Overture


 
 多分、夢を見ていたのだと思う。

 いつも唐突に暗闇で始まる夢だ。 
 自分以外の総てが、むしろ自分すらも侵食していくほどの闇の中、ぼんやりと立ち尽くしている。
 どうしてこんな場所にいるのだろう。
 宇宙ですらもこれほどは暗くあるまい、と頭上を見上げる。
 あの莫大な暗闇には、それでも光がある。星がある。ちかちかと瞬いては道しるべとなる星が。けれども今、自分の頭上はまるで真っ黒のカーテンで覆いつくしてしまったように隙間ほどの光も無かった。だから、ここは宇宙ではない。
 上下左右の感覚が無いことに気付いた。どちらに足をつけて立てばいいのか判らない。宇宙ではない筈なのに、何故重力を感じないのか。
 ふと。
 見上げた頭上から視線を下ろすと、少年が居た。
 いつからいたのか判らない。居たけれども気付かなかったのか。
 少年、という域を抜け出すか抜け出さないかの年頃だ。纏っているのは見覚えのある下等兵の青い軍服。
 暗闇なのに、その姿ははっきりと自分の目に映った。
 茶色の前髪から零れ落ちる視線は酷く厳しい。
 まるで睨みつけるような目だ、と思った。
 多分、まるで、ではなくそうなのだろう。
「何でそんなに怒ってるんだ?」
 口に出してから初めて、それを以前にも口にした言葉であると気付く。
 恐らくそれは正しいのだ。
 多分、自分は夢の中で、何度もこの言葉を繰り返している。
「なあ」 
 何も言わない少年に、そっと歩み寄る。
 一歩、二歩。
 遅れてふわりと、伸ばした髪が引き摺られるように自分についてくるのが判った。
 あとほんの半歩というところまで近づいてしまえば、頭ひとつ分大きな自分にとって、判るのは彼の目の大きさ、そして睨みつける眼光の強さ。こんなに眉を顰めてさえいなければ、少年の容貌はもっともっと穏やかで、気の弱さすら感じさせるほど優しいものであると自分は知っている。
 だから。
「そんな顔するなよ」
 そっと。
 頬に伸ばし掛けた手を、乱暴に振り払われる。
 そんな手で触れられるなど御免だ、というような仕草で。
 思わず引き寄せるようにその手を取った。
 睨む少年の目に、
 自分が映らない。
「どうしてそんな目で」
 自分を見るのか。
 怒りよりも、悲しみの篭った目で。
 悲しくて悲しくてたまらないような、それでも涙を必死に堪えているような目で。
 どうせなら侮蔑すれば善いのに。
 悲しむより怒れば善いのに。
「どうして」
 自分の声を遮るように、彼の口が開く。
 何かを。
 何を。

