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 戦いは、いつまで経っても戦いのままだと、昔、賢人は言った。

 

 焼け残った街を見ながら、キラはぼんやりと視線を移ろわせていた。
 地球軍は、「明けの砂漠」と共に戦闘後の整理をしているらしい。まだあちこちに砂埃が舞い上がっている。
 それが一瞬キラの視界を阻み、そしてそれが消えると、また街は焼け残ったままの姿を取り戻す。
 ふと、キラの視界に、街の子どもなのだろう、女の子の姿が入った。
 母親に手を引かれ、つまづきながらあるいている。五歳くらいだろうか。
 その子が一瞬キラを見て、そして花が咲くように笑った。
 まだそのくらいの年齢では、キラの着ている戦闘服の意味も、地球軍を示すマークの意味も判らないのだろう。
 ――守ってくれて、ありがとう。
 そんな言葉が、不意にキラの脳裏によぎった。
 小さな女の子だった。
 幼かった。
 その、小さい小さい手の平で折ってくれた、折り紙の花。
 黄色い、どこにでもあるような、誰にでも造れるような、紙の花。
 ・・・守ると約束したのに。
 守ってくれてありがとうと、あの子は笑っていたのに。
「・・・・・・っ・・・」
 キラの喉が引き攣った。
 守れなかった。自分は。何も――守れやしなかった。
 そのことを思うたびに、意識が真っ白になる。
 ――どうして、約束したりしたんだろう。
 こんなに弱い自分が、守れるものなど何も無かったのに。
 ――私を守って。
 ズキンとキラの頭に痛みが走った。
 ・・・守る。
 守らなくちゃいけない。
 僕は。
 だから、
 だからもっと強く、
 強くならなくちゃいけない。
 守らなくちゃ。
 守らなきゃ。
 たとえ自分の命を賭したとしても。
 ・・・守らなきゃ。
 ――――それは一体、誰を?
「・・・おい!」
 キラは、耳元で聞こえた声にハッとした。 
 見ると、すぐ傍まで近寄った少女が、眉を吊り上げて自分を見ている。
 以前オーヴで助けた少女だ。・・・最も、体型さえ判らなければ、少女か少年かも問うほどに強い目つきをしている。
 金色の髪が、さらりと砂漠の風に揺れた。
 キラは少女の名前を呼ぼうとして、初めて少女の名を知らないことに気付いた。――名乗ったのだろうか?
 そうかもしれないが、キラの記憶には無かった。
「――君、」 
「何をぼうっとしている」
「・・・いや、・・・その、」
「地球軍の他の奴等は仕事をしているぞ。お前はしなくて善いのか」
 少女は責めるような視線でキラを見上げた。
 以前にオーヴで会ったことを除けば、会ってまだ数日の少女である。
 だが、その中で少女が笑ったところを、キラは見ていない。――笑わないのだろうか。
 いつもいつも責めるような強い視線を向ける。戸惑いのない視線だ。
 その視線を見ると、自分が悪いことをしているような気分になって、思わずうろたえてしまう。
「・・・あ、――うん・・・ごめん」
 そう言うと、少女の方が一瞬躊躇うような表情をした。
「・・・別に怒っているわけではない」 
「――あ」
「・・・・・・ただ先ほどからずっとどこかを見ているから――気になっただけだ」
 少女はぷいと顔を背けた。
 気に、してくれていたのだろうか。
 そう言えば、地球で初めて出会った時も言っていた。
 あの後、キラがオーヴでどうなってしまったか、ずっと気になっていたと。
 強い視線とは裏腹な、心優しい人なのかもしれない。
 ・・・優しい。
