冷たい手



 砂がざわりと舞った。
 景色は昼間の土一色のそれから、夜の闇と月が照らし出す白と黒の世界へと変わり、時折風が砂を舞い上げる以外、景色に変化は無い。
 足を踏み出すたびにサクリと音をたてる砂が心地善く、ふと足元に目を落とせば影は驚くほど濃い色をしていた。
 キラは足を止めると、思わず手を口元へやった。
「・・・寒・・・」
 アークエンジェルの均一な温かさに慣れてしまった体に、砂漠の夜の涼しさが沁みる。
 砂漠地帯というのは、水が存在しにくいせいで昼と夜の温度差が激しい。昼の茹だるかと思うほどの暑さとは対照的に、夜はそれなりに冷え込む。
 てっきり砂漠の夜は暑いのだと思い、薄着をして外に出てしまったキラは、意外な寒さに身を抱いた。
 半月に照らされたアークエンジェルを見上げると、ブリッジに見つからないようにそっと岩陰に身を隠す。ブリッジというよりも、誰に見つかることも今は疎ましかった。
 誰にも会いたくない。ただ闘うだけの日々なら、それでもいいと思った。
 朝ストライクの中で目覚め、食事があれば摂り、シャワーを浴びて、またストライクの中で眠る。そんな日がずっと続いている。
 別にストライクの中が居心地善いとか、部屋に居づらいというわけではない。
 部屋のベッドの中に横たわると、今にもコールが鳴り響きそうな気がして眠れないのだ。
 もう――何も傷つけまいと思う。誰も殺させまいと思う。――そしてそう思うたび、確かに何かを喪っていく。
 殺させまいと思えば敵を殺さなくてはならないし、本当に大切なものを守るためには友を敵にしても闘わなければならない。
 守りたいものがあった。
 それを喪った時、気付いたのだ。守りたいと思う、その気持ちだけでは何も守れやしないと。
 闘うということがどういうことかキラには判らない。判らないから闘っている。
 それは勿論キラだけの闘いではない。ナチュラルとコーディネーター、地球軍とザフト軍の闘いだ。
 そしてその間で、キラは微妙な位置にいる。コーディネーターだが、ザフト軍ではない。地球軍に属している。
 もしもその二つを天秤にかけられたら、自分はどうなってしまうのだろうか。
 守るべきものを選べるだろうか。
 闘いなどしたくないのに、しなくては守れず、そして守る為には他者を殺さねばならないという――矛盾。
 誰も殺さずに済むなら、殺したくはない。
 戦争など――始めなくても済むものならば、誰だってしたくはないのだ。
 だがそれは倒れ始めたドミノに似て、その動きを止めることは出来はしない。ただ勢い良く倒れ続けるドミノが描く戦争という名の絵を茫洋と見つめることしか出来ないのである。
 キラには戦争を止めることなど出来ない。出来るとしたらストライクに乗り、敵と闘うことだけである。
 日々誰かを殺す毎日。そしてそんな毎日に順応し始めている自分。
 人が死ぬということが当たり前の世界に、まるでそれが当たり前のことであるかのように馴染んでいく自分の姿。
 いつか、自分もまた死ぬだろう。
 それがいつなのかは判らないが、確かにいつか死ぬだろう。
 そのときも、こんなふうに――とキラは思う。
 こんなふうに、誰もいない世界で、冷たくなっていくのだろうか。
「・・・小さいなァ、お前の手」 
 突然背後から聞こえた声に、キラは驚いて顔を上げた。
 月明かりの下、いつのまにかフラガ少佐が後ろからキラを覗き込んでいる。