 そのとき彼が何を言ったのか、覚えていない。
 
 ぱちり、と目を開いたときに見えたのは、机の上で瞬いているコールボタンだった。
 気付けば上官室の椅子に深く座ったまま、どうやら転寝をしていたらしい。
 音声だけをオンにしたまま、ボタンを押すと、艦長の声が耳に届いた。
「プラント本土よりサクセスシグナル受信、奪還に成功した模様です」
 デッキへ、と言う声に諾と返事をして、コールをオフにした。
 そしてそのまま、もう一度椅子へ深く身を預ける。全身から力を抜いてしまうように。
 部屋の中は静かだ。現在行われているプロジェクトなど知る由もなく、この艦隊は静かに動いている。だから揺れも戦闘も無い。三人の新鋭を送り込んだプラント本土でどのようなことが起こっているか知らないが、それはこの場所から遥か遠いところで起きている出来事のように思えた。まるでディスプレイを見ているような。
 己が計画したそれであることを棚に上げて、と笑みが浮かんだ。
 この静けさは余り好きではない。少なくとも自分はディスプレイの外側ではなく、内側にいるべき人間だ。こんな場所でゆったりと部下の報告を待つより、前線でモビルアーマーを操っている方が、よっぽどどれだけ自分らしいか。
 ふ、と立ち上がる。
 そうすると、ドア傍の鏡に己の姿が映った。
 違和感を覚える片目の傷。長い金髪。まるで。
 こうしていると、父の複製であった、あの男によく似ているじゃないか、と苦笑する。
 それはそうなのかもしれない。遺伝子という実に理路整然と決定された間違いようの無い情報によれば、自分とあの男はよく似たそれを持っているのだから。
 見えない片目にも慣れた。
 鎖骨まで伸びた金髪にも慣れた。
 この黒の軍服さえも、慣れてしまった。
 自分は、と思う。
 自分は所詮に軍人だ。
 それ以上でもそれ以下でも無い。なりようが無い。
 どれだけ上へ上り詰めても、結局は軍人というレッテルに違いない。そうである以上幾らでも替わりの効く存在。――不可置換の存在などなれよう筈もない。
(睨まれたな)
 傷の入った片目を見ていると、ふと彼の鋭い視線を思い出した。
 もう、何度目になるか、数えるのも面倒なくらいに見ている夢。
 決まって最後は彼が口を開いて終わる。声は聞こえない。
 けれども、何故彼があんなにも非難めいた、悲しみを含んだ視線を自分に送るのか、それは判っている。判っているからこそ繰り返し見てしまうのだろうと思う。
 戦いを嫌う少年だった。
 己が誰よりも戦いに相応しい力を備えていることを、そして戦うべき場所にいることを憂う少年だった。
 どうして戦いなどあるのか、殺し合いなどするのか、と自分からしてみれば生ぬるいくらいの台詞を吐いて。
 ひとを殺し。
 ひとを殺され。
 そしてその血の冷たさと熱さを知り、彼は地球軍の軍服を脱いだのだ。
 なのに。
(夢に見るのは、あの頃の)
 まだ彼が軍服を着ていた頃の姿ばかりだ。
 その目が責める。自分を。
 言いたいことは十分に判っている。
(行くのか、と言いたいんだろう?)
 目を閉じ、少年を思う。
(殺しに) 
 行くんですか、と目の奥の少年は言う。
 あんなにひとが死んだのに。
 あんなにひとが殺されたのに。
 あなたは。
 あなたさえも殺しかけたのに。
 それでも行くんですか。
 まだ戦うんですか。
(ああ) 
 気付けばいつだって、戦いは自分の目の前にある。意図するしないに関わらず。
 あの戦いの後、彼がどうなってしまったのか知らない。
 病院のベッドの上で生死を彷徨っている間に数階昇進を決められ、そしていつの間にか少年の名前はアーク・エンジェル搭乗員から削除されていた。 
 生きているのか、死んでいるのか。
 それさえも知らない。
(生きてるなら、見てるだろう) 
 出て来ない筈は無い。彼のことだから。
 あの無数の羽を持つガンダムで自分のアーマーの前に現れて、そしてあの深い紫の瞳で。
 呼ばれるに違いない。
 名前を。
(もう)
(それを呼ぶのは)
(お前だけ)

 ビーッとけたたましい音と共に、コールが激しく点滅した。
 判っている。デッキへ早く、と急かす内容のそれに違いない。
 小さく苦笑しながら机の上に置いていた仮面を取り、それをゆっくりと顔に合わせる。それで見えなくなるのは、果たして片目の傷だけなのだろうか。
 それとも。
 
 夢の中で呼ばれたのかもしれない自分の名をそっと仮面の冷ややかさに隠すと、ネオ・ロアノークはデッキへ続く廊下を歩き始めた。


 (終)


ネオがフラガという意味で多少ネタバレがあったかもしれない文章でした。
タイトルは「序章」という意味で。
ムウ・フラガはキラの前でだけそうあれば善いとか願ってみる。
完全オリジナル設定なので、本当はこっそり連絡を取り合ったりしてるかもしれないですが、ご愛嬌。

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