LOVEGAME



「大尉ーっ!!」
 遠くから自分を呼ぶ声に、フラガはぴくりと片眉を上げた。
 鼻につく独特の印刷臭が顔に被せたままの雑誌のものだと判り、そこでようやく自分がうたたねをしていたことに気付く。
 マードックだろうか、ドスのきいた低い声が段々と近付いてきて、溜息と共にバサッと雑誌を取り上げられた。
 途端、眩しいほどの光が瞼を通して目の中に流れ込んできて、用があって自分を探していたのだろう部下に対して、割の合わない悪態が口をついた。
「ったく眩しいなァ・・・、何だよ一体」
「何だよじゃねーですぜ。まったく、いないと思ったらこんなトコで寝てたんですかい」
「寝てたんじゃないよ、この間の始末書を書いてたの」
 と言って、すっかり忘れさられたように机の上に置かれた一枚の紙をぺらぺらと示す。
 勿論、白紙のままだ。
 マードックはそれをジト目で眺めると、もうひとつ溜息をついた。
「この間の始末書って、アレは大尉が悪いんでしょう。そりゃあ第七艦隊の大事な会議サボって街の女のトコにフケこんでたんじゃあさ」
「大事な会議って言うけどね、要は上層部の辻褄合わせの会合じゃねーか。そんなの出ても俺がマジメに聞くと思う?」
「そりゃあ思いませんけど」
「どうせ昼寝するんなら硬い机の上より、柔らかい女の体の上がいいぜ、俺は」
 フラガはきっぱりと言い切ると、背伸びをした。
 マードックはそんな上官を諦め顔で見つめ、何とか溜息を堪えた。
 この上官がどれだけ無鉄砲で破天荒で、規律も規則も何の意味も成さない人間かということをマードックはもう身にしみて知っている。
 何せこの第七艦隊に所属する女性官のうち、八割近くはフラガと寝た経験があるという噂もあるくらいなのだから、女性関係がどれだけ乱れているか、それはマードックが改めて認識することでもない。
 そのくせフラガに恋人が出来たという話は聞かない。
 聞けば、一人に限定するのは嫌なのだと言う。根っからの遊び人なのだ。
 そんなふうにどれだけ破天荒な人間であっても除隊されることがないのは、やはりそれだけの功績を持っているからであり、それは先日のグリィマルディ戦線においての戦績を持ってしても証明されている。
 フラガのモビルアーマーパイロットとしての能力はこの第七艦隊の誰にも引けは取らない。だからこそ二十八歳という若さで大尉という軍位まで手に入れたのだが。
 それでも逆を正せば、それだけの能力を持っているにも関わらず大尉より上の軍位にたどり着かないのは、間違いなくこの乱れた女性関係が問題なのだ。――特に、昇進には始末書の数が関わってくるというのだから。
 それを承知の上で毎晩ゼロの整備が済むが否や外へと飛び出して女と遊び、結果として始末書を増やしているフラガには昇進への無頓着ささえ覚える。
 軍にいるのだから、それなりのプロモートを望むのが普通だろうのに。
 グリィマルディ戦績で少尉から大尉への二階級昇進を遂げた後、「面倒な仕事が増えて遊べなくなった」とボヤいていたフラガをマードックはよく知っている。
 無頓着と言うよりも――無関心なのだ、と思う。
 自分のことにも、誰のことにも。
「その大事な会議よりも大切な女の方から、個人回線を使って電話が入ってますぜ?」
「げ。電話? 嘘だろ、俺はナンバーなんて教えてないぜ」
「ナンバーは教えなくても、どうせ大尉のことですから制服のままで遊びに行ったんでしょう。残念ながら現在滞留中の第七艦隊で上官服を着た金髪の遊び人はフラガ大尉しかいませんからねェ」
 あからさまに繁華街の女だと思われる媚びたような電話の声は「金髪の上官サンを呼んで」と軍の交換手に告げたらしい。
 普通はそこから通信係へ電話通信が報告されるのだが、艦隊の交換手も慣れたもので、そういう電話のほとんどは宛先がフラガだということを判っているから、通信係へ連絡せず直接フラガの元へと届けられる。
