荒野に立つ者



 山を一つ越えると、そこは草木もまばらにしか見えない荒野。
 砂漠とも砂丘とも言いがたいのは、足元を埋める砂が風にさらりとも揺れない為だ。
 その荒野に、一つの人影がある。
 少年の時期は過ぎてしまったけれど、男と呼ぶには若すぎる、そんな不思議な雰囲気を纏った人影だ。
 人影は長く白い法衣を纏い、頭には金冠を携えている。銀の杖をついているらしい。
 その頭から伸びた茶色の髪が風にさらりと揺れた。
 不意に髪の流れが変わり、人影がじっとこちらを見た。
「・・・誰?」
 どうやら俺の存在には気付かれていたらしい。
 穏やかな声に、俺は一瞬躊躇った後、携えたナイフの刃を押さえ、それをいつでも攻撃可能なように持ち替えると岩影から姿を現した。
 俺は目の前で見るそいつの姿に驚いた。
 若いなんてモンじゃない。ひょっとしたら俺よりも若いんじゃないかと思うほど、そいつは幼い顔をしていた。
「・・・男の子・・・だね」
 そう言って、そいつは軽く笑んだ。
 そうすると少し大人びて見えたが、仮にももうすぐ二十歳になる俺を「男の子」と呼べるほど大人っぽくは無かった。
 俺は手の中のナイフの向きを変えず、じりっと歩み寄った。
 そしてすぐ、あることに気付いて足を止めた。
 俺の方を向いているそいつの視線は、正確には俺を捉えてはおらず、泳ぐように俺の周囲を見ているようなのだ。
 俺は思わず口走った。
「・・・アンタ、目が――?」
 そう言うと、そいつはまた笑ったようだった。
 茶色の髪が顔を傾けた拍子にふわりと風に舞った。
「見えてないよ。もうずっとね」
「・・・よく俺が判ったな?」
「気配はしてたから。それと、足音も。――俺、耳は善いんだよ」
 そう言ってそいつは自分の耳を示してみせた。
 弾みで金冠から垂れ下がる白い布が揺れる。
「山を越えた辺りから、ずっと付いて来てただろう?」
「・・・・・・初めっから気付いてたのか」
「盗賊の類かとも思ったんだけどね。殺気が無いから放っておいたんだよ」
 目が見えている俺の方が有利であるはずなのに、そいつは「放っておいた」という言葉を使った。
 ぐっ、と俺は開きかけた口を噤む。
 別に強がりでも口だけの人間でもないと判るのは、何も見えていないはずのそいつから発せられるとんでもない威圧感のせいだ。
 今は笑みを浮かべているからその威圧感も紛らわされてはいるが、もし本気でこいつが俺に向かってきたら、俺は何も出来ずにここで立ち尽くしてしまうだろう。
 そう感じさせる何かがそいつにはあった。
 俺はごくりと息を飲むと、手の平に張り付いているナイフの刃を震える指先で収め、数歩後ずさった。
 それを感じたのか、そいつはふふっと女のように笑った。そうすると、ふっと威圧感が和らいだ。
「あんた、名前は?」
 俺はその威圧感から解き放たれた、掠れた声を出した。
「――ンなもんねーよ」
「・・・無い?」
「必要ねえからな。この辺りは見ての通りの荒野で人はいねーし、大体俺だって人に名前覚えられるようなことはしちゃいねえ」
 そう言うと、そいつは「ああ」と気付いたように言った。
「そうか。さっきからずっと気になってたんだ。この匂い――、あんたの匂いなんだな?」
「・・・匂い?」
「血の匂いがするなぁって思ってたんだ。なるほど、たくさん人を殺してるんだ」
 俺は息を止めて目を大きく見開いた。
 確かに俺は殺し屋だ。しかし血の匂い――そんなに濃く染み付いているのだろうか?
 毎回服も替えているし、今回も最後の仕事から数えれば二回ほど服を替え水も浴びているはずだが――
「・・・そんなに匂うか?」
「目が見えないと色々敏感になるみたいで。それに――」
「・・・・・・それに?」
 聞き返した俺に、そいつはにっこり微笑んだ。
 太陽の光が差し込み、そこでようやく俺はそいつの目が金色であるということに気付いた。
「俺にとっても嗅ぎ慣れた匂いではあるし」
 ぞく、と俺の背筋を寒いものが走った。
 一瞬――、こいつが俺よりも年下なんかじゃなくて、もっとずっと年上・・・、もしかしたら親父や死んじまった爺さんよりも年上なんじゃないかと、そういう気がした。
 笑いながら殺しをする。そういうやつは今までにも何人か見てきたが、そういう奴らに感じる悪寒とは違う寒さを感じたのだ。
「そういや、どうして俺の後を付けてたの?」 
 俺を殺すつもりだったの?とそいつは無邪気に尋ねた。
 俺はゆっくりと首を横に振る。
「・・・いや」
「じゃあ、何で?」
「何となくさァ。この間町で一仕事してよ、その敵討ちとやらで追っかけられててな。アンタの服剥いで着れば誤魔化せそうな気もしたし」
 それは本当だった。
 実際、荒野に抜ける山へは誰も入らないから、それを見越してそっちへ逃げたのだ。
 案の定、今のところ追っ手は来ていない。
「俺の服? こんなの着たら目立たない?」
「そりゃァ目立つだろうさ。だが奴等の目は誤魔化せる。何より、」
