Flavor Kiss



 最初のキスは、煙草の味がした。

 
「――おい」
 フラガの声に、キラはハッとして意識を引き戻した。
 ひやりとしたシーツの感覚が背を這う。
 部屋には大分濃くなった煙草の煙が漂っていて、その濃度で自分がどれだけ意識を飛ばしていたかが判った。
 元々一人用の寝台の上に男二人寝るのはやはり狭く、キラはフラガの胸に抱かれた形になっている。
 不審そうなフラガの視線に目をやった。ぎこちなく頬が引きつってしまう。
「何考えてんだ?」
「・・・・・・何も」
「な、感じじゃないだろ」
「本当に何でも無い――です」
 声が掠れているのは、先ほどの行為のせいだろうか。それとも動揺のためだろうか。
 キラは咳払いをする振りをして額に浮かんだ汗を拭い、さりげなくフラガに背を向けた。
 勿論そんな仕草に気付かないフラガではなく、今度は背中から抱くようにキラの体に腕を回す。
 すると先ほどまで自分の中に入っていたフラガのソノ部分が一瞬腰の辺りに触れ、キラはびくっとした。
「寝煙草はやめた方が善いんじゃないですか?」
「あん? 大丈夫だろ、別に。ホラ、携帯灰皿は常備してるし?」
「・・・そういう問題でも無い気がしますが」
 キラはフラガと目を合わせなくて善いことにホッとしながら、それでもともすればどもりそうになる口調に気を付けた。
 フラガはキラを背後から抱いたまま、よいしょ、と手を伸ばして灰皿でじりじりと煙草を消した。
 ふわ、と煙草の強い匂いがする。
 何と言う銘柄か知らないけれど、その煙草の匂いは少佐に似合っている、とキラは思った。
 煙草の匂いはホッとする。初めは慣れずに何度か咽てしまったが、慣れてしまえばその人がそこにいるという証になるような気がして、心なしか安心するのだ。
 それに煙草には硝煙の、あの独特の匂いが無い。それは今この場所は戦場ではないのだということを表しているようで落ち着く。
 勿論、それはフラガの吸う煙草に限るのだけれど。
 そんなことを考えていると、ぐい、と背後から体を寄せられてキラは体を震わせた。
「俺に抱かれてる時に別のこと考えるなんて善い度胸してるじゃないの」
「だから考えてませんってば」
「じゃあ何でぼうっとしてたんだ」
 フラガは顔をキラの頭に埋めると、何度も軽く口付けた。
 するりとキラの喉から言葉が出る。
「煙草の、」
「・・・?」
「煙草の匂いがするなぁって――」
 そう言うと、フラガは目を丸くして、それからゆっくりと笑みを刻んだ。
「・・・煙草の匂いは嫌か?」
「別に。もう慣れましたよ」
「お前も吸ってみる?」
「やめておきます。体に悪そうですし」
「ハハ。つれないねえ」
 フラガは笑ってキラの髪にまた一つ口付けると、不意に声のトーンを落として言った。
「――硝煙の匂いと違うから?」
 ビク、とキラは肩を震わせた。
 見上げれば、フラガはそれまでとは違う真面目な表情でキラを見ている。
「だから、煙草の匂いが気になるんだろう?」
 キラは違うと反論しようとして、ぐっと言葉に詰まった。
 そしてそのまま所在無さげに開いてしまった口を閉じると、一つ大きな息をついた。
 フラガは柔らかい視線でキラを見る。
 キラは観念したように口を開いた。
「・・・・・・不思議なんですよね。僕はコックピットの中にいるんですけど」
 宇宙空間の中でも闘えるように、外の世界とは全く遮断された空間。
 大気圏突入の時のように、たとえ人間が耐えられないような気温や気圧に晒されても、ストライクを動かすことが出来る。
 勿論隙間などなく、コックピットの外の空気が中に流れ込んでくるということもありえない。
 ――そのはずなのに。
「闘ってると、・・・土埃の匂いだとか金属が焼ける匂いだとか、――血の匂いだとかが鼻につくような気がして」
 バクゥが走る。
 そのボディにアグニを打ち込む。
 閃光が炸裂する。
 ――バクゥ『だった』破片が、空へ舞う。
 その瞬間、嗅げるはずもない血の匂いが一瞬キラの鼻を掠めるのだ。
 宇宙空間では、それでも無味無臭だったような気がする。宇宙という無重力で空気の無い空間そのものがそうさせていたのかもしれないし、相手にするのはモビルスーツやモビルアーマーであり、人間と闘っている感覚が薄かったせいかもしれない。
 だが地球は違う。重力がある。空気もある。爆発は震動となってストライクにも伝わる。
 ああ、自分は人を殺したのだと。
 そう思うと――眩暈がした。
 綺麗な部屋の綺麗なシーツに包まることに嫌悪感を覚えた。
 まっさらなシーツは、自分が包まれば汚れてしまうような気がした。
「・・・この部屋は、煙草の匂いがしますから。」
 だから、落ち着くのだと。
 そう言うと、言葉足らずではあったがフラガには伝わったようだった。
 ぐ、とキラを抱き寄せる腕に力が篭る。
「この部屋には俺の匂いが染みついちまってるからなァ」
「確かに、シーツまで煙草の匂いがしますからね」
「仕方ないだろ、他に煙草吸えるところが無いんだから」
 フラガは拗ねた子どものような声でそう言った。
 キラはその声に小さく笑うと、
「この部屋は、少佐の匂いしかしませんから」
 それがフラガに染み付いた戦争の匂いであったとしても、フラガのものだから大丈夫なのだと。
 キラは口には出さずに心の中でそう思った。
 ストライクを操縦し、そして敵を倒し――敵を殺し。
 それが間違っていることかもしれないと知りつつも、否定することが出来ないでいる自分。
 キラは知らず知らず、頬を包むフラガの手に身を寄せた。
「――だから、安心するんです」
 その手は強い煙草の匂いがした。

 

 フラガは自分に身を寄せて目を閉じた少年の頬に、そっと口付けを落とした。
 もう静かな寝息が聞こえはじめている。口付けにも気付かないくらいなのだから、すっかり眠ってしまったようだ。
 誰よりも穢れることに怯え、誰よりも強くならなければならない少年。 
 その少年の肩の細さにフラガは苦笑して、シーツを引き上げてやった。
 煙草の匂いが落ち着くのだという。不思議だと思う。よほど嗅ぎ慣れないはずの匂いを。
 だが今こうして自分の腕の中で眠っている少年は、目覚めれば今の甘さなど忘れてしまったかのように凛とした紫の目を開くだろう。
 まるで自分など忘れてしまったかのように、毅然と振舞うだろう。
 その姿にこそフラガは強く惹かれるのだが、それは同時に胸の苦しくなる想いでもある。
 いつかは――きっといつかは、キラは自分の腕の中から抜け出し、誰か別の人間の腕の中が心地よいと思うようになるのだろう。
 そして先ほど垣間見せた無防備な表情を、他の誰かに晒すのだろう。
 それは――信じられないくらいにフラガの胸を締め付ける想像だ。
 フラガは静かにキラの片手を取った。
 自分の手のひらよりも小さいそれを手に取り、神妙な仕草で口付けた。
「煙草の匂いが届かない場所に、お前を離しはしないさ」
 
 その口付けには、僅かに煙草の味が残っていた。


 (終)






BACK