 肩章をつけた上官服を着る軍人には既婚者が多いから、そもそも繁華街へ繰り出そうという男自体珍しいのだ。
 それ以前として、作戦実行中に軍から離れる軍人自体珍しいのだ。
「ともかく回線を繋いでくださいよ、さっきから女が喚いて困ってるらしいんで」
「・・・面倒」
「面倒じゃねえですぜ、また何か戯言でも抜かしたんでしょう?」
「戯言を本気に取る方が悪い」
 フラガは一つ欠伸をすると、さも気だるそうに身を竦め、テーブルの傍に積み上げられた男性誌をもう一冊手に取った。
 そしてそこに写っている裸の女性の写真を面白くもなさそうに眺め、
「切ればいいじゃないの、そんな電話なんて」
「切ればいいって・・・しッかし大尉、この間まで『イイ女を見つけたから絶対落としてみせる!』とか言ってませんでした? そんなにイイ女のお誘いを断ってもいいんですかい?」
「落ちちゃった女には興味ないの、俺」
 そんなもんですかい、とマードックは呟いた。
「第一さァ、よく言うじゃないの、ゲームだよゲーム」
「ゲーム?」
「そーそー。ラヴ・イズ・ゲーム。終わっちまったゲームなんて面白くないだろ」
 そういうものだろうか、とマードックは息をついた。
 この金髪の上官が、見るからに女好きのする容姿を持っていることは見ての通りだ。それをどう利用しようが、それはマードックの知ったことではない。
 女と寝ようが遊ぼうが、マードックにとってはきちんと仕事をしてもらえるなら下官として不服はない。
 だが――と時折思うのだ。
 女よりも機械の方が好きだと自負する自分に言えたことではないが――フラガは人を好きになることがないのだろうか。
 恋愛はゲームだという。勝ち負けがついてしまえばそれまでなのだという。落ちてしまった相手には興味がないのだと。
 マードックにはよくわからないが、そういうものなのだろうか、恋愛というものは。
 誰とでも、誰にでも、持ちうることの出来るものなのだろうか。
 こればかりは機械と比較する事は出来ないけれど――、この人だけは譲れまいと思う気持ちを、この若き上官は持ったことがあるのだろうか。
 もし無いのだとすれば、それは恐ろしいことのようにマードックには思えた。
 けれども楽しそうにフラガは言う。
「落ちない女ほどイイよねぇ、落とすのが楽しくて」
「・・・はぁ」
「簡単に落ちる女はつまらないな、手応えがない」
 フラガの言葉を聞いて、マードックはようやく一つの答えに行き当たった。
 つまり、この若い上官は――恋愛を一つの戦闘のように思っているのだ、と。
 まるで手堅い相手を倒すように、女を落そうとしているのだと。
 フラガにとってはザフト軍のモビルスーツに迎撃するのと、女と褥を共にするのとは同じことなのだ。相手を負かすという一点において。
 今度こそ、ぞくりとした悪寒が背筋を走り抜けるのをマードックは止められなかった。
 負けを知らない無邪気な子どもほど、怖いものはないものだ。
 ただ勝負に勝とうとがむしゃらに動き、勝ってしまえばつまらないと放り投げる。今はそれでも善いだろう。
 だが、いつか、負けてしまったら。
「何難しい顔してんの」
「・・・別に。まァそうそう大尉が満足できる相手ってのは現れないと思いますぜ?」
「ハハハ、たまにはこっちが落とされてみたいねえ。あるいは落としてもおもしろいヤツとか」
「そりゃあ探しても難しいでしょうさァ」
 やっぱりそうだろうねえ、とフラガは屈託無く笑った。
 マードックはその笑顔に曖昧に愛想笑いを浮かべ、回線を切るよう連絡すべくフラガの部屋から出て行った。
 ――いつか、と思う。
 いつかフラガが譲れまいと思う一人を見つけ、真実その一人に溺れてしまったら――
 その時は、今まで数多の女を泣かせてきたフラガ自身が身を滅ぼす時なのかもしれない。
 フラガの部下として働く今は、それが出来れば遠い未来であることを願うのだが。