 キラは全く人の気配などしなかったことに内心驚きつつ、舌を噛みそうになりながら声を上げた。
「フ、フラガ少佐・・・っ・・・」
「よう。あんまり月が綺麗だとさ、地上も善く見えるんでね。――勿論、人影も。」
 そう言ってフラガはウィンクすると、アークエンジェルを親指で示した。
 おどけたように口元を上げるフラガに、キラはフラガが言っているのが自分のことであることにようやく気付いた。 
 わざわざブリッジからは見えないように外出したつもりだったのに、フラガには気付かれていたらしい。
 そもそも夜の無断外出はあまり喜ばれたことではない。自分を咎めるつもりで声をかけたのだろうと思ったキラは、素直に頭を下げた。
「・・・すみませんでした」
「んあ?――何がだよ?」
「いえ、その、だから・・・・・・無断で外出して」
 そう言うと、フラガはぷっと吹き出し、それから堪え切れない笑いを顔中に滲ませながら、キラの背中をパンパンと叩いた。
「そんな神妙な顔しなくても、別に俺はお前を咎めようと思ったわけじゃないから」
「・・・・・・はあ」
「まあバジルール中尉に見つかりゃ怒られるだろうけどな。こんなに月が綺麗なのに、ベッドに潜り込んでるってのも、何だか勿体ねーしよ」
 そう言うと、フラガは背伸びをした。
 キラは空を見上げた。月が見える。ちょうど半分の大きさになった月だ。
 それを見ていると、ここがオーヴでも宇宙でもなく、地球なのだと実感できる。
 大分昔には、月を眺めて楽しむ風習もあったのだという。
 だが今や月は眺めるものではなくなった。住む場所だ。
 キラも幼い頃、月の半面に住んでいた。だが、そのときのことはもう断片しか見つからないくらいの、遠く霞んだ記憶でしかない。
 いつでも思い出すのは、桜の木の下、自分が作った機械仕掛けの鳥を渡してくれる、優しい顔の幼い少年――
 キラはその少年の顔を、頭の中で振り払った。
「――心配してたぞ」
 フラガの声がキラの思考を遮った。
 顔を上げると、フラガの蒼い瞳がじっとキラを見ている。
「艦長が。・・・・・・どうしたんだろうってさ」
「――ラミアス艦長が・・・?」
「ああ。まァお前を無理やり引き込んじまったことに責任感じてるんだろ。――最近、お前の様子がおかしいから。大分悩んでたみたいだぜ?」
 そう言うと、フラガはふぅと小さく息をついた。
 キラは何かを言おうと口を開いたが、何も言葉は出て来なかった。
 自分の調子がおかしいことくらい、自分が一番よくわかっていた。
 何かがパチンと弾けてしまったように、時々自分でも何が何だかよく判らなくなる。
 守りたいと思う。闘わなければならないと思う。そう思えば思うほどに気が焦って、目の前が真っ白になりそうになる。
 だがそれはラミアスのせいではない。この船に乗り、ストライクに乗る原因が彼女であったとしても、むしろこういう状況を作り出してしまったのは自分なのだという自覚が――少なくともキラにはある。
 弱い、余りにも弱い自分が、・・・・・・愚かにも誰かを守ろうなどと考えてしまった罪か。
 コーディネーターであり、メカニックに関する技術も高いキラは、地球軍の中では『戦力』と見なされる。『強い』人間として認識される。
 確かに戦闘力はある。技術を駆使してOSを書き換えたり、場に応じた操作をすることも出来る。
 だが、決して自分は強くなどないのだ。
 誰もそのことを判ってはくれない。皆、自分を強い者として見る。

