ機――あれは、ちらりと見た限りだが、コーディネーターでも操作が難しいだろう。
 有線式ガンバレルを唯一使える男だと聞いた。
 そしてその理由を、キラを薄々と悟り始めていた。
 まるで尋問されているかのように思えるほどの、鋭い視線。――凍りつく空気。
「固くなるな、坊主」
 ぽんぽん、とフラガはキラの背中を叩いた。そして、口元を少し緩める。唇まで凍ってしまいそうな張り詰めた空気は、一瞬に消えた。
「ちょっと・・・その、何だ。お前を試しただけだ」
「――試し・・・た・・・?」
「ああ。ザフト軍と会話を交わして、向こうにつきたくなったんじゃないか、聞いてみろと、さっきバジルール少尉に言われてね。・・・いや、あのお姉さんも綺麗だが、怖い怖い」
 そう言うと、片目を細めて見せた。
 ふっとキラの肩から力が抜ける。
「・・・そう、だったんですか――」
「少尉は、お前が、その――コーディネーターであることを少し気にしてるんだ。かといって、こっちにゃお前以外にストライクを扱える奴はいないがな」
 もう一口ビールを含むと、フラガは肩をすくめてみせた。
 コーディネーター。
 キラはその言葉に、体を一瞬固くした。
 中立国のオーブにいた頃は、自分以外にもコーディネーターは幾人もいた。
 別になんの分け隔ても無く、一緒に暮らしていた。
 ――だが、今、ここにいるコーディネーターは自分ひとりなのだ。
 だから区別される。
 だから必要とされる。
「僕は、地球軍でも無ければ、ましてやザフト軍でもありませんし――友達がいるから、ストライクに乗るだけです」
 だから、どっちにつくとかつかないとか、考えません。
 キラは言い捨てた。
 それは正しい気持ちだった。
 もしサイやカズイがストライクを見つけず、アークエンジェルに乗ることもなければ、きっと自分は、モビルスーツに乗ることを既に放棄していただろう。
 あのとき、イージスに乗ったアスランが自分を呼んだ時点で、何のためらいもなく、彼についていっただろう。
 ――アスラン。
 キラは声にならない悲鳴を上げた。
 どちらも選べなかった。選びようが無かった。
 ただ、時が過ぎてしまったのだ。
 時を重ね、アスランはザフト軍に在籍し、そして中立国で暮らしていたはずの自分は、ストライクに乗って戦っている。
 どうして戦わねば人は進めないのだろう。
 キラはそれを悲しく思った。
「・・・そうか」
 フラガは少し目を細めた。
 ばふ、と後ろ向きにベッドに倒れ込みながら言う。
「まあ、その――何だ、俺は別にそんなのどっちでもいいんだがなぁ。正直なところ」 
 キラよりも重い体は、座っていたキラを少し浮かせた。
 浮きかけたキラの手を、フラガが取る。
「別に何が違うって遺伝子がほんの少し違うだけじゃないか。そんなのは兄弟や親子でも違ってら」 
 酔いが回ってきたのか、フラガは投げやりな口調でいった。
 舌の回り方が少し遅くなってきたような気もする。
 キラはフラガの手を離そうとしたが、酔っ払いの力は強く、離せない。
 仕方が無く、息をついた。
「まったくなぁ・・・なぁにが違うってんだか――」
「・・・大尉には、知り合いのコーディネーターでもいるんですか?」
「知り合い・・・知り合いなぁ・・・」
 語尾を延ばしてフラガは更に目を細めた。
 そして、ククと喉で笑った。
「いるぜ? 知り合い。それも飛びっきりのな」
「・・・飛びっきりの?」
 意味が判らなくて、キラは首を傾げる。
 フラガは口元を軽く上げたまま、言い放った。