 と俺は言葉を切った。
 そして、そいつの白い肌にある金色の目をじっと見据えると、口元を上げて、
「三蔵法師の格好してりゃ、町ン中で襲われることもないだろうしな」
「ああ――判ってたの?」 
「そりゃま、いかな俺だって三蔵様の格好くらい知ってるぜ。白い法衣に金の冠。肩には経文を掛けて――ってな」
「ああ、伝承話?」
 そいつの言葉に、俺は頷いてみせた。
 昔、死んじまった爺さんがよく聞かせてくれた伝承話。その話の中で、三蔵法師は供の三人の妖怪を引き連れて牛魔王を討伐したということになっている。
 実際、目の前のそいつは白い法衣を着て金色の冠をつけ、双肩には経文を携えていた。
「・・・で、俺の服を剥ぐつもり?」
 そう尋ねたそいつに、俺は首を横に振った。
「いや。アンタが偽者の三蔵法師なら剥いで服だけ貰っていこうと思っていたがな」
「――どうして本物だって判るの?」
「・・・アンタが偽者なら、この世には本物の三蔵法師なんていねえよ」
 俺は掛け値無しにそう言った。
 目が見えていないのにも関わらずの気配を読む力。幼いなりをしているが、案外相当の年を重ねているのかもしれない。
 法力だの何だののことはよく判らないが、力によって成長を遅らせたりも出来るのだろうか。
 そんなバカなことを考えていると、そいつは嬉しそうな、それでいて悲しそうな表情をして、少し俯いた。
「残念ながら俺は偽者でも本物でも無いよ。――襲名はしたけど、器があるとも思えないし」
「・・・じゃあどうして襲名なんてしたんだよ」
「それが前任三蔵法師の遺言だったんだ。俺にとってはその人こそが三蔵で、俺が三蔵って呼ばれるなんて嘘みたいな話でね」
 そう言うと、そいつの視線がふっと遠のいた。
 見えていないはずの目で、荒野の遥か遠くを見ている。
 気付くと俺はナイフをすっかり下げ、肩の力を抜いていた。
「・・・そういやアンタ、どうしてこんな荒野に来たんだ?」
 尋ねると、そいつは口元を僅かに上げて言った。
「ここに埋めたんだよ。・・・三蔵の骨をね」
 三蔵法師のなりをしているそいつの口から「三蔵」という言葉を聞くのは少し違和感があったが、敢えて俺はそれを無視した。
 そいつに付き合って視線を遠くへやってみる。
 ところどころ忘れられたように草木が生える以外は、ほとんど視界を阻むものは無い。
「ここの――何処に?」
「さあ。もう忘れちゃった。この荒野のどっか」
「どっかって・・・三蔵法師だったんだろ? きちんとしたトコに骨埋めるんじゃないのか、フツー」
「三蔵が嫌がったんだよ。俺の好きにして善いって言ったんだ。自分に一番似合うところに埋めてくれって」
 そいつは瞬きもせずに掠れた声でそう言った。
「俺は・・・三蔵にはこういう荒野が似合うような気がしてさ。で、この荒野のどっかに埋めたんだ」
「目印とか無かったのか? 墓標とか」
「あったとしても、もう無くなってると思うよ。もう――大分昔のことだから」
 それがどれくらい昔のことなのか尋ねようとして、俺は口を噤んだ。
 何故かそれを聞いてはいけない気がした。
 覚えていないくらいに昔、と答えられたら、今度はアンタは幾つなんだ、と尋ねなければならなくなってしまうから。
 そしてその年は、爺ちゃんよりもずっと上のような気がしたから。
「・・・じゃあアンタは墓参りに来てるわけだ?」
「まあ、そうなるかな」
「毎年都からここまで来てんのか?」
「いや。長安にはいないよ。旅してるんだ。あの頃みたいに」
「・・・あの頃?」
 視線をやった俺に「何でもない、昔のことだよ」とそいつは笑った。
「さて、と」
 そいつは誰とも無しにそういうと、懐から何やら見慣れたパッケージを一つ取り出した。
 俺はそれが何なのかを見て取りぎょっとした。
 あまりにも三蔵法師らしからぬものだったからだ。
「・・・っおい、ソレ――」
「ああ。赤マル。・・・あんたも吸う?」
 こともあろうかそいつは、懐から取り出したソフトケースから一本の煙草を取り出し、俺の目の前で火を付けたのだ。
「三蔵法師って煙草吸って善いのか?」
「駄目なの?」
「いや、駄目っつーか・・・」
 俺はがしがしと頭を掻いて、それからハァと小さく溜息をついた。
「くれ。マルボロは嫌いじゃねーし」 
「・・・ン。ああ、火は自分で持ってる?」
「アタリマエだ」
 俺は幼い顔の三蔵法師と並んで煙草を吸った。
 そいつは慣れた仕草で半分ほど吸うと、残りを吸い口を下にして荒野の土の上に立て、周りに土を被せて倒れないようにした。
 立てられた煙草はまるで線香のように煙を吐き出しながら、すっくと地面に立っている。
「線香より、三蔵はこっちのが好きだろうから」
 前任の三蔵法師は、こいつ以上にとんでもない奴だったのだろうか。
 そいつはそう言って、俺を見て笑った。
 俺も笑った。
 その「三蔵」とやらが、ほんの少し羨ましく思えた。






