※このお話はオリジナル設定であり、サイト内の他のSSとの関連性はありません。






 

 ガラス張りの世界に雨が降る。
 自然さを彩るように、数なんて数えられない速さで、だけれどやかましくはない雨音が窓に叩きつけられるのを彼は見ている。
 窓の外は凡そそうであるべきだという形に揃えられたように暗く、それは雨が降るから空が暗いのではなく、雨を降らすために空が暗いのだ、ということを知っている。誰もが。
 ひとは今そうあることが、そうでなくなってしまうことを何よりも恐れる。
 この地に雨など必要無い。総ての植物はしかるべき場所で作られた水分を満遍なく与えられているのだし、街角に植わっている木々も定期的なスプリンクラーによって命を得ている。
 空に頼らなくとも生きていく術を人間は既に見つけている。
 必要ないものを、何故残すのか。
 そんな単純な問いを繰り出した幼い自分に、育て親であった男は言った。
(己の作る完璧な世界さえ、人間は拒絶するのだよ)
 自然を渇望する。そうであったときを望む。まるで不器用に。まるで不自然に。
「どうしたの」
 声が掛けられたことに驚いた。
 自分が扉の入口に立っていることを、気付かれていないと思っていたので。
 あれ、と彼が首を傾げる。
「濡れてる?」
 言われて、そうだった、と気付く。ゆるりと頭を振ると、髪先から滴がしたたりおちた。
「駐車場から、少し距離があるので」
「ああ、なるほど、それで裏口から入ったんだね」
 苦笑する。彼にはわかったようだった。
 プラント最高評議員ギルバート・デュランダルの邸宅は何しろ広い。
 ギルを評議委員まで運転手よろしく車で乗せて行ったのはいいけれど、帰り道にはすっかり空は暗く、駐車場に車を滑り込ませたときには降雨の時間が始まっていた。
 雨が止むまでの30分間を車の中で潰しても善かったのだけれど、それも時間の無駄である気がして邸宅に走り込んだのだ。駐車場から一番近い裏口まで走っても5分。どれだけ広いのだ、と愚痴を言いたい気分だ。
 彼の部屋は表口よりずっと裏口に近い位置にある――勿論それがギルの意向であることを知っているけれど――。
 普段は立ち寄らない彼の部屋の入口で足を留めたのはそういうわけだった。
「デュランダル議長は?」
「先ほど、評議員会に」
「そっか」
 そう言うと、何故か彼はほっとしたような表情を見せた。
 忙しいひとだね、と呟いて、再び窓の外に目を遣った。
 肩先につくかつかないかの栗色の髪。窓に透ける紫の目。纏っている服は、おそらくギルの趣味なのだろう、いつぞや自分も着せられかけたのと似たものだ。自分には全く似合わなかったのだけれど、彼が着るとこうも似合っているのが不思議でならない。同じ男、同じコーディネーターである筈なのに、その体格、その容姿、どれをとってもまるで華奢で、自分が彼について知っている彼の像と一致しない。
 キラ・ヤマト。
 前大戦でフリーダムガンダムを操り、地球連合にもザフトにも与せず操縦桿を取り続けたコーディネーター。
 プラント前評議会議長、パトリック・ザラの息子、アスラン・ザラとも、その元婚約者であるラクス・クラインとも懇意であると聞く。
 だが、現在、その二人はどちらも、中立国であるオーヴへ移住している筈だった。
 にも関わらず、客分として彼がこの邸宅の一室に寝起きするようになり、もう数ヶ月が経つ。客分というよりもギルはまるで家族のように彼を扱っている。食事も同じ席でしたがったし、聞けば、夜毎に部屋を訪れ、会話を交わすといったこともあるようである。
 ここはギルの家なのだから、勿論彼がここに住んでいることはギルの了承ゆえのことなのだろうが、その経緯を自分は全く知らなかった。
 知っているのは、彼の出生に関わる少しのことと、彼の戦士としての戦闘能力、そして。
「雨は、どれくらい降るんだろう」
 彼の声に、はっと視線を向けた。
 窓に映る彼の表情は穏やかだ。
