そしてひそやかな口付けを。



 シュインと音を立てて扉が開いたかと思うと、既に部屋の中に馴染んでしまった小さな姿が寝台に腰掛けているのが目に見えた。
 確かに休みを取れと言ったのは自分だが、もう数週間も前に彼には士官室が与えられている。それなのにふとすると彼はフラガの部屋までやってきて、使われていない寝台で眠りを取る。
 別に都合が悪いわけではないし、彼に士官室が与えられる前から部屋には自由に出入りしていいといっていたのだが、どうして今でさえも自分の部屋で寝ないのか、その理由を聞くことも出来ずに先日からフラガは妙なじれったさを抱いているのだ。
 フラガは目立つ金色の髪をがしがしと掻きながらわざと足音を立てて部屋に入った。
 すぐに気配を感じたキラは頭を上げた。
「交代ですか?」
「いや、休憩時間。今ンとこ敵の姿も見えないみたいだしな。交代まではまだあるぜ」
「・・・そうですか」
「寝ててもいいぞ、起こしてやるから」
 フラガはそう言ったが、キラはゆるゆると頭を横に振った。
 目にはうっすらと隈が浮かんでいるのが見えた。
 大きな瞳には余りにも似合わないそれに、フラガは僅かに顔をしかめた後、つかつかとキラの傍に歩み寄ると顎を上げさせた。
「酷い顔色だぞ、お前」
「・・・・・・そうですか」
「そうですかじゃないよ。昨日は何時間寝たんだ?」
「忘れました。・・・そんなの」
 フラガが顎を上げさせた手を離すと、キラは頭をぐらりと傾かせた後、フラガに額を預けた。
 しかしキラはすぐにハッとした表情になった。
「ご、ごめんなさい! ちょっと・・・うとうとしてて」
「いや、別に構わんさ。そんなに眠いんなら寝とけよ。心配しなくても寝坊させたりはしないから」
「眠くは無いんですけど――何だか頭がぼうっとして・・・」
「睡眠不足だろ、そりゃ。ハイ寝た寝た。そんな状態でストライクを操縦できると思ってんのか?」
 そう言いつつ、自分も同じ寝台に腰掛け、キラの体を寝かしつけてやる。
 キラは嫌がって抵抗していたが、最後は諦めたように寝台に横になり目を細めた。
「強引だと――言われません?」
「よく言われるな。お前ほどじゃないけど」
 心外だと言わんばかりにキラは瞬いた。
「僕のどこが」
「全部だよ。大体眠いんなら寝りゃいいのによ。――どうして寝ないんだ?」
「眠いわけじゃ――ないですから」
 よく言うぜ、とフラガは息をついた。
「目は真っ赤、隈まで作って、それで眠くないって?」
「眠いわけじゃないんです・・・ってば・・・ただ・・・・・・頭が・・・ぼうっ・・・と・・・」 
 キラの声が途切れ途切れになっていく。
 さっさと寝ろ、と言いかけたフラガは、続くキラの言葉に口を噤んだ。
「眠いんだけど・・・・・・目を・・・閉じると・・・何か・・・色々思い出して・・・・・・」
 敬語は既に守られていない。 
 意識すら朦朧としているのだろうか、揺れた紫の目ははっきりとはフラガを捕らえていない。
 それが判っていて、フラガは声を低めると尋ねた。
「思い出すって――何を?」
「戦艦とかモビルアーマーとか・・・ポッドとか、」
 キラの口調がたどたどしくなる。
「・・・ばくはつして、こわれる・・・こわれたときの・・・こととか・・・」
 フラガの唇からはどんな言葉も出てこなかった。
 キラが脆い少年であるということは薄々わかっていた。気丈な振りをしてみせても、時折滲み出る不安や苛立ちは隠しようもなかったし、恐らくはフラガや艦長が心配する以上の重圧が科せられていることも、キラ自身気付いていたのだろう。
 自分がストライクに乗らなければアークエンジェルを守れないというプレッシャー。
 ストライクに乗って闘ってさえなお守れないものがあるというジレンマ。
 戦争は1+1=2のようにはっきりとした数式で表すことは出来ない。
 どんなに緻密な戦略を立てても敵一体落せないこともあれば、自分以外の味方が総て全滅してしまい、途方に暮れることもある。
 フラガは何度もそういう戦局に陥った。目の前で後輩が何度も死んだ。それでも自分は生き残った。生き残って、戦った。
 守ることなど出来なかった。いつだって自分のことで精一杯で。死ぬなよ、と声をかけることしか出来なかった。
