ESCAPE


 

 あおいあおいソラの向こうに、僕はふと夢を見た。

 もし、僕に羽根があったなら、僕はこのソラを飛んだだろうか。
 もし、この機体に羽根があれば、僕はこのソラを逃げただろうか。

 とおいとおいソラの向こうに、僕はふと夢を見た。
 
 貴方と空を飛ぶ夢を。


 


 

 カシャカシャと規則的な音が続いている。
 時折その音が止まる以外に格納庫にはその音を遮るものはなく、戦闘配備が解除されたため人の数も少ない。フラガは寝そべったまま片目だけ開き、すぐ傍で見慣れた細い指が忙しく動いていることに安心してまた目を閉じた。キーボードを叩くとき特有の規則的な音が子守唄のように心地いい。さすがにこの格納庫で昼寝などするわけにもいかないが、ふとすればうとうとしてしまうような暖かさが満ちているせいで、寝袋でも持ち込めばさぞかし寝心地がいいだろうなどとどうでもいいことを考えてみる。暖かいのは温度調節をしているからではない。格納庫はそもそも最低限の調節機能しか備えていないし、床などはひんやりとしていて、ブーツで歩いても足からじわりとした冷たさが伝わってくるほどだ。フラガが体を預けている機体は最低限のエンジンだけを動かしているのか小さな震動とともに温もりがあるが、それさえ服越しではわからなくなってしまうほどの温度差だ。
(……ありゃ?)
 フラガは自分の体に被せられた一枚の服に気付いた。くすんだ青を基調とした下官服。それもサイズの小さいもの。先ほどの細い指に添ってそっと視線を動かせば、シャツ姿になった少年が視界に入った。
 フラガが声を上げるよりも早く少年はキーボードに視線を落としたまま口を開いた。
「起きたのなら整備を手伝って貰えませんか? 少佐」
「あ。――気付かれてたか」
「少佐ともあろう方が狸寝入りというのは感心できませんけど」
 キラは一度もフラガを見ずにそれだけをきっぱりと言い切り、カシャカシャとキーボードに指を走らせた。キラの叩くキーボードは、数本のコードによってフラガの戦闘機へと繋がっている。何度は乗ったのだがやはり扱いにくい部分もあり、昨夜からフラガは整備し続けて今朝キラに最終調整を頼んで眠ったのだ。だが先ほどからずっと目を閉じているだけで眠ってなどいないことを、キラにはとっくに気付かれていたらしい。
「狸寝入りじゃねーぜ? いつの間に服なんてかけてくれたのか知らないし」
「ほんの少しの間でしょう。寝るのならちゃんとベッドで眠った方がいいと思いますよ。そうでなくても昨夜もスカイグラスパーの整備してたんでしょう?」
「お前だってストライクをイジってたじゃないか」
「僕はストライクの中で寝ましたから」
 そう言ってキラはキーボードを叩きながら、ポップアップ式の端末画面に目を走らせた。そこにどんな表示が出ているのかフラガには見えないけれど、先ほどから口調がつっけんどんで自分の目を見ないのが癪に障った。
「お前もベッドで寝た方がいいんじゃないのか? しかも眠ったってたかが二、三時間のモンだろーが」
「たかが二、三時間でも徹夜よりはマシです。それにストライクの方が落ち着きますし」
「じゃあ俺がスカイグラスパーの中で寝てたらいいってのか?」
「寝るつもりがあるのなら止めはしませんよ」
 半分喧嘩腰のようにも聞こえるフラガの言葉に、キラはさらりと冷たい言葉を返していく。冷たい――というよりも、キーボードの打ち込みによっぽど気を取られているのだろう、心が半分ここにあらずといった口調だ。
「お前可愛くないなー。大体どうして部屋で寝ないんだよ。この間からずっとだろう?」
「少佐に可愛いと思われても嬉しくないので結構です。それに――ストライクの方が落ち着くんですよ」
「それはさっきも聞いた。だからどうしてかって聞いてんだよ」
 キーボードに忙しなく指を走らせているせいか、キラの言葉がおかしなところで途切れる。フラガはムッとすると、「話を聞けよ」と言おうと口を開きかけ、
「部屋に戻ると――眠れないんです」
 というキラの言葉に目を見開いた。
「色々考えちゃって。……それに部屋にはフレイがいるし」
「あのお譲ちゃん、お前の部屋で寝起きしてるのか?」
「ええ。士官室のベッドが居心地いいんだそうです」
「あ、……そ」