 コーディネーターなのだから、強くて当たり前なのだと。だから闘うのが当たり前なのだと。
 弱さすら誰に見せることも出来ずに。

 誰にも弱音を吐けない弱さ。それこそが自分を壊しているような気もする。
 だがキラはそんな自分を止めることは出来ない。
「・・・・・・すみません」
 謝ると、フラガは息をついて岩に体を預けた。
「謝る相手が違うだろ。――それに、謝って欲しいわけでも無いと思うし」
「・・・じゃあ、そう伝えておいて下さい」
「だぁから、そうじゃなくてさ、艦長が言いたいのは――」
 言いかけたフラガは、キラの顔を見てぎょっとしたように目を見開いた。
 キラが今にも泣き出しそうな顔をしていたからだ。
「お、おい坊主――」
「・・・・・・善いなぁ、艦長は」
 キラは俯いてぽつりと言った。
 月明りの影となり、その表情はフラガには判らない。
「・・・善いな・・・、少佐がいて」
 キラはそう言うと、口元に笑みを浮かべた。泣き出しそうな顔に、似合わない笑顔である。
 艦長も苦しんでいるのだろう。あの繊細な体の中で、あるいはキラと同じような痛みを抱えているのかもしれない。
 だが、少なくとも艦長は、その痛みを支えてくれる人がいるのだ。
 それがキラには羨ましかった。
 それを言葉に出すつもりはなかったのだが、いつの間にか言葉になっていた。
 勿論その言葉が上官である艦長やフラガにとって失礼になることは判っていたが、もう出てしまった言葉を引っ込めることも出来なかった。
 フラガは何故か掠れた声で言った。 
「お前だっているじゃないか、・・・ホラ、その――彼女が。だから俺は――」
「フレイは、」 
 キラは遠くを見た。
「フレイの手は、いつだって冷たいんです」
「――手?」
「綺麗な手なんだけど、凄く冷たくて・・・優しいけど、いつも僕を拒絶する」
 するすると言葉が喉から零れ落ちた。
 ずっと判っていたことだった。
 フレイは優しい。
 だが、その手は冷たい。
 私が守ってあげると言いながら、同じ口で囁くように私を守ってとキラを揺さぶる。
 その手の優しさに縋ろうとすれば、冷たさにあっけなく拒絶される。
 いつもキラを見ない。ずっと遠くを見ている。
 判っていたことだった。
 フレイはキラの弱さを知っている。
 全部殺して、と歌うように囁く。
 ――全部殺して。敵を全部。それで私を守って。
 キラにはうすうす判っている。
 
 おそらくは、その「敵」の中に、キラ自身も含まれているのだということを。

 そして彼女は、おそらくその敵を殺す自分のために、自分に添うのだ。
 愛だとか恋だとか、そんなものは存在しない。フレイにはキラが必要なのだ。彼女の父を殺した「敵」を全部排除するために。
 それだけ冷静に考えられるのに、キラはフレイの手を振り解くことは出来ない。
 利用されているのだと気付いても、それをやめることも出来ない。
「僕は――彼女に好かれてるわけじゃありませんから」
 子どもじみた言葉だとキラは自分でも思った。
 フラガはやりきれないような顔をして目を細めている。
 自分がたとえ利用されるだけの存在であったとしても、キラは今の場所をもはや離れることは出来ない。 
 仲間がいるからではない。利用されるのだとしても、そこに自分の存在する理由があるからだ。
「・・・・・・色々――言いたいことはあったんだが」
 フラガは苦笑気味な声を上げた。
「全部気付いてたのか」
「・・・一応は」
「混乱して周りが見えてないのかと思ったぜ、俺は」
「見えたくないものまで見えるんですよ。――僕の眼は」
 利用されていることなど、気付かずにいられたらきっと幸せだっただろう。
 馬鹿みたいに闘って、闘って、そして死んでいけたら幸せだったのかもしれない。
 そう思っていると、フラガが不意にキラの腕を掴んだ。
「・・・・・・少佐?」
「目ぇ閉じてみろ、坊主」
 突然のことに、キラの目が丸くなる。
「・・・え? フラガ少――」
「いいから、俺の言う通りにしてみな」
 何が何だか判らないまま、キラはフラガの手の平にしたがって目を閉じた。冷たい手の平だが、フレイのように綺麗ではない。荒れた手の感触が頬に引っかかる。
 腕を掴んだ手が解け、フラガが自分の後ろに立つのが判る。
 耳元で低く声が聞こえた。
「今、何が聞こえる?」
「・・・・・・少佐の声が」
「もっと何か聞こえるだろう、耳をすませてみろ」
 言われるがままにキラは耳に神経を集中させた。
 何が――聞こえるだろう。
 目を閉じている分、普段よりも耳がよく音を拾うような気がした。
「・・・風の音が」
「他には?」
「砂の――流れる音」
「それから?」
「それから――」
 キラは更に耳をすませた。
 何が聞こえるだろう。
 キャンプの方では人の声がする。『明けの砂漠』の見張りだろうか。
 アークエンジェルの中からは、絶えず物音がしている。交替でブリッジから監視をしているのだろう。
 砂漠の風はごうごうと耳元を掠め、どこかで鳥が鳴いているような気もする。
 それから――
 それから何が聞こえるだろう。
 キラの耳に、何か規則的な音が触れた。
 背中に触れたフラガの、その服越しに、
 とく、とく、とく。
 とく、とく、とく、とく。
 ――これは、