 誰だってそうだ。守ることより生き残ることを。誰だって考える。
 それでも――とフラガは思う。自分はキラに言ったのだ。守れる力があるなら出来ることをしろと。
 我ながら卑怯な人間だと思う。そう言えばこの少年がどんな判断をするか、判っていて言葉を紡いだのだ。
 キラの葛藤など気付かぬ振りをして無責任な言葉だけを投げつける。それがどんな影響を及ぼすか知っていてそうするのだ。
 フラガにとってそれが自分の役目であると思っているし、自分の立場であると思っている。
 ラミアスを見て羨ましくも思う。あれほど感情を露にする女性は珍しい。
 バジルールを見てはその位置に憧れる。いっそあれほど割り切ってやれるものならどれだけやりやすかったことか。
 だが自分は艦長のように温かな言葉を掛けるべきではないし、副長のようにつっけんどんに接するべきでもない。
 あくまで第三者としてキラと向きあわなくてはならないのだ。
 そこに感情が移入してはならない。
 それはおそらく――それがキラだからなのだろうということにぼんやりとだがフラガは気付いている。
 気付いているが認めたくは無い。認めてしまえば自分は第三者としてキラの傍にはいられなくなる。
 コーディネーターだからだとか幼い少年だからだとかいう理由では無い。キラだから、なのだ。
 キラだから感情を移入してはならないし、キラだから彼の一言一動が気になる。こんな苛付くようなじりじりとするような感覚を覚えたのは久しぶりだった。
 それがいつからなのかフラガはもう覚えていないし、それを思い出すこともこの先きっと無いだろう。
 そしてきっとキラに自分の心を打ち明けることも無いのだろう、と思う。
 自分は勝手で無責任で不謹慎な先輩パイロット。それで十分だ。
 こうして部屋に入れて言葉を掛けるのは、ただ単にフラガ自身の言った無責任な焚き付けの言葉に対する責任――それだけなのだと。
 そう言い聞かせながら半ば眠りかけた少年の髪を梳いてやる。
 眠るときに、戦艦が壊れたときのことを思い出すのだという。
 あの紅い髪の少女――名前を何と言ったかフラガは忘れてしまったが、彼女がキラの眠りを妨げる原因の一つであることは確かだった。
 少女の父親が死んだのはキラの責任では無い。けれどそれでも死者は戻らないのだ。
 だから、その重圧こそがキラに眠らせないのだろう。守らなければならないと。彼女の父親のような犠牲者を出してはならないと。
 それをフラガは苦々しく思った。戦わない者には戦う者のつらさは判らない。守れない悔しさも。
 それなのに無責任に残った者は言う。どうして守ってくれなかったのかと。どうして守らなかったのかと。それが怒りに任せた感情であったとしても、戦う者は深く傷つく。
 堂堂巡りだ。どうしようもないのだ。戦争というものは。
 それが終わらない限り、きっとキラに安らかな睡眠というものは与えられないだろう。
 それでも――とフラガは思う。
 こうして髪を梳いてやるとくすぐったそうな顔をして、キラは大人しく眠る。この瞬間だけでも、彼に眠りを与えられるならば。
 そしてそれが自分だけであれば善いのにと思い、あまりの独占心ぶりに苦笑した。自分はこんな人間だっただろうか。
 ふと思いついてフラガは言葉を口にした。
「なぁ、俺が死んだらどうする?」
 眠っているらしいキラは、何も口にしない。
 すうすうと規則的な寝息が唇から漏れている。
 聞こえていないと判っていて、ふざけて問い掛けてみたのだが、意外なことにキラから返事があった。
 幾分ぼんやりとした口調ではあったけれど。
「・・・どうして、ぼくに・・・聞く・・・んです?」
 フラガはキラが起きていたことに少々驚きながら、
「お前が俺の一番傍にいるだろう? 戦ってるときは」
「・・・・・・」
「・・・泣いたりする?」
 そう尋ねてみると、キラは数度視線を彷徨わせて、それから、
「・・・・・・泣きませんよ」
 と言った。
「ありゃりゃ。つれないのね」
「別に。・・・もう、こどもじゃないん・・・で・・・すから・・・」
 それだけを言うと、キラはまた眠りの中に意識を溶かしていったようだった。
 フラガは溜息を一つつくと、戦うには細すぎる体の上に、毛布をそっともう一枚かけてやった。