「――俺の兄貴さ」

 キラは硬直した。
「・・・え・・・?」
 フラガはそんなキラを可笑しそうに見ている。
「俺様は、こぉんなに面倒見が善いが、実は双子の弟でな」」
「双子・・・」 
「ああ。俺と同じ顔した兄貴がいるんだ。――可笑しいだろ?」
 フラガは笑ったが、キラはちっとも可笑しくなど無かった。
「親父とお袋がしくじりやがってよ。生まれてくる赤ん坊に遺伝子操作したのは善いんだがな――双子ってのを見落としてたらしくてな」
 酔っているのか、段々と口が回らなくなっていく。
「んで。兄貴はコーディネーター。俺はナチュラル。・・・そゆこと」
「・・・・・・」
「おおい、聞いてんのか、坊主?」
 聞いていた。
 ――が、絶句して言葉が出てこなかったのだ。
「その・・・お兄さんも、今回の戦いに?」
「え? ああ、出てるぜ。・・・っつーか、さっき、おれたちが――た・・・・・・」
「え、ちょ、ちょっと、大尉?」  
 フラガはキラの腕を掴んだまま、眠りかけている。
 キラは慌てた。このまま眠ってしまったら、自分は部屋に帰れない。
 慌てて大尉の体を揺さぶる。
「大尉、フラガ大尉ーっ!!ねえ、起きて腕離してくださいってば、大尉――」
 しかし、揺すれど叩けど一向に目覚める気配が無い。
 酒癖が悪ければ、寝癖も悪いようだ。
 参った――とキラは天井を仰いだ。
(さっき、おれたちが――)
 先ほどの戦闘。
 あの中に・・・もしやフラガの兄もいたのだろうか。
 フラガと同じ金髪を揺らして、モビルアーマーを・・・いや、船で戦闘を繰り広げていたのだろうか。
 何も違わない。
 何も違わない、ただ遺伝子だけが、DNAの塩基配列の、そのほんの一部だけが狂ってしまった二人が――
 そしてキラとアスランが。
「大尉・・・」
 戦いは続くのだろうか。キラには判らない。
 いつまで、
 いつまでアスランと刃を交わすのだろうか。
 全て無くなってしまえば善い。
 地球もプラントも、無くなってしまえば善い。
 アスラン。
 いつか、昔のように君と暮らせたら――
「――キラ」
 名前を呼ばれたのと同時に、キラの頭は何らかの力で強くベッドに引き寄せられた。
 何、と不思議を思う間も無く、唇を温かい何かで覆われる。
(・・・え・・・?)
 それは数秒間キラの唇にとどまると、気配だけを残して去っていった。
 去って――初めてキラは、気付いた。
 ・・・これは。
「フ、フラガ大尉・・・っ・・・!?」
「さっきの秘密な。――約束」
 そう言うと、片目だけ開いてみせる。 
 キラは完全に混乱していた。
 何せ、彼女いない歴16年である。
 ふぁーすときす、なのである。
(ええと、そういえば約束にキスを交わす文化なんてのも――)
 一生懸命頭でそんな言い訳を作ってみる。
 ・・・が、そんなものは無い。無いのである。
「さぁ、判ったら寝た寝た。明日はアルテミス上陸だぜ、しっかり体休めとけ」
 ぱふん、とキラの体ごと、自分の寝ているベッドに押し付ける。
 広さはあるので狭くは無い。
 ・・・が、体が触れるのは否めない。
(――仕方ないか)
 キラは諦めて、力を抜いた。
 元々戦闘後の疲れている体だ。すぐに言うことを聞かなくなる。
 目の前には、フラガの逞しい背中がある。そっと触れると、バスローブが湿っていた。
「――大尉」
「何だ」
「その、お兄さん・・・何て名前なんですか」
 どうして突然そんなことを尋ねる気になったのか、キラは自分でも判らなかった。
 だが、バスローブはかすかに揺れた。
 声は聞こえない。
 ・・・眠ってしまったのか、答えたくないのか。
 キラもうとうととしてくる。
 そして七割方夢の中に入った頃、声が聞こえた。
 何か言っていたが、キラにはもうほとんど聞こえなかった。
 ――ただ一言、「ラウ」という言葉だけを、鮮明に聞いた。

 


 アスラン。
 たまには君と、昔のように、眠りたいよ。

 (終)






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