※このお話はオリジナル設定であり、サイト内の他のSSとの関連性はありません。






「あなたは――悪い夢なんて見たことはないんでしょうね」
 目の前に座った少年は、ぽつり、とそう呟いた。
 その言葉に首を傾げて見せる。
 何が言いたいのか。
 そう伝えたつもりだ。そして、そう伝わっている筈だ。
 少年の首本には、金の縁取りの襟、胸元には軍章。白地と青を基調としたその制服は、軍服というよりも、礼服に近い。
 彼の立場も含めてそう思わせるのだろうか。
 自分は何を纏ったって、軍服にしか見えないけれど――と思う。
 唇を開いては、何も言えず閉じてばかりの少年に、ネオは痺れを切らして問い掛けた。
「それはどういうことでしょうか」
 敬語の形であるのは、勿論、少年自身への敬意、ということではなく、たとえ小国であったとしてもこの地を揺るがしうるほどの軍事力を持つ一国の代表代理として訪れている少年に敬意を示すことは、つまり、その小国をやたらと脅かさない、そのためでもあった。
 国、というのは、支配するとつまらない。
 無論、支配されるのはもっとつまらない。
「深い意味はありません。ただ――そうですね、強いお方だと」
「私が?」
 ええ、と少年は頷いてみせる。僅かに視線をそらして。
 ネオは知っていた。少年と会うのはこれが初めてではない。一国の代表である少女が多忙を極めていたために、特に地球連合を訪れるのは代理である少年のほうが多いくらいだった。
 少年は、何に怯えているのか、あるいは単に癖なのか、ネオとの二人きりでの会合の時でさえ目を合わすことをしない。
 今だって、つい先ほど、地球連合の連絡を代表代理である少年に伝え、代表によろしくお伝え下さい、と目礼を済ませたばかりだ。
 逃げるように、というのは少々大袈裟であっても、話し合いが終わればすぐに席を立つこともネオは知っていたので、腰を下ろしたまま、突然不思議なことを問い掛けた少年に不審を覚えたのだ。
 ネオは少年の言葉をすくいあげるようにして答えた。そうすればどんな会話も、大抵のことは成り立つことを知っていた。
「強い、と申し上げるには至りませんが……しかし、そうでなければ、あるいはこの席は務まりますまい」
「確かに」
 小さく笑ってみせる少年の表情に、しかし陽然とした色は無い。
 色素の薄い肌。栗色の髪の毛。紫の瞳。
 この人物の情報は、確りとネオの脳裏にも記録されている。
 キラ・ヤマト。オーヴ首長国連邦在住。表立った地位ではないが、代表であるカガリ・ユラ・アスハの代理として、隠密に各国と接触を行っている。
 そして。
 コーディネーター。「血のヴァレンタイン」から始まった戦争では、地球連合軍少尉として活躍。その後、大佐位を与えられるが数ヵ月後に辞退、オーヴへ移住。
 公式に発表されているデータは無い。しかし、ネオはジブリールから渡された内部データによってそのことを記憶していた。
 彼がコーディネーターであるにもかかわらず地球連合軍に与していた理由は知らないが、とにかく、元々にあったその肩書きのために、地球連合との速やかな接触が行われているのは確かなことだった。
「悪い夢、というのは」 
 不意に彼が口を開いた。
 声の調子はずっと大人びているのに、その響きはこどもが放つものであるかのように幼い。それが童顔である彼の表情を余計にそう見せていた。
 こどもではないけれど、彼は現在十八歳。その年齢で以前は地球連合の大佐であったというのだからよっぽどの働きをしたのだろうが、その当時のデータは消失して見当たらない。
 見当たらない――と言えるのは、実はネオがそれらを探していたからだった。
 危険因子と認めたわけではない。特別興味をそそられる少年でもない。
 ただ、内部データに残された事実と、目の前にいる少年の間に何か大きなギャップがあるような気がしてならないのだ。
「悪い現実を予期して見るとも、言いますね」
 おずおずと言葉を進める少年の姿勢は非常に慎重だ。
 その言葉にようやく理解して、ネオは肘掛についていた腕をすっと外す。
 何のことは無い。悪夢を見たのは少年の方なのだ。
「なるほど。あなたがご覧になった悪夢というのは――酷いものだったようですね」
 少年は肩を竦めて、また小さく笑う。
「さあ。非常に個人的な夢でしたから」
「逆夢、ということもありますよ」
「そうであればいい――いや」
 そうであってほしくないのか、と少年は消え入るような声で呟いた。
 表面を掬ってばかりの会話。それに苛付くのは、少年のもっと深部が見たい、とそう思うからだろうか。ネオは一息置いて声を掛けた。
「お疲れなのでは?」 
「そうかもしれませんね」
 また、笑う。小さく儚げに。
 少年は、内部データで見た写真よりずっと頻繁に笑う。けれども、それは地球の空を青く染めるからりとした空気のような笑顔ではなく、闇の中、ひっそりと、まるで自己主張などしたくない、というふうに囁く月のような笑みだった。
「しかし、激務をこなしていらっしゃるのは、大佐も同じでしょう」 
「いや、こちらは殆ど事務仕事ですから。体がなまってしかたありませんがね」
 笑みを浮かべてみせると、つられたように少年の頬も上がる。また、僅かに。
 それが突然引き攣るように震えて、少年は苦しげに視線を落とした。気分でも悪くしたのだろうか、とネオが手を差し伸べようとした矢先、
「ロアノーク大佐は――負け無しのモビルアーマー乗りだとお聞きしました」
 その様子には全くそぐわない、賞賛なのだか世辞なのだか判らない言葉が少年の唇から零れる。
 ネオはわけが判らずに、その唇を凝視した。視線を逸らされる分だけ、また自分も、彼の目を見てはいけないような気分になっていた。
「負け無し、というのは大仰ですが、古き時代のアーマー乗りであることは確かです」
「そうですか。……それは素晴らしい」
「今はモビルスーツが主流ですからね。アーマー乗りなんて需要も供給も殆どありませんし――それが、どうか」
「……そうですか、いえ」
 また少年が苦しそうに言葉を切る。
「知り合いにも優秀なモビルアーマー使いがいたもので」
 ぐ、と不意に少年が視線を向けた。
 それをまじまじと受け止める段階になって、ネオはようやく、少年のその視線の強さに気付いた。
 紫色の大きな瞳が、その虹彩を飛び越えて何かを強く見つめている――。
 自分を?
 ネオは仮面越しにそれを受け止めながら、いや、違う、と思う。
 総てを見抜かれてしまいそうな目だ。
 恐ろしいくらいに透き通っていて、怖いくらいに曇りが無い。
 何処かで既視感を覚える。
 いや、自分はこんな視線を受け止めたことなどない、という答えがその既視感と自分の中で激しく抗う。
(俺じゃない) 
 彼が見ているのは、ネオ・ロアノーク、自分ではない気がした。
 紫の視線。
 つよく、つよく。
 その白い頬。
 寄せられた眉。
 そんなものたちを、自分は誰よりも近くで見ていた気がするのに。
(でもそれは)
(俺じゃない)
 確かに今まで生きてきたと自負出来る自分が、少しずつ分解されバラバラになっていくような感覚を覚え、ネオは仮面の額に手を当てる。
「……君は」