 

 

 

 

 

 


 くるくると巻いた包帯を最後にきっちりとフラガの腕に留めると、キラはすっと顔を背けて立ち上がった。
 辺りには僅かに消毒液の匂いが漂っている。
 担当の医者は今は就寝中らしく、医務室はガランとしている。
 ガチャガチャとキラは救急箱の中へ包帯とテープを片付け、冷却用のパックの余りをしまった。
 フラガのじっと見る視線に気付いているのかいないのか、キラは淡々と治療を終えて片付けを始めている。
 フラガは既に謝るタイミングを逃して視線だけを送っている。
 キラが口を開いた。
「――戦う時は」
 フラガの眉がぴくりと上がる。
「戦う時は周りをよく見ろって貴方が言ったんでしょう?」
 キラは一度もフラガに目をやることもなく、ただ言葉だけをフラガに向ける。
 言葉は落ち着いていて冷静だが、その裏には怒りの感情が見え隠れしているのがフラガにも判った。
「怒ってんのか?」
「そりゃ怒りたくもなりますよ。相手に突っ込んで行った挙句に右翼を攻撃されて海に飛び込みかけてた貴方の姿を見ればね」
 それもそうか、とフラガは悪気のない口調でつぶやく。
 実際、悪気があったわけではない。ただ海からの攻撃に手間取っただけだ。空中戦ではそれなりに自信もあるが、空と海との両方からの戦いというのはフラガにも未経験だ。
 だからこそ慎重に行けと言った自分だからこそ、キラもこれだけ怒っているのだろう。
 さらにたかが一体のモビルアーマーに右の翼を攻撃され、オーバーヒートした機体に右腕を灼かれてしまったのだから。
 火傷自体は大したことはなかったのだが、右袖を真っ黒に焦がした自分がスカイグラスパーから出てきた時のキラの表情といったら、世界が真っ二つにでも割れてしまったかのような悲愴な表情だったものだから、フラガは傷の痛みを覚えるよりもキラを宥めるので一生懸命になってしまった。
 結果、大事ではないと判ったキラに念のためと医務室に連れてこられるまで、なされるがままだったというわけなのだ。
「悪かったよ。油断してたんだって」
「油断するなっていつも言ってませんでしたっけ?」
「ホラ、よく言うだろ? 猿も木から落ちるって」
「猿が木から落ちるのと少佐が海に落ちるのとはわけが違うんです」
 つっけんどんなキラの態度をどうにかしようとフラガはできるだけ下手に出てみるが、全く効果は無い。
 ふう、と派手な溜息をついてみると、キラは苛立ったような声を上げた。
「あんな――モビルアーマー一体ごときにやられないで下さいよ、・・・頼みますから」
「そんな、頼まれてもなァ・・・」
「マジメに考えて下さいッ!!」
 キラの甲高い声が飛んで、フラガはハッと口を噤んだ。
 背を向けているため表情は見えないけれど、細い背中が小刻みに震えているのが判ったからだ。
「貴方が死んだら――僕はひとりなんです」
 ひとり、とキラは言う。
 友人その他を含めずにフラガだけを指して。
 それが一体どういう人数の数え方をしているのか、うっすらとだがフラガには判った。
 自分が死んだら、戦う者はキラだけになる。
 今まで辛うじてフラガが背負ってきた重みもプレッシャーも、総てキラの肩に背負わせることになるのだ。
 そういう意味でキラが言っているのは判ったのだが、フラガは不謹慎にもその言葉がまるで、
「まるで俺が居なきゃ駄目みたいじゃないか、お前」
 怒号が飛ぶと思ってからかい半分で言ったのだが、キラの唇から大声は飛んでこなかった。
 その代わり一瞬ふるりと肩が震え、それを押さえるように自分の両腕で体を掴んだかと思うと
「実際――そうですからね」
 と低い声で言葉が返ってきた。
 フラガは予想外の反応に戸惑いながら、決まり悪げにがしがしと頭を掻いた。
 そして右手の包帯に目をやり、
「なぁ、俺が死んだらどうする?」
 と尋ねた。
 キラの肩がまた一つひくりと動いたのが視界の端に映る。
「・・・どうして僕に聞くんですか」
 包帯からは微かに消毒液の匂いがした。
「お前が俺の一番傍にいるだろう? 戦ってるときは」
「・・・・・・」
 泣いたりする?と。
 尋ねようとしたフラガはキラの肩が大きく揺れているのを見て、息をついて立ち上がった。
 そして動かないキラの体を反転して自分の方を向かせると、そのまま胸に押し付けた。
 ひくひくとキラは胸を震わせて、フラガの服を濡らしていく。
「――バカ、冗談だよ」
 その茶色の頭を撫でながら、フラガはそっとその髪に口付けを落とした。
 誰にも判らないくらいに、ひそやかに。


 (終)






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