 銀の杖がカツッと小さな音を立て、そいつは立ち止まった。
「・・・じゃあ、俺はこっちから西へ行こうと思ってるから」
 町へと続く山の山腹。そいつはそう言って山道の分岐点を指した。
 目が見えないことなど微塵も感じさせない。むしろ、何度か転びそうになった俺よりも目が見えているように思う。
「西へ?」
「色々と長い知りあいも多いんだよ。長安よりも暮らしやすい場所ばかりだしな」
 そいつにとっては、確かに長安よりも旅をしている方が暮らしやすそうだった。
 そいつはそれまで袂に入れていた金冠を頭に携えると、銀の杖を握りなおした。
 その杖は何かを作り直してあるようで、取っ手の部分だけ少し色が違って見えた。
 元々何で出来ていたのか知らないけれど、それがそいつの手に馴染んでいるのは確かだった。
「・・・あんたはどうするんだ?」
 その言葉に俺は我に返った。
 そう言えばこいつが行くままにここまでついて来てしまったが、俺はこのまま山から町へ降りるわけには行かない。
 おそらく追っ手が来ているだろうし、だからといってこのまま引き返しては、そろそろ食料が尽きる。
 どうするかな、とふとそいつを見遣ると、そいつはもう総て見透かしたように笑った。
「――俺について来る?」
 そいつが手を伸ばした。
 俺はそいつをじっと見た。
「そんなこと言って、もし俺がアンタを裏切って、アンタの路銀だけ持って逃げたらどうするつもりだよ?」
「ああ、それなら大丈夫。そんなことは絶対に無いから」
「・・・大丈夫?」
 俺は場違いな言葉に違和感を覚えて首を傾けた。
「俺には見えないんだけど――」
「・・・何がだ?」
「あんた、髪何色?」
 そいつの言葉に、俺は片目を細めた。
 髪の色。そんなものを聞いてどうするというのだろう。
 確かに俺は町の奴らとは少し変わった様相をしているが、それは俺が爺ちゃんに拾われた異郷の子だったからであって、こいつには関係ないはずだ。
「金色だが、それがどうした?」
 そういうと、そいつは僅かに微笑んだ。
「目の色は?」
「紫。・・・髪と目の色が珍しいからって、俺を賞金首にでもするつもりか?」
 そいつは「まさか」と笑って答えた。
「違うよ。・・・うん。やっぱり大丈夫」
「・・・は?」
「大丈夫だよ。あんたが俺を裏切ることは絶対に無い」
 妙な自信に、それでも俺はそいつの言葉が正しいような気がした。
 言霊というやつかもしれない。俺はもはやそいつを殺すことも裏切ることも出来なくなっているような気がした。
「・・・チッ――」
 舌打ちすると、そいつは益々笑みを深めた。
 茶色の長い髪の下から、金色の目が優しく揺らいでいる。
 その瞳に、ふと俺は伝承話を思い出した。
 三蔵法師と共に西へ旅した三人の従者。そのうちの一人が金色の目をした妖怪だったという話だ。
 だが――それがどうだというのだ。
 俺には関係ない。
「仕方ねえな。アンタ一人で行かせるってのも何だし・・・、付き合ってやるよ」
 俺の言葉に、「ありがとう」とそいつは言った。
 そして、ふと俺は気付いて、
「そういやアンタが三蔵ってのは判ったが、――名前は何ていうんだ?」
「名前? ・・・法名の方?」
 俺は頷く。
 そいつは笑いながら答えた。
 あんまり格好善くは無いんだけど、と言いながら。
「『斎天三蔵法師』。――でもあんたには本名の方で呼んで貰いたいな」


 それからすぐに俺はそいつの本名とやらを聞き、その名前で呼び始めた。
 そしてしばらくした頃、俺はそいつに一つの名前を貰った。
 何でもそいつの「三蔵」の本名だったらしいが、そんなことは俺には関係ない。
 俺はそいつに呼ばれているのだし、俺は「三蔵」ではない。
 呼ばれているのは俺なのだから、それ以外のことはどうでも善いのだ。
 だから今日もあいつは俺を呼ぶ。
 
 ――江流、と。

 (終)






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