 最近の若者は自分の「彼女」のことすらこんな淡々とした口調で話すのかとフラガは片眉を上げた。いわゆる恋愛の甘さが欠片も見られない。普通の十六歳というのは、もっと恋だの愛だの熱に浮かされているのではないかと思っていたのだ。もっともフラガ自身、十六歳の頃には既に軍に志願していたのでそれほど熱に浮かされた記憶もないのだが。フラガはキラの無関心ぶりがやはり面白くなくて、からかってやろうと口元を上げた。
「で。お譲ちゃんが部屋にいて落ち着かないから逃げてきたって? 情けないねえ」
「別に逃げてきたわけじゃないですし、フレイがいるから落ち着かないわけでもないですよ」
「……?」
 フラガが片眉を上げるとキラはやはり画面を見つめたままで溜息をついた。
「軍服でベッドに入って戦闘配備になったら飛び起きて――。それならもうストライクで寝てた方がいいんじゃないかと思って」
「……どうして?」
「すぐに闘えるでしょう。――出遅れてしまうこともないですし」
 キラは淡々とそう言ったが、先ほどとは違う表情が口調に滲んでいた。同時にぐっと唇が噛み締められる。フラガは決まり悪く頭をがしがしと掻きつつ、
「……軍人のひよっこみたいなこと言って」
「ひよっこですよ、僕は」
「そういうことを言ってんじゃないよ」
 そう言うとフラガは体を起こし、キーボードを叩くキラの手をぱしっと取った。
「何するんですかッ! 整備が進まないじゃない――」
「こっち見ろよ、坊主」
 凛とした冷たい声にキラはハッとした。いつもは明るく優しいフラガの青い瞳が、強い視線を伴ってキラに向けられている。
「な……にを――」
「お前、今自分がどんな顔してるか判ってんのか?」
「――少佐……?」
「真っ青な顔で唇噛んでさ、そんな顔で俺に寝ろって言うのは説得力ないな」 
 ふ、とフラガの片方の手のひらがキラの頬を包んだ。
「顔色――悪いですか?」
「悪いな。それも相当。自覚ないのか?」
「……鏡なんて見てませんから」
 そうキラが答えると、苦笑したようにフラガはキラの顔を上げさせた。
「寝てこいよ、坊主。俺の部屋のベッド使っていいから。無理はするな」 
「そんなことは出来ませんよ。これが終わったらストライクで寝ます」
「だからそれが体に悪いって言ってんだろ? 何だってお前そんなに肩意地張るんだ」
「肩意地なんて張ってません。だから早く手を離してください」
 キラは少し決まり悪そうに言った。キラの手は先ほどフラガに取られたままなのである。このままではキーボードを叩くことが出来ない。そういう不満の意味を込めて言ったのだが、フラガは涼しい顔をしてキラの手を更に引き寄せると、
「追い詰めてんじゃないよ、自分を」
 と言ってキラを機体から下ろした。端末だけ機体の上に置いてキラの華奢な体が床へと降りる。
「何するんですか。僕は別に――」
「追い詰めてないとしても、何かに追っかけられてるみたいだぜ、今のお前は」 
「そりゃあ……敵はすぐそこに来てるんですから……」
 キラは歯切れ悪く言って、視線を足元へと落とした。
 フラガは僅かに目を細める。そういう意味ではないと言いかけた口を噤んだ。確かに自分達は追われる立場にある。オーヴを出た時からそうだったし、あるいは一応の目的地であるアラスカにたどり着いたとしても追われ続けるのかもしれない。クルーゼのザフト軍はしつこく自分達を狙っているようだし、これから通らなければならない様々な地域においても、それらの地域の人々と交友関係が結べるとは限らない。
 だがキラにはそんな物理的なものではない、もっと精神的に切羽詰った印象を受けるのだ。飛べない鳥のようだ。羽根を引き千切られて飛べなくなって、ただ地上でじたばたともがくだけの姿。そんな姿にキラを追い込んだのはフラガにも問題がある。できるだけの力があるなら――と言ったのだ。それがコーディネーターの、遺伝子操作によって生み出されたものであろうとも、できるだけの力があるならできるだけのことをしろと。その言葉が呪縛にも等しいことを知っていてフラガはそう言った。
 そしてキラはストライクに乗ることを決め、軍に残ることを決めた。軍は彼に少尉という位を与えた。勧めたのは自分だった。そうすればより深くキラを縛っておけるだろうと思ったからだ。軍事的な力の利用。そのために自分はキラを縛るのだと――だからこそこれほどまでにこの少年のことが気になるのだとフラガは自分に言い聞かせている。決して私的な、言葉にすれば笑ってしまうような幼い感情などではなく、単なる戦力だと。だがそれを実際口に出していえないのは自分に艦長ほどの優しさも副長ほどの冷たさもないせいだ。それをもフラガは判っている。
