強く儚い者たち



 こんなに醒めた目をする子どもだったろうか。
 フラガは彼を目の前にしながらも、まだ躊躇っていた。
 彼が母艦を離れたしばらくの間、彼がどんな生活をしていたのか、フラガは知らない。
 勿論彼とて、フラガがどんなふうに戦い、どんなふうに生きていたかなど知らないだろう。
 だがフラガの前に立つキラ・ヤマトと名乗る少年は、以前のキラと全く同じ姿かたちをしているのに、まるで中身は違ってしまったかのようにフラガの目には映る。
 何をすればいいだろうか、と。
 そう言ったキラの声は落ち着いていた。
 その声に感情は見当たらない。ただ、しなければならないことをするだけなのだと。
 それが自分に託された責任なのだと。
 他の何を問うても――特にザフトにいた時のことなどは――ほとんど答えないのに、いきなり飛び込んだはずのアラスカでの戦闘の時から、キラはずっと無表情を崩さない。
 こんなにも表情を変えない子どもだったろうか。
 フラガは違和感を隠せずに、少し強張った声で声をかけた。
「――キラ」
「・・・少佐」
 ぺこり、とキラが頭を下げる。
「長い間、連絡も無くて申し訳ありませんでした」
「いや、・・・別に、そんなことは善いんだが」
「先ほどマリュ―さんにも言ったんですけど・・・ストライクまで壊しちゃって」
 そう言ってキラは口元だけの笑みを浮かべる。
 少し申し訳なさの色が眼に浮かぶ。
 だが、それだけだ。
 マリューさん、とキラはラミアスを呼んだ。
 それはつまり、もうキラがアークエンジェルの戦闘人員には含まれていないことを示していた。
 つまりもう、この少年はヤマト少尉ではないのだ。
 そうして見ると、以前はあれほど馴染んでいたはずの青い軍服が、彼には酷く似合わないような気がした。
 ふとその瞬間、フラガの背にうすら寒いものが走る。
 ――何だ?
 フラガは肩をすくめて、その感覚をやり過ごした。
「俺だってスカイグラスパーを何度壊したことか」
「いえ、でもオーヴにストライクのデータを残してきて正解だったかもしれませんね。オーヴならきっと何かの役に立ててくれるでしょうから」
「オーヴ、ねえ・・・」
「悪用することはないでしょう」
キラはさらりとした表情で言った。
「・・・そう思うか」
「思いますよ。オーヴのウズミ代表は剣の使い方をよく知っている人です」
「・・・・・・剣?」
 もののたとえですよ、とキラは笑う。
「何もね、斬り付けたり差したりするだけが剣の使い方ではない――飾っておくだけでも、鋭い剣は十分な脅威です」
 淡々とキラの言う、剣、というのがすなわち武器であることにようやくフラガは気づいた。
 気づいた――が、その台詞は既に地球軍の軍人のものではなかった。ザフトのものでもなかった。ましてやオーヴの言葉でもなかった。
 フラガの知る、キラの言葉ではなかった。
 また何か寒いものがフラガの背筋に走る。
「もしもオーヴが剣を飾っておけなくなったら――どうなるんだ?」
「さあ。それはウズミ代表が決めることでしょう。僕には分かりません」
 キラは愛想程度の笑みを浮かべ、
「・・・知る必要も無いですしね」
 と、言う。
 キラは言った。既に言ったのだ、自分は地球軍ではないと。そしてザフトでもないと。
 それなのにフラガの心の奥では、キラは決して自分たちを見捨てはしまいという気持ちがある。
 それさえも見透かされていたことに気づき、フラガは軽く息を吐いて目をそらした。
 今、この地球上で一番安全な場所はどこか――そんなことは聞かれずとも、オーヴであることくらいは分かっている。
 だがフラガの属する連合軍は、おそらく近い未来にオーヴの敵となるに違いない。それくらいに連合軍は弱り――そしてオーヴは力を付けた。
 フラガは知っている。力を見せつけるのが強さではない。力を持っているそのこと自体が強さなのだ。強く見えていても、地球軍は既に弱ってしまっている。己の軍の中心部であるアラスカを自滅させなくてはならないほどに。
 オーヴはきっとアークエンジェルを見捨てはしないだろう。入る者を拒まない。あの国はそういうところだ。だが、実際地球軍とオーヴが戦いなどを始めたら――自分はこの軍服を脱げるだろうか。
 フラガは着慣れてしまった白い上官服に目を落とした。
 軍人でなど、なければよかったのだ。守るために闘うことしか知らない、そんな愚か者でなければよかったのだ。
「・・・僕は、誰の味方にもならない」
 キラはフラガの思いを見透かすかのようにそう小さく呟いた。
 フラガの目が軽く見開かれる。
「誰かの味方になれば、誰かの敵になるから」 
 キラはそう言いながら、フラガを見た。
「だからもう――あなた方の味方でも、ない」」
 そうだな、と呟きながら、フラガは息をついた。
 強い視線だ。合わせてしまうのも恐ろしいほどに。――以前はあんなにも空ろな、不安定な目をした少年だったのに。
 強くなったのだ、とフラガは気づいた。既に一度「死」を経験したキラは、フラガの知るキラではない。
 ――なるほど。
「お前はもう、軍人じゃあないんだな」
 その言葉に、キラはこくりと頷いて見せた。
 どんな軍服を着ても、キラは軍人ではない。民間人でもない。――ああ、そうだとフラガは思う。
 この目の前にいる少年は。
 そうだ、始めから彼は軍人などではなかった。ただ己の、大切なもののために戦う子どもだった。それを自分たちが軍人と呼んだ、ただそれだけのことだったのだ。
 気持ちだけで強さを伴わなかった子どもは、強さを付けて成長した。
 そうだ、軍人ではない。

