アシンメトリー



 バランスの取れた恋愛など、存在しない。
 昔の哲学者はそう吐き捨てた。

 

 

 

「・・・今、何時ですか」
 起き上がったキラは、軽く頭を押さえながら尋ねた。
 フラガは吸っていた煙草を指に取り、ベッドサイドに取り付けられた時計に目を細める。
「午前二時半。・・・交替の時間まではまだあるだろう?」
「ええ。――でも兵舎に戻らないと」
 そう言うと、キラはむくりと起き上がり、先ほどフラガの手によって脱がされ、放り出された制服を引き寄せる。
 フラガは煙草を再び咥えると、うつ伏せになって、近くの灰皿で軽く煙草の灰を落とした。
 本来煙草や酒は禁制であるはずの士官室に、煙草の煙がゆらりと上がる。
「寝煙草は危ないですよ」 
「お前のハダカほどじゃない」
「全く――何言ってるんですか」
 キラは溜息を付くと、軍服の上着を羽織り、きっちりと襟元までファスナーを留める。
 そうしなくては、先ほどの情交の痕が、胸元からはっきりと見えてしまうからだ。
 痕を残すことをキラは嫌がるのだが、だからこそフラガはわざと毎回痕を残すのだ。
 まるで嫌がらせのように。
「もう行くのか?」
「ええ。・・・この間、サイに聞かれちゃって。『毎晩何処に行ってるのか』って。――気付かれてるみたいです」
「――俺とお前のことも?」
 そう尋ねると、キラは自嘲のような蔑みのような、冷たい表情を浮かべて笑った。
「そんなヘマはしませんよ。僕がストライクの整備に精を上げてると思ってるんでしょう」
 その表情に、ズキリとフラガの心が痛む。
 そういうことが聞きたかったわけではないのだが、自分の心情をありのままに言うには、フラガのプライドは高すぎた。
 だから、「へえ、そう」と同じく笑みを浮かべてキラを見上げる。
 すっかり身支度を整えてしまったキラは、少し窮屈そうに首元に手をやり、心持ちでも緩めようとする仕草を見せた。
 フラガは煙草を咥えたまま、
「・・・襟、もーちょいくつろげたら?」
「そう出来ないのは誰のせいだと思ってるんですか」
「あー、そうか。・・・俺か」
 白々しく呟いて、フラガはキラの溜息を誘った。先ほど見た冷たい笑みよりも、ずっとそっちの方が善いと思ったからだ。
「残さないで下さいって毎回言ってるのに」
「生憎俺は天邪鬼でね」
「・・・困りますよ。これって『所有の証』なんでしょう?」 
 どこで仕入れたのか、そんな言葉を口にする。
「見られなきゃ善いじゃないか」
「シャワー浴びるのにも気を使う僕の身にもなってください」
「じゃあ俺の部屋でシャワー使えば善い」
「・・・そういう問題でも無いんですよ」
 行為で普段より睡眠時間が半分ほどになっているにも関わらず、キラには眠そうな表情の欠片もない。
 行為の間は思わず目を疑う程に自分に甘え、縋ってくるその姿は、行為の終了と共にそっけなくなる。
 それが彼の望む彼の位置なのだと思い、フラガ自身もそんなキラに別段何を言ったりもしない。
 表向きは先輩パイロットと後輩パイロット。
 そうであるはずのフラガとキラがこうして肉体関係を結ぶようになったのは、実はそう最近のことでもない。
 きっかけが何であったか、フラガはもう忘れてしまったが、今までの行為のどれもフラガから持ちかけたものだ。
 キラがせがんだことはない。そしてそれこそが彼の位置だと思っている。
「――じゃあ、どういう問題?」 
 面白がって尋ねると、キラはふうと息をついて目を細めた。
 乱れたままの髪は情交の色が濃厚に残っているのに、その目だけはやけに冷たい。
「・・・僕は大尉の所有物じゃありませんから」
 そんなこと当たり前でしょう、と言いたそうな口調でそうキラは言い捨てた。
 フラガは一瞬煙草のフィルターを強く噛み、それを悟られないようにキラから視線を外した。
 勿論自分達がそういう関係でないことは判っているし、そういう関係になってはいけないことも判っている。
 キラはそうなることを望んではいないだろうし、だからこそ今の自分達の関係があるのだから。
 精神的なものは何も無い。一時の快楽と、熱と、そのときにだけ交わされる戯言。
 一度その熱を知ってしまうと、熱が去った後の異様な程の冷たさを感じるようになる。