 それでも優しさでは、人は救えないのだ。
「・・・何を考えていた」
「――何も」
「嘘だ」
「・・・どうして?」
 どうしてそう思うのかと問えば、少女はまた視線をゆるがせた。
「・・・・・・何も考えない人間などいない」
 キラは一瞬言葉に詰まる。
「――君は、」
「・・・?」
「君は何を思うの?」
 少女にはキラの真意が判りかねるようだった。
 キラはそれまでずっと逸らしていた視線を、少女に向ける。
 どういう表情をしていたのだろう、その視線に少女は肩をビクリと震わせた。
「・・・人を殺すとき、何を思う?」
 少女の瞳がわずかに見開かれる。
 返事の代わりに、少女の髪がバサリと揺れた。
「・・・・・・殺したくないか」
「当たり前だ」
「・・・ならば何故あんなモビルスーツに乗る?」
「・・・・・・僕が、僕が乗らなきゃ、」
「・・・?」
「僕が乗らなきゃ、――守れないんだ」
 言葉の最後は掠れ、砂漠の砂にかき消される。
 それでも少女は意味を汲み取ったのだろうか、視線がキラへまっすぐに向かった。
「・・・何を守るつもりだ」
「守りたいものを」
「守れると思うか」
「――判らない」
 ヒュウ、と風が鳴く。
「判らないものを、それでもお前は守るのか?」 
 キラは視線を落とした。
「・・・強くなれば、守れるから」
「・・・・・・?」
「僕が強くさえあれば、――守れたものはいっぱいあったから」
 少女は何か言いたそうに口を開いたが、それは言葉を生まないまま消えた。
 ――そうだ、とキラは思う。
 自分が強くさえあれば善かったのだ。
 誰よりも強くあれば善かったのだ。
 守りたいものを誰にも冒されないために、強くあれば善かったのだ。
 ・・・こんなに、弱くなどなければ。
 守れたものは、いっぱいあったのだ。
「――お前は、」
 少女の声が聞こえた。
 風越しに突き刺さるような鋭い視線が、キラの瞳を貫いた。
「・・・お前は何を守ろうとしている?」
 それは、どこまでも優しい声だった。
 しかし、キラはその声に、胸に重い物が落ちてきたような、そんな衝撃を覚えた。
 ――守ろうとするもの。
 守りたいもの。
 自分を取り巻く総てのもの。 
「――何も、守れるものか」
 少女は言う。
「・・・お前には、誰も守れるものか」
 キラは、少女が自分を抱きすくめたことに気付いたが、身動きは出来なかった。
「――守ろうなどとおこがましいことを考えるお前に、誰も守れるものか」
 辛らつな言葉。
 優しい口調。
 キラは、責められているのか慰められているのか判らなくなった。
 ふと、一昨日のフレイが脳裏に浮かんだ。
 フレイは一晩中、キラを抱きしめてくれた。まるで母のような温もりで。
 朝が来るまで――気が遠くなる時間、ずっと抱きしめてくれた。 
 私を守ってと、フレイはそう言った。 
 ――守る。
 ・・・守れるだろうか。
 けれど、フレイは理解してくれたのだ。
 闘う自分のつらさを。
 守れない弱さへの悲しみを。
「・・・お前は判っていない」
 少女の震えるような声に、キラはハッとした。
「強くなるとはどういうことか、判っていない」
 少女はキラにそう言う。 
 キラはカサ付いた唇を開いた。
「・・・だって、強く――強くならなきゃ、」
「お前にとっての強さとは何だ」
 キラは言葉に詰まった。
 強さとは。
 少女は追いかけるように言う。その口調は既に強い。
「守る者のために他者を殺すことだけが、お前の強さか!?」 
 ドン、と強く胸を叩かれた。