 人工の雨の降る部屋の中は静かで、一面ガラス張りにされた巨大の窓だけが、外の様相を教えてくれる。
 ラウが笑顔で部屋を出て行った夜。
 アカデミーで画面越しに見た戦場も、ちょうど、こんな雨のように沢山の爆撃が降っていた。
「もう少し雨が遅かったら、濡れなくて済んだのかもしれないのにね」
 向けられるのは無邪気な瞳。
 その瞳も、やはり、あのとき――あの瞬間、一台のシグーに向けられていたのだろうか。
「あなたが」
 掠れた声が零れる。
 こんなことを言う筈では無かったのに。
「あなたが殺した人間の数だけ、降るのかもしれません」
 彼の表情が、瞬間だけ、強張る。
 その強張った表情に近づく。彼は怯えてあとずさるだろうかと思ったがそうはしなかった。
 彼は、勿論、知っているのだ。
 たとえ自分が彼と話したことが、ギルと同席の数回、それもほんの紹介だけだったとしても、恐らく、知っている。
 自分が彼のことをどう思っているか。
 そして、自分が誰よりも慕っていた人間を殺していたのは誰なのか。
 彼を避け続ける自分と同じように、彼もまた自分を避けていることを知っていた。
 濡れた指先のままで、彼の腕を掴む。
 ゆっくりとそれごと彼の体を窓に押し付けると、僅かに窓枠が撓んだ。
 胸元を掴み挙げる。
「あなたは何故、ここにいるんです」 
 静かに静かに問う。
 隠遁か。
 償いのつもりなのか。
 あるいはザフトへ従軍するつもりなのか。
 ギルがどんな言葉を掛けて彼をここに連れて来たのかは知らないが、その理由に彼の意思が殆ど含まれていないだろうことも判っていた。彼はいつも、まるで彷徨うような視線ばかりなので。
「地球にいたくなかった」
 ふ、と彼は苦笑う。
「と言ったら、君は怒るかな」
「……それだけのために?」
「そう」
 それだけのためだよ、と彼は目を閉じる。
 それは、怒られても殴られても構わない、そういう動作にも見えた。何をされたって構わないと。
 実際殴られるのかもしれないと思ったのだろう。
 自分が彼に対して、いつもすれ違いざまに与える視線は、それに似たようなものだったのだから。
 大切なものを奪った者には、その者の大切なものを奪い返したい。
 ラウを奪った彼が、目の前にいる。誰よりも大切なラウを殺したその相手が。
「それは――ご自身の立場の悪さですか、それとも――」
「空をね、見るのが怖くて。……とても」
 彼は自分の言葉を遮る。
「だから、ここなら大丈夫だと思った」
 忘れてしまえると思った、と彼は小声で続ける。
 不意に胸元を掴み挙げた指先が、ふ、と緩んだ。
「なのに、ここには君がいる」
 彼は深く深く俯いた。
 腕を掴んだ指を和らげる。彼の震える肩が視界に入り、当惑した。
「俺が――怖いですか」
「怖いよ」
「……どうして」
 胸元を掴み挙げておきながら、何て言葉だ、と自分でも思う。
 けれども、彼は涙を浮かべた瞳でじっと自分を見上げた。
 今にも零れ落ちてしまいそうなほどに大きな瞳だ。
 彼にはきっとこんな表情は似合わないのだ、とふと思った。屈託無く笑う瞳は、この瞳よりも濡れていないかわりに、きっと太陽に善く映える色を示すだろう。
 その中に自分が映る。
「似てるんだ――」
 怖いくらいに似ている。
 その視線。
 その瞳。
 地球で見上げる天のそれにも似た、空色の瞳。
「折角あの場所から逃げてきたのに」
 涙と共に崩れ落ちる彼の体を思わず抱きとめる。
 フリーダムを操る腕は、余りにも細い。
 

 

「君がいると、忘れられなくなるんだ、レイ」

 


 もしも彼の大切なものを奪ってしまえるのなら、その記憶ごと、自分に重ねている誰かの記憶を奪ってしまいたい。
 遠まわしに自分が避けられていた理由を知ったというのに、それよりも、自分が誰かに重ねられていたことを知って、胸の奥がしびれるように痛む。
(忘れてしまえばいいのに)
 一瞬の間、そう思った自分に思わず唇を噛み、複雑な想いを捨てきれないまま、彼の体をそっと引き寄せた。


「お」 同じ