 優しさも冷たさもなく、フラガにあるのは――少なくとも強さだ。それが虚勢の、見せ掛けだけのものであったとしても、それがキラには必要なのだと思っている。だからこそフラガは自分のスタイルを崩さない。自分がキラに見せるのは優しさであってはいけない。温もりであってはいけない。心を許すことなどあってはいけないのだ。許されることも。それでもふとした拍子にその細い肩を強く引き寄せ、耳元に暖かな言葉を吹き込んでやりたくなる衝動にフラガは時折駆られる。だがそうすることは敵わない。いつか戦争が終わるまでは。――キラに必要なのは優しさではなく、強さなのだから。
「敵が来れば戦う。それだけのことだろう?」
「戦っても終わるわけじゃありませんよ、戦争は。――逃げられるわけでもない」
「逃げる、ねえ……」 
 もしキラに羽根があったらキラはこの状況から逃げたいのだろうか。フラガはキラの肩に天使のような羽根が生えたところを想像し、男のくせにやけに似合いそうで少し苦笑した。その苦笑にキラは非難の目を向けたが、フラガはそれをさらりと無視して、
「たとえば、だ」
 赤と青のラインが入った自分の機体に手を当て、キラを見て言った。エンジンは小刻みな音を立てている。
「このスカイグラスパーには羽根がある。……それを動かす力もな」
 キラはフラガの言葉に何が言いたいのか判らず首を傾けた。フラガは続けた。
「いつだって俺はこの機体で宇宙を飛べる」
 フラガは機体から手を離すと、その手の平をキラの頬にやった。エンジンのかかった機体よりも冷たい頬。キラはその手を振り払いもせずにフラガを見上げている。
 フラガは小さな笑みを浮かべて言った。
「……逃げてみるか?」
 シンとした格納庫に声が響いた。
 キラはその言葉に目を丸くした。そしてしばらく驚いた顔でフラガを見つめ、それから戸惑いの表情を浮かべた。見上げてばかりいた視線が、くっと下に落ちる。そして溜息が一つ、その唇から吐き出された。
「……冗談、でしょう?」
 フラガは迷った。
 本当のことを言えばキラはどんな表情をするのだろうかと思った。
 だがすぐにフラガはふっと笑みを浮かべ、口を開いた。
「――冗談だよ」
 その言葉にキラが肩の力を抜いたのが目で見てもよく判った。知らず知らずの間に二人の間に張り詰めていたものが、するりと解けていくようだった。
 キラは溜息をひとつつくといつもの調子で言い返した。
「冗談なんか言ってる場合じゃないでしょう。スカイグラスパーの整備が終わらないと、困るのは少佐なんですよ」
「いや、そうだな――まったくだ」
「大体貴方がそんなだから僕が整備を手伝うハメになるんじゃないですか。……少しは真面目にやってくださいよ」
「悪い悪い」
 フラガはいつもの顔で笑うと手元のコードを手繰り寄せて作業を始めた。キラはその姿に内心安堵したのだろうか、もう一つ溜息をついた。
「不謹慎ですよ、まったく。……ここは戦場なのに」
 そう言うと、機体へ繋がるラダーに腰を下ろして作業していたフラガは、屈託のない笑みを見せた。
「ハハハ。俺にしては上出来な冗談だったろう」
「冗談だって言っていい場所と悪い場所があります」
「悪かったって。――ビックリした?」
 まさか、と呟きながらキラは手元のキーボードに目を落とした。すぐにカシャカシャとさっきと同じように指が動き始める。
 フラガもコードプログラムの整理を始めた。まさか――、その後彼は何を言いたかったのだろうか。沈黙の中、フラガはそんなことを考えた。キラは自分の手を取らないだろう。この先もずっと。この戦争が終わるまでは。自分だけでなく誰の手にも縋らないのだろう――そんな予感がフラガの中を走りぬけた。そして改めて自分の抱えてしまった想いの重さを実感しながら、いつか――とフラガは思った。いつか、この腕にその体を抱き締める日は来るのだろうか。それはいつになるのだろうか。いつ戦争は終わるのだろうか。
きっとそれは遠い未来のことになることを予想しながら、フラガもコードプログラムを修正するため、自分のキーボードをカシャンと引き落とした。

