※種デス47話と微妙にリンクしております。









 デッキから機体を見下ろす。
 フェイズシフトのカラーが落ち、灰色に色を変えた巨大な機体が二体。灯りを消した機倉庫は暗く、薄暗さの中でその二体はいつもより更に大きく、そして不気味なもののように思える。この位置からでは二体の足元が見えず、まるで暗がりにぼんやりと立っている様相のためだろうか。
 その姿に、自分が中に入って操っている時は感じない疎外感を感じ、アスランは苦笑した。
 いつも思う。機体から下りるたびに。本当に自分はこの化け物を扱っているのか、と。
 それは最初に自分が奪取したモビルスーツ――イージスに乗っていた頃からずっとそうだった。イージス。ギリシア神話において大神ゼウスが娘アテナに与えた楯。
 楯などであるものか、と何度も思った。
 事実、あの機体は、そのボディカラーに相応しい程の血を浴びたのだ。
 この手によって。
「アスラン?」
 ひたり、と足音がした。
 アスランは扉の開く音がしなかったことに驚き、振り向く。
 気配を読むのは自分の方が得意であるつもりなのだけれど。
「キラ」
 呼ぶと、気配が笑う。
 二歩、三歩と近づいて、暗がりの中、それが確かにその人物であることを認め、アスランも口許を引き上げた。
「起きてたのか」
「ていうか、起きたの。目を開ければ君が何処にもいないから」
 キラらしい言い回しに笑みが零れる。
 この笑みを感じたのか、キラは咎めるように言った。
「無理しちゃ駄目だよ。また怪我は治ってないんだから」
「大丈夫さ」
「大丈夫じゃない」
 医務室から一般の士官室へ移ったのは、怪我が完治したからではない。
 元来怪我というものをあまりすることのない体であるせいか、医務室そのものが苦手なのだ。
 だから士官室へ移させてくれ、と言うと、キラは苦い顔をして、僕と相部屋ならいいよ、と言ったのだ。
「君が無理をするだろうと思ったから相部屋にしたのに」
「残念だったな。俺を誰だと思ってる。キラが寝るタイミングくらい体に染み付いてるさ」
 そう言うと、キラは仕方ないな、といった笑みを浮かべてみせた。
「何をしてたの」
 デッキの手すりに歩み寄る。
 アスランの隣で、先ほどまでのアスランと同じように下を見下ろした。暗がりに浮かぶ機体が見えている筈だ。
「ちょっとね。イージスのことを思い出してた」
「イージスって……前に君が奪って行った?」
 そう、と頷いてみせると、キラは少し複雑な顔をした。
 思い出しているのだろうか、とアスランは思う。
 あの日。あの瞬間。
 キラがストライクに乗っていることは判っていた。この目の前の白い気体に乗っているのは自分のかけがえの無い親友であると。けれど抑えることが出来なかった。
(ニコル)
 撃たれた。
 撃たれから、撃つしかないと思った。
 キラを。
 この手で。
 けれど
(矛盾、している)
 キラを殺す。
 そう思った途端、それまで足元にあった大切で暖かなものがガラガラと崩れていくのが判った。
 もう、戻る場所は無い。
 キラを殺して、その世界で生きていくことは無理だと思った。
 だから、
(自爆したのに)
 結局今自分はこうしてここにいる。
「あの機体は」
 キラが唐突に口を開いた。
「ちゃんと護ってくれた」
 紫色の瞳がまっすぐにアスランを見る。
 その目を見るたびにいつも思う。
「君を」
 自分は生きているのだ、と。
 どれだけ苦戦を強いられても、どれだけの強敵と死闘を繰り返しても、この瞳を見れば自分はここにいるのだと――生きているのだと信じられる。
(いや)
 生きている必要など、本当はないのかもしれない。
 生きていようが死んでいようが、キラと共に在るのならば、自分はちゃんと自分を保っていられる。誰の駒でも誰の兵士でもなく。自分はアスラン・ザラなのだと。
 だが――
 その名の為に傷つけた者も多く居た。
 アスランは目を閉じた。
 数時間前に感じた少女のぬくもりを今も思い出す。確かにこの腕に落ちた体。受け止め切れなかったぬくもり。人が人から人でないものに変わってゆく瞬間の切なさ。
(ミーア) 
 誰よりもラクスを尊敬し、ラクスになりたがった少女。
 彼女がラクスに憧れ、自分に興味など持たなければ、あるいは利用されることも、殺されることも無かったかもしれない。
(定められた運命を終える時、人はただ生きるだけの存在になるのか)
 ジャスティスの見えない足元を見ながらアスランは思う。
 その人間の本質、能力、そして為すべき「運命」。それらを定め、それにそって人間が生きるという計画――ディスティニー・プラン。
「人間が死ぬ重みを、僕らは十分に判ってる」
 キラが呟いた。
「つまり、それだけ、生きることだって重い筈なのに」
 同じことを考えていたのだ、とアスランは気付き、開きかけた口を閉じた。
 生きている時、人間はそのことの重要性を深く考えない。生きていること、そこに在ること、それ自体がごく当然の当たり前のことだと感じ、死ぬことは何か特別な、滅多に起こらない出来事のように感じる。
 しかし死が迫り、あるいは死が訪れるとき、人は唐突にその重みを理解する――今までそうであったものが、そうでなくなる恐怖に陥る。
 そして近しい人間が死ぬと、その人間が存在していた空間の空白、時間の空白、そして空虚感……その存在がいなくなることで「何かがなくなった」という感覚で、ようやく人は、それまでそこにいた筈の人間の「重み」を感じる。
 あるいはこの腕のように、とアスランは思う。
 人でなくなった体を持ち上げる腕に重みを感じるのは、単純に、体を動かす意志が存在しなくなったからだけではないだろう。
「総て『運命』に添わなくちゃ、人は幸せになれないんだろうか」
「アスランはそう思う?」
 いや、とくぐもったような声が零れた。
「俺みたいな規格外は多分、どのみち無理だろうな」
 そう言うとキラが小さく笑みを浮かべるのが判った。
 運命。定められたもの。人がこう生きる、と決められた指標。
 順番が違うのだ、とアスランは思う。
「順番?」
「ああ」
 人が生きることは線を引くことに似ている。まっすぐに、あるいはゆるやかなカーブを描いて、もしくはギザギザのぎこちない動きをしながら。
 その線が違う誰かの線とぶつかる。それを出会いと言う。あるいは運命と言い換えても善い。
「人が生きるために運命が必要なわけじゃない」
 デュランダル議長の宣言するディスティニー・プランは、誰しもの線を引く鉛筆に定規を当ててしまう。そうして描けるのは、まっすぐの、最短距離の直線だ。曲がることも揺れることもない。そしてその直線同士は決められた座標で出会い、決められた新しい直線を生む。それが繰り返される世界。
「人が生きていて、そこに、運命がある」 
 この運命という言葉を、世界と言い直せば、あのノートに書かれていた文章そのままになる。
 キラはそれに気付いたのだろう、小さく頷いてみせた。
「そうだね、生きて初めて気付くものだね、運命なんて」
「ああ」
 今度はアスランが頷いて、手すりから手を離した。
 生きて。
 生きて、育って、戦って、殺して。
 そしてそうなってしまった自分が、今ここにいる。
 キラと戦って殺して――愛して。
 それが運命だったとしても、その事実は変わらないし揺らがない。
 そう思う人間には、必要ないのだ、と気付いた。
 運命などという神の道標は。
「ねえ、アスラン」
 部屋へ帰るため、デッキの出口に足を向けたアスランに、追いかけながらキラは話しかける。
「僕はね、思わない」
 何を、と問う前に、振り向いたアスランの前には、キラの表情があった。
 悲しいような、苦しいような、つらいような――嬉しいような。
 強い瞳。
「『運命』に添わなくちゃ人は幸せになれないなんて、思わない」
 だって、と紡がれる言葉をアスランは何処か遠くに聞いた。
 キラの額が胸に預けられる。
「誰に選ばれたわけでも決められたわけでもないけど」
 ふわり、と見下ろす茶色の髪。