「・・・心臓の音が、聞こえます。」

 生きている。
 ああ、生きているのだ。
 手が冷たくても生きているのだ。
 だからこうして触れることが出来るのだ。
 たとえ手が冷たくても、
 一人ぼっちで死ぬなんてことは、ないのだ。
 ――そう思った途端、不思議とキラの目からぱたぱたと涙が零れ落ちた。
 ぽん、とフラガは手をキラの頭に載せた。
「聞こえるだろう?」
 囁くように、声が優しい。
「目を閉じて聞こえるモンって、結構あるだろう?」
 そう言うと、フラガはキラを自分の方に向かせると、躊躇なく抱き寄せた。
 力を込めて抱きしめられるように、強く加えられる力。
 零れた涙が判らないように顔を埋めたまま、キラは口を開いた。
「・・・・・・一人で、」
「・・・ん?」
「一人で死ぬんだと思いました」
 フラガの声が低くなる。
「――坊主、」
「一人で、誰もいないところで、こうして冷たくなっていくのかなぁって」
「・・・・・・」
「だから一人でいたくなくて、だから、」
 たとえ利用されていても、必要とされていたかったのだ。
 オーヴに居た頃は、こんなことを考えたことなどなかった。
 ストライクに乗り、敵と戦い――生よりも死に近づいた生活を送り始めるようになって、ぼんやりと意識し始めたことだ。
 だからキラは、守らなくてはならない。自分を必要としてくれる人間が生きる場所を。
 自分の生きる場所を。
 それが愚かな想いだとは判っているけれど。
「馬鹿だな、・・・お前」
「な――ッ・・・」
「お前がいなくちゃどうにもならない人間も居るってのに・・・」
 フラガの、キラを引き寄せる力が強くなる。
 キラは一瞬顔を強張らせたが、すぐに布地越しに温もりを感じ、ほっとしたようにその強張りを解いた。
「俺はお前があの女の子と居て幸せなんだと思ってたが――」
「・・・少佐、」
「――まったくお前はどこにいても泣き虫なんだな」
 フラガは苦笑したように息を吐くと、震えるキラの頭を引き寄せた。
「・・・少佐・・・?」
「目に見えるものを信じるのは素直で善いことだが――たまには目に見えないものを考えてみろ」
「・・・・・・・・・?」
「目を閉じたら色々と判るのさ。――色々とな」
 そう言ってフラガはウィンクすると、キラの体をそっと離した。
 ずっとフラガに寄りかかっていたキラの体は上手くバランスが取れず、それを支えるためにフラガが手を差し出した。
「・・・っと、大丈夫か? 本当にお前はいつもフラフラしてんだから――」 
「す、すみません」
「ホラしっかり立てよ。・・・何だお前、手がこんなに冷えてるじゃねーか」
 そう言って、フラガがキラの手の平を包む。
「冷たい・・・手ですね」 
「ああ?」
「少佐の手の方が、ずっと冷たいじゃないですか」
 そう言うと、フラガは「そうかぁ?」とキラの手を離そうとした。
 だが、その手は離れなかった。
 それがキラがフラガの手を握っているせいだということに気付いて、フラガは一瞬目を丸くする。
「――冷たくて善かった」
 キラの喉から掠れた声が零れた。
「少佐の手が、僕より冷たくて善かった」
 キラはその手を抱き寄せるように体で包んだ。
 フラガは身動きも出来ず、キラを見ている。
「僕は、あなたの手を温めることが出来る」
 キラはフラガの胸に、額を当てた。
「・・・・・・少佐、」
「・・・ん?」
「目に見えないものを、目を開けたままで考えてください」
 そう言うと、キラはじっとフラガを見上げた。
「僕が今、何を考えているのか、――当ててください」

 月明かりの下、フラガはキラを引き寄せた。
 そしてその影が触れる。
 それはゆっくりと絡みながら、やがて一つになり、砂はその濃い影を残して風に流されていった。


 (終)






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