 

 

 


逃げてみるか、と貴方は言った。
あの時貴方の手を取っていたなら、
僕達は何処へ行けたのだろうか。

 

 

 

「――フラガ、大佐」
 そう呼ぶ声にフラガは目を開いた。扉の開く気配は判っていた。気配がなくとも判らないはずはない。自分がこの部屋に入ることを許すのは彼だけなのだから。
「ああ――キラか」
 できるだけ気さくに呼びかけてやると彼は頷いたようだった。
 昔と変わらない仕草を微笑ましく思いつつも、フラガは声に向かって軽く手招いた。 ほとんど塞がった視力では相手を見ることも出来ず、ただ薄暗い茫洋とした景色が動くのが判った。掛けている色の濃い眼鏡のせいではない。視力そのものが限りなくゼロに近いのだ。手招く動作にふわりと右袖が揺れる。覆うものを喪った右袖が。
「ご気分はいかがですか」
「別にどうってこともねーさ。することがねーってだけでな」
 変わらない軽口で答えるとフラガは彼に椅子を勧めた。部屋の中にあるのは療養用のベッド、そして一対の机と椅子。他にはほとんど何もない部屋だ。それはあるいは目の悪くなったフラガが物に当たらないようにとせめてもの心遣いなのかもしれないが、以前キラはこの部屋を訪れたときに『殺風景ですね』と評して、それ以来毎回何かを持ってくるようになった。今回は花を持ってきたらしく、キラはそれを花瓶に生けて水差しから水を遣った。花の色や形は判らないが、辛うじて花びらの擦れる音で花だと判るのだ。キラもまたフラガには見えないと判っていて持って来る。花瓶の傍には前にキラが持ってきた昔の戦友たちの写真が飾られているはずだ。フラガには見えないのだけれど、キラがその写真を見ながら彼はこうしている、彼女はこうしていると近況を教えてくれるからそれで十分だった。
 ふと、そのキラの動きが止まる。
 自分を見るのが判った。
「もう――表舞台には出てこないつもりなんですか?」
 キラの問いにフラガは苦笑した。
「協議会の爺さんどもに聞いて来いって言われたのか?」
「――ええ」
「ったくなァ……もう戦争は終わっただろうに」
 フラガは苦笑いを浮かべたまま煙草を一つ咥えた。左手は使い慣れてしまって、失った右手の代わりをすっかり果たして煙草のケースを握っている。目を覆う眼鏡は光を遮るためのものではなく、フラガが既に視力を失ってしまっているということを表すためのものだった。その姿でモビルアーマーに搭乗することは出来ない。だがそれでも彼を利用したいのか、協議委員会の委員達はひたすらに彼を誘う。戦場へではない。一つの戦争を切り抜けた「英雄」を協議会の委員として迎えたがっているのだ。
「――大体お前が断るからいけないんだぜ?」
「僕は協議会委員なんて柄じゃありませんから」
「俺だってそんな柄じゃねーよ」
 フラガは小さく笑うとキラを引き寄せた。それはフラガが片腕と視力を失ってから――戦争が終わってから始まった二人の日常だ。いとしむようにキラの髪に口付け、そして左手の指先で髪を弄ってフラガは笑った。
「髪が伸びたな」
「別に伸ばしてるつもりはないんですけど」
「お前も大分大人らしくなってるんじゃないか? ヤマト少将」
「その名前で呼ばないで下さい」
 フラガが大戦の終わりに大怪我をして療養をしている間に、地球軍唯一のコーディネーターとしてキラの軍位はいつの間にか上がり、フラガを超えてしまった。それをキラはあまりよく思っていない。
「僕は別に軍位なんてどうでもよかったんです。ただ……」