「でも、アスランがここにいることが僕の」

 幸せなんだよ、と。

 誰しもが恐らく、まっすぐとは進めない。
 定規が導くペンで書かれた、途切れ無く黒々と続く直線のようには歩けない。
 目をそらしながら、俯きながら、あるいはまっすぐ歩いてきたつもりで、たまに振り返っては己の歩いてきた道の酷い曲率に嘆きながら、歩いていく。
 それでも、気付く時がある。
 ひとは、どうしたって、後ろに足を踏み出すことは出来ず、ただ真っ直ぐに目の前を見つめて、迷いながらも一歩ずつ歩くことしか出来ないのだと――
 アスランはそれを既に知っている。恐らく、キラも。
 最短距離でなくとも構わない。
 一歩と一歩が直線を為す。そのとき、その方向を向いている自分がいるのだ。その総てを眺めたときにひとつの直線でなくとも。

「僕は、これでいい」

 直線を辿っていつか螺旋を描いていたとしても、
(これでいい)
 そう思える自分がここにいるなら。

 アスランは思わずその体を引き寄せた。
 彼の手には、いつだって運命に抗える「自由」がある。
 そして自分は――彼が自分の隣で呼吸する、それこそがすべての「正義」なのだ、と。思い至って見遣る。灰色の機体を。
「ああ」
 うなずいて、目を閉じる。
「俺もだ」

 描いてきたのは、螺旋直線だ。
 しかしそのベクトルはいつも其処へ――彼の隣で呼吸すること、それを求めていたのだ、と。
 何という遠回り。しかしその途方もない曲率を、アスランは、初めて愛しいと思った。






「う」 運命