 少女の脳裏に、一瞬昔の光景が映ったことを、キラは知らない。
 少女が幼い頃の、オーヴでの生活。
 オーヴの代表者であった父。裕福で平和な暮らし。笑いのある生活。
(カガリ、) 
 父は笑う。
(可愛いカガリ。私はお前が大好きだよ)
 その膝に乗るほどに幼かった自分。
(私はな、カガリ、カガリもカガリの母さんも大好きだ。それからこの国、オーヴもな)
 少女の脳裏によぎるのは、幸せそうに笑む父の姿。
(だから私は強くなるよ。・・・お前たちと、この国を守る為にな)
 少女はワケもわからずに喜ぶ。
 父はその姿に目を細めた。

 ――強くなる。
 その本当の意味を知ったのは、まさに少女の住む星・オーヴが崩壊しようかという時だった。
 少女がその瞬間に垣間見た、"戦いの道具"たち。
 モビルスーツ。
 それは、中立国の代表であるはずの父が容認した、地球軍の新型起動兵器。
 それは他者を殺すための道具。
 それは、
 父が自分たちのために"強くなった"証。
 嘘付き、と気付けば少女は叫んでいた。
 こんなものを作ってまで、守って貰いたかったわけではないのだ。
 ただ父が父であれば善かったのだ。
 ・・・そうだ。

 この少年がこの少年であれば善いと、カガリはそれだけを思うのに。

 

「おい、カガリーっ!」
 遠くで少女を呼ぶ声に、キラと少女はハッと身体を離した。
 岩場の影で見えてはいないだろうが、こんな姿を誰かに見られでもしたら、またあらぬ疑いをかけられるに違いない。
 少女は僅かに頬を染めて、バサリと防砂用のマントを翻した。
「・・・それじゃ、呼んでいるから」
「――ああ、・・・うん」
「さっき言ったことは――気にしないでくれ。・・・じゃあ。」
 軽い足音を残して、すぐに少女の姿は見えなくなった。
 キラは岩場の途中までその姿を目で追うと、その視線をゆっくりと空へ、そして地面へ向けた。
 ・・・守ることは、殺すことだろうか。
 その問いが頭によぎる。
 キラは息をつくと、傍の岩に身体を預けて首元の襟を緩めた。
 そして声をかける。
「――盗み聞きはらしくないですね、少佐」
「あーらら。気付いてたの?」
 身体を預けた岩の後ろから、見慣れた地球軍の上官服を着たフラガが姿を現した。
 気付いていないとでも思っていたのだろうか。
 少女がキラを抱きすくめた時に聞こえた、岩越しの僅かな布ずれの音を。
「不用意ですよ、こんな場所に。連れもなしで」
「そのお連れサンがこんなトコでいちゃついてるんじゃ、俺も暇ってわけよ」
「・・・別にいちゃついてはないですけど」
「へーえ。ふーん。そーお」
 フラガは子どものように口を尖らせて言った。
 キラはその姿に、先ほどとは種類の違うため息をつきつつ、岩から身体を起こす。
 だがその身体は、すぐに再び岩へと押し付けられた。 
 フラガの腕によってである。
「・・・な、何ですか、フラガ大尉――」
「少佐だってば」
「あ、すみません。・・・じゃなく、何ですかコレは」
 コレは、と言いつつ、キラはフラガの手の平を見やった。
 自分の身体と岩との間にキラの身体を囲うように、フラガは身体を少し岩へ預けている。
 顔も近い。あと少しで頬が触れてしまうような、そんな距離だ。
「・・・少佐、」
「守る為に強くなる、か――」
 キラは僅かに目を見開いた。
 フラガの瞳に、彼には滅多に見られない種類の色が混じる。
 自嘲と後悔。それにほんの少しの懐古が溶けたような、揺らぎのない瞳。
「覚えておけ、キラ」
 フラガは口元を上げた。

「幾ら強くなっても、――守れるものなんざ、何も無い」
 
 その唇がゆっくりとキラに近づき、そして触れた。
 そしてその唇が触れる瞬間、フラガが小さく言った呟きを、キラの耳は拾った。
(――だから、本当に守りたいものは、)
 声が響く。鼓膜から心臓へ。そして指先へ。
(こうして自分で、この身体で守るしかないんだよ)
 だから静かに瞳を閉じ、その重みを身体で感じていた。

 砂漠の乾いた風が、その姿を隠すように、砂を舞い上げた。


 (終)






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