「判ってるさ。あいつらの除隊許可を下ろせるのは上官だけだもんな。話は聞いたさ」
「――ええ」
 アークエンジェルに乗っていた頃にキラと戦闘に携わった友人たち。彼等の本意でない戦闘参加を知っていたキラは、軍位を上げて自分が彼等に除隊許可を出すことを望んだのだ。
「まったくお前はいつになっても変わらないなァ」
「大佐だってそうでしょう」
「俺? 俺は変わったさ。何しろもう――お前を見ることが出来ないからな」
 フラガは笑みを浮かべたままで言った。キラはその表情にしばらく躊躇ったような雰囲気をみせた後、背伸びをしてフラガに口付けた。
「こうして僕を感じてくれればいいんです」
 フラガの口元に、じわりと苦笑が滲む。
「いつになく挑戦的じゃないの? 襲っちゃうぞ、そんなことしてると」
「まだ昼間だからやめてください」
「昼間じゃなきゃいいのか」
「……そういうところに突っ込まないで下さい」
 いつでも絶えない甘い言い合いを繰り返していたキラは、ふと表情を止めてフラガを見上げた。何か言いたそうなその様子をフラガは肌で感じ取って苦笑した。
「何、隠してるんだ」
「別に――何も」
「嘘だな。こういう時のお前は絶対に何かある。経験の深い俺が言うんだ」
 どんな経験ですか、とキラは溜息を落とした。視線がフラガから外れる。俯いているのだろうか。
 沈黙が続いた。
 しばらくして観念したようにキラは口を開いた。
「……賊艦迎撃の出撃命令が出ました」
「お前に?」
「ええ。――ラミアス司令官から」
 淡々とした口調。フラガは何も言わない。
 賊艦というのは故郷を持たずに戦艦で生活する難民国家のようなものであり、そのほとんどが以前ザフトと地球軍が戦争していた頃に戦士として働いていた軍人とその家族だ。戦うことで金を得ていた軍人はヴァレンタイン大戦が終わった後の酷い恐慌で職を得ることが出来ず、そのまま戦艦を生活の場とした者は百人単位で暮らしている。それでも経済状況は大分善くなったが、戦艦暮らしに楽を見出したものは働かず、そのまま船で宇宙に居座り続けるのだ。それは地球軍にとってもザフトにとっても迷惑極まりないことであり、度々警告を出しているのだが一向に聞き入れない。そういうとき、ほんの「威嚇」で攻撃する。今回のキラの仕事はそんなところだった。
 実際ヴァレンタイン大戦が終わってからのこの五年間、地球軍もザフトも軍とは名ばかりであり、ほとんどが事務処理とコンピューター制御の下、二つの国家による均衡の取れた政治が行われている。一見して平和に見えるこの月の上では、つい五年前まで戦火が飛び交っていたとは思えない穏やかさがある。それも――勿論水面上だけのことかもしれない、実際の水面下ではやはり次なる戦争の火種が生まれているのかもしれないが、それはもはや自分の知るところではないとフラがは思っている。フラガももう若くない。大戦時二十八歳だった体は三十三歳になった。視力は脆弱であり右腕は無い。そんな状態の自分に何が出来るだろうか。そうだ――とフラガは思う。この腕のたった一本では、キラを抱き締めてやることも、ましてや昔のように守ってやることも出来ないのだ。もし仮に今新たな戦争が始まり、キラが戦場へと借り出されることになったとしても、フラガにはそれを見ていることしか出来ない。
 キラは俯いたままで続けた。
「一つ、艦を任されることになりました」