 彼は、戦士なのだ。

 国のためでも軍のためでもなく、ただ自分のために彼は戦うのだ。
 自分がそうしたいから、そうするのだ。
 そうしてフラガは、ようやく先ほど走った悪寒の意味がわかった。
 戦士は、誰も頼らない。
 誰の力も必要としない。
 己の力と強さだけを信じて。
 ――だからもう、キラに自分は必要ないのだと。
 そう改めて認識すれば、胸の奥を強く掴まれるような痛みが走った。
 どうしてだろう。この少年が強くなることを願っていたのは、誰ならぬ自分であったのに。
 既に必要なく無価値となってしまった自分――強くなったキラ。
 埋めることの出来ない、決定的な溝が出来たのをフラガは感じた。
 そしてため息をついた。
「強く、なったな」
 その言葉に、キラは瞬きをすることで答えた。
 そしてゆっくりと口を開く。
「弱いから、と――その弱さに安住出来るほど甘い状態ではなくなりましたから」
「・・・そうか」
 フラガは苦笑いをした。
 弱い、と。
 どうしてこんなに弱いのだろうと――どうすればもっと強くなれるのだろうと。
 そう考えているうちは、決して強くはなれないのだ。
 強くなろうとしなければ、決して無理なのだ。
 考えて文句をいうことは誰にだって出来ることだ。だが、それを行動に移すことが大切なのだ。
 それにキラは気づいた。
 自分はどうだろうか。
 己の弱さにようやく気づいた自分は。
 キラはちらりと時計に目をやると、フラガに丁寧に頭を下げた。
「それでは僕はこれで――フリーダムの調子も見たいので」
「・・・ああ」
 キラはくるりと振り向くと、フリーダムのある整備庫へ足を向けた。
 そして二、三歩あるいて立ち止まる。
 ふと、肩越しに声をかけた。
「そういえば――少佐」
 呼ばれてフラガは視線を上げた。
 キラはこちらを振り向かず、しかし少しだけ首を傾けて言った。
「・・・髪、伸びましたね」
 声が響いた。
 それはフラガの知っていた、キラの声だった。
「――キラ?」
「とてもよく似合っていますよ」
 キラはフラガの言葉を遮ってそう言うと、整備庫へと行ってしまった。
 フラガは目を見開いたまま、その後姿を見ていた。
 キラ、と小さく唇が動く。
 この、後姿――見たことがある。いつだったろうか。誰の声も拒むような、それでいて何か渇望するほどに助けを求めるような――
「・・・ぁ・・・」
 手のひらに感覚が蘇る。戦いに震える、まだ戦いを知らなかった頃のキラを抱きしめた感覚が。
 初めてフラガは、キラをその腕に抱きしめたかったのだと気づいた。去った後の、今になって。
 最初にキラが戦場に出たときはそうした。二度目は震えていた体を慰めてやった。何度も部屋に呼んで暖かいミルクを飲ませ――大丈夫だと言い聞かせた。
 今だって同じだ。大きな戦闘を潜り抜けて帰ってきたキラ。昔から、フラガの中のキラは決して軍人などではなかったのに。
 ――それはもしかしたら、キラだって同じかもしれないのに。
 見たことだけに目が眩んで、どうしていつだって大切なことが判らなくなってしまうのか。
「・・・キラ!」
 フラガは大きく叫んで、キラの消えた廊下を走り始めた。

 (終)






BACK