 

 

 


 負けたら溺れてしまうということは、判っていたのだ。

 

 

 

 ガシャン、と器具の落ちる音に、うとうとしていたマードックはハッと目を開いた。
 戦闘配備が解除されて、安堵したのか知らず知らずに軍納庫の端で眠っていたらしい。
 見れば他の整備員もそうらしく、ある者は簡単な毛布にくるまり、ある者はマードックと同じようにただ冷たい壁や床に身を投げ出してしばしの休息を取っている。
 見るところ、視界の中に動く人間はいない。とすれば、先ほどの物音は何なのだろうか。
 マードックは重い体を起こして立ち上がり、壁伝いに歩いて納庫の中を見回し、スカイグラスパーの傍で動く人影を見つけた。
 それが誰かということは、近付くよりも早く制服の色で見分けることが出来る。
「少佐じゃねえですかい」
「ああ、マードックか。悪い、起こしたか?」
 フラガはスカイグラスパーの機動部分のハッチを開け、中のコードとシステムをいじっているようだ。
 言葉とは裏腹に、マードックが起き出したことにも、声を掛けたことにも頓着していないように、作業を続けている。
 傍に寄ると、その目が僅かに血走っているのが判った。戦闘配備が解除されて――寝ていないのだろうか。
 それほどまでに、何を。
 マードックは恐る恐る尋ねた。
「何をしてるんですか、少佐」
「見ての通りさ。エンジンと左翼がやられてるみたいだから部品の取替えとシステムの調整をな」
「――それは、見れば判るんですがね」
 何のために、と暗にマードックは言いたいのだ。
 損傷した機体を修理することは、何ら不思議のないことだ。パイロットのすべきことではないとしたところで、大した否定の原因にはならないだろう。
 だが、整備員を修理から休ませるよう、艦長から言い渡されたばかりなのではなかったか。
 無理だと言っても聞かずにスカイグラスパーの発進準備の整備をするフラガに手を焼き、マードックが艦長に何とかしてくれるよう頼んだのだ。
「スカイグラスパーを・・・出すつもりなんですかい」
「当たり前だろ、パイロットなんだから」
「しかし先ほど艦長に発進は許可しないって言われたばかりじゃ・・・」
「そうだな、言われたな」
 こともなげにフラガは言う。
「そしてその言葉に俺はラジャーと言った」
「ならどうして」
「悪いが、女一人の涙で止められるほど俺は甘く無いんだ」
 先ほど艦長に優しく接した人間と同人物とは思えないほど突き放した声でフラガは言った。
 その血走った目が何度か瞬く――まるで迷いもなく。
 マードックは、いつか昔感じた悪寒が再び背筋に這い上がるのを感じた。
「坊主たちを、助けに?」 
「ああ」
「でもアイツらはMIAに認定されたって報告が――」
「・・・MIA?」
 フラガが初めてマードックの方を振り向いた。
 小さく笑みを浮かべて。
 今度こそ、マードックは身を竦ませた。
「・・・それが、どうした?」 
 フラガは低く呟くと、再び自分の作業に専念した。
 マードックは立ちすくんだまま何も言葉を発せない。
 フラガが――この若き上官が、シグナルロストした二人の少年のうちの片方、キラ・ヤマトと親密な関係を結びつつあるのは知っていた。
 どういう経緯か地球軍に所属することになったコーディネーターであるキラに、フラガがちょっかいを掛けたといっても間違いでは無い。
 キラはマードックの目から見ても、弱くて甘い、まるで軍人には向かない少年だった。――フラガが以前マードックに提示した、「恋愛のゲーム」にはまるで適しない少年だった。
 その少年がフラガと共にいることが増え、そしていつだったか――軍人に対しては全く甘い顔をしないフラガが、その少年を慰めるような仕草を見せた時から、薄々わかってはいたのだ。
 フラガが、誰よりもこの、弱くて甘い少年に溺れてしまうであろうことが。
 それがわかっていたのに、マードックはそれを止めなかった。
 止められなかったのだ。
 勝負に負けたことの無い人間が、負けてしまうことも恐ろしさはよく判っていたはずなのに。
 譲れない一人を決めてしまった人間が、その一人を失うことの恐ろしさはよく判っていたはずなのに。
「――死んでなんか、いないさ」
 フラガは誰ともなしに呟いた。
「死ぬはずなんか無いんだ、キラが――、死ぬはず、なんか、」
 誰にも止められない目をしたままそう呟き続けるフラガに、マードックはやはり立ち尽くすしか、無かった。

 

 

 そう、危険だということは、判っていたのに。

 


 (終)






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