 この少年は誰なのだろう。

 気付くと、挟みあったソファの向こうで、少年は片手を顔に当て、俯き、涙を零していた。
 音もなく零れる涙が頬を伝い、あるいは腕を伝って白い制服へ色を与える。
 その制服の色が、不意にネオの目の前で揺れる。白から青へ――地球連合軍の下士官の制服のそれへ。
 どうしてそれを思ったのか、ネオにも判らなかった。その揺れはすぐに収まった。
 たとえ同じ地球連合に与していたとはいえ、彼が下士官の制服を着ていたときのことなど、自分は知らない筈なのに。
 それでもどうしようもない気持ちを抑えて、立ち上がる。
 何か見落としてはいけないことを見落としている。
 忘れてはいけないことを忘れている。
 その恐怖が、本当に突然、ネオを襲った。
 ぞっと足の指先から頭の先までそれが伝い、自然に足が動いて、少年のソファの前、広くあいたテーブルとソファの間に片膝をつく。
 ジブリールの前ですらしたことの無い仕草に自分で驚きながら、今度こそ手を差し伸べた。
 感じ取って、ハッと少年が顔を上げる。
 涙で濡れた頬。
 それですら見慣れている気になるのは、どうしてなのだろうか。
 自分の中に違う意識が埋もれ込んでいるような不快さがネオを揺らがせる。それは不快というよりも、違和感に近い。
 それをネオが明確に意識するよりも先に、少年が泣きながらネオの胸にしがみついた。
 しがみつかれた胸の、その奥、心臓の裏側がどくりと跳ね上がる。
 その鼓動の痛みに顔をしかめることも忘れ、衝動的に少年の背を抱いた。

 
 誰なのだろう。
 その温もり、そのしがみつく指先の震えさえ覚えている自分という人間は。


「た」 誰