 どんなにこの手でその体を抱いても、その心は決して自分のものにはならないのだと。
 そう言い示されているようで、胸に言い様のない冷たさが広がっていくのが自身でも判った。
 フラガは、自分でも意地が悪いと思いつつ、煙草の灰を落しながら尋ねた。
「・・・なァ、『アスラン』って誰だ?」
 その言葉に、目に見て判るほどにキラが動揺する。
「お前、イク時に時々叫んでるだろ」
「――叫んでません」
「嘘だね。だって俺聞いたぜ?」
「・・・何かの間違いでしょう」
 キラの、あくまで冷静でいようとする姿勢が気に食わなくて、フラガは片目を細めた。
 達する時、というのは自分の嘘だ。だが時折キラが寝起きの時、フラガを間違えて何度かそう呼んだ。
 キラは以前にも無防備に誰かに寝顔を晒していたのだろうか。
 フラガは煙草を手に取り、手を伸ばして灰皿で揉み消した。
 そしてその灰皿ごと、苛付いたようにダストシュートに放り投げる。
 煙草と灰は吸い込まれてダストシュートの向こうへと消えたが、陶器の灰皿だけは、放り投げたのと同じ速度でダストシュートの縁にぶつかり、激しく音を立てて割れた。
「・・・・・・俺は、そいつの身代わりか?」
 低く這うような声が、フラガの口から零れた。
 キラは何も答えず、ただ視線をフラガから外す。
 フラガがうつ伏せになって新しい煙草を取るのを何かの合図のように、
「・・・失礼します。お休みなさい」
 キラはフラガの問いかけには答えず、あくまで礼儀正しい言葉を残して士官室を出て行った。
 後にはフラガと、新しい煙草の煙だけが残る。
 シュイン、という扉の閉まる聞きなれた音に、フラガは仰向けになって煙草を咥えたまま、口元を小さく歪めた。
 畜生、と誰にも聞こえないくらいの声で天井に向かって言い捨てる。
 ――初めは、体を重ねて熱を交換する、それだけで善かった。
 それが回数を重ね、関係が深まるにつれて、自分だけが毎回熱くなっていることにフラガは気付いた。
 キラはすぐに遠い目をする。一番近くで熱を交し合っているはずの自分ではなく、まるでずっと離れたところにいる恋人を想うような目をする。
 その目を見るたびに、自分の中でチリチリと焦がれるような戸惑いが広がっていくのが判った。
 いつも誘うのは自分だ。
 だが、その自分がいつの間にか、体を重ねることを最早単なる性欲の処理と片付けられなくなってしまった。
 一回りも年下の少年に、――不用意にも囚われてしまった。
 キスマークを残しても、強く抱いても、どれだけその体をこの腕に捕らえても、決してキラは自分のものにはならないと、そんなことなど判っているのに。
 心が無理ならば体だけでもと馬鹿なことを考え、今夜も結局誘ってしまった。
 どこまで――自分を誤魔化していられるだろうか。
 そしてそのことにキラはどこまで気付いているのだろうか。
 もしかして総てを見通した上で、自分に抱かれるのだろうか。
 キラは素直に見える。だが、その実自分の考えを明かそうとしない。すぐに隠したがる。一見大人しく見えるのは、他の子どものように自分の意見を思った通りに述べないからだ。
 フラガにとっては、そういうキラが愛しくもあり、じれったくもあるのだった。
 自分のことをどう思っているかなど、――聞く必要も無かった。
 聞けばキラは、真面目な顔をして、襟首まできっちりと止めた軍服を着て、こういうだろう。
 先輩パイロットとして、尊敬しています、と――。
 だから聞いても無駄だ。詮索も意味が無い。どんなに手を尽くしても、その真意に近付くことは出来ない。
 フラガは短くなり始めた二本目の煙草を指に取り、新しい灰皿で強く揉み消して、まだ強く煙草の匂いが残る手を目の上に当てた。
 結局、どうしようもないのだ。どうしたって、彼を手に入れることは出来ないのだ。
 だがそれでも、
「――好きなんだ。」
 途方もない告白がフラガの唇から零れ、それはただ天井に吸い込まれるように消えていく。
 フラガは自嘲するように低く笑い、その声に反応するかのように、消した煙草の煙がゆっくりと左右に揺らいだ。


 (終)






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