 フラガはキラに悟られない程度に目を見開いた。やはり――と心のどこかが思う。ラミアスの名前を聞いた時から予感はあったのだ。ヴァレンタイン大戦において、アークエンジェル艦長として役目を終えた彼女は大佐の地位を受け、地球軍宇宙監視司令部司令官という大役についた。実際の戦闘に関わることはないが、月本部や衛星支部を守るには重要な役目だ。大戦後に出来た部署であるが、その役に彼女を抜擢したのがこのキラであるというのだから運命とは皮肉なものだ。今キラは地球軍評議会の臨時委員という座にある。少将という地位はどこまでもキラをその椅子に縛りつける。それは地球軍にとっては好都合なことであったとしてもキラに決して善い影響を与えないことは、ここ半年のキラを見てきたフラガは知っている。キラに戦いは向かない。それでもストライク――そしてフリーダムを操っていたときのキラの方がずっと生き生きしていたように思うのだ。だからこそ戦いではなく「威嚇」のための戦艦長としてラミアスはわざわざ自分の上官であるキラに出撃命令を出したのだろう。地位はキラの方が上でもラミアスには監視司令官としての命令権がある。心の優しいラミアスはその権利を有効に活用したに違いない。
 フラガは素直に驚いた表情をした。
「ほう。凄いじゃないか」
「大して大きい船ではありませんが、戦闘用です。――総員は百人足らず。出来るだけ小人数で賄うみたいです」
「小さくても艦は艦さ。――おめでとう、艦長サン?」
 フラガは軽口めいた言葉を吐いて左手を差し出した。その左手をキラが取ればそれで総てが済むはずだった。この月の上にキラがいてほしいという気持ちは勿論ある。だがそれがキラにとって評議会に縛られる苦痛でしかないのならば、フラガはこうしてキラを見送ってやるしかない。しがないエゴでキラを壊すことは出来ない。
キラはフラガの期待通りに左手を取った。だがキラはそれを握手の形にせず、もう片方の手もフラガの左手に添えた。自分より僅かに高い体温にフラガは片眉を上げた。
「――その艦には、羽根が四翼あります。主翼は二つ、副翼が二つ。そしてそれを動かす力もある」
 凛とした声がフラガの耳に届いた。フラガには濃い眼鏡の向こう側にいるキラの表情が判らない。
「いつだって、僕はその艦で空を飛べる」
 キラが自分をじっと見るのが判った。
 そしてキラはフラガの手を包んだまま、きっぱりとした口調で言った。
「――逃げてみませんか?」
 フラガは濃い眼鏡の奥で目を見張った。
 それは――酷く聞き覚えのある言葉だった。
『――逃げてみないか。』
 それは自分の言葉ではなかっただろうか。
 それを彼は覚えていたのだろうか。
 戯れとも冗談ともつかないはずの、遠い昔の言葉を。
 フラガは苦笑した。
「……上出来な冗談じゃないか」
「ええ、僕にしては」
「――変わらないな、お前は」
「ありがとうございます」
 誉めてるわけじゃないよ、とフラガはキラの頭を叩いた。
 そしてキラの体を引き寄せると、強く口付けた。

 それは決して引き離すことなど出来ない強さで。

 



 (終)


2003年4月に発行したフラキラ本「ESCAPE」より。
再版するつもりも(きっと)無いので、ここにのっけて見ました。
設定がデスと違い過ぎて、今となっては「何だコレ」の一言に尽きますね(笑)
フラガ好き度が高すぎて、こういうヴァージョンを妄想してしまった私の